久留米の農場
第七十八話
「久留米の農場」
アキラと話した日から、美香は少しそわそわしていた。
学校でも、吹奏楽部でも、トリプルピーチ★の練習中でも、ふとした瞬間に久留米の農場の話を思い出す。
西鉄久留米駅から車で少し走ったところ。
祖父母と近所の人たちで営む、大きな農家。
アキラが少し照れくさそうに、
「いつか、農場にも来てください」
と言った時の顔。
それが、なぜか頭から離れなかった。
夕食後。
美香は、優馬の方を見た。
「お父さん」
「ん?」
「お願いがあると」
優馬は味噌汁のお椀を置いた。
「どうした?」
美香は少しだけ指を握る。
「アキラくんの家の農場……久留米にあるって言いよったやん」
「うん」
「行ってみたい。お父さん、連れて行ってくれん?」
優馬は一瞬、目を丸くした。
そして、すぐにやわらかく笑った。
「もちろんよかよ」
光子と優子が、即座に反応した。
「久留米!」
「農場!」
光子が美香の顔を覗き込む。
「美香おねーちゃん、アキラくんに会いたかと?」
美香の肩が跳ねた。
「えっ」
優子がにやっとする。
「お姉ちゃんの大事な人?」
その瞬間、美香の顔が一気に赤くなった。
「ち、違っ……いや、違うっていうか……その……」
光子が指差す。
「お姉ちゃんの顔、トマトみたい!」
優子も頷く。
「完熟たい」
美鈴が笑いをこらえきれず、肩を震わせている。
優馬は真剣な顔で言った。
「久留米行く前に、うちのリビングでトマト収穫できそうやな」
美香が真っ赤な顔で叫ぶ。
「お父さんまで!」
小倉家の食卓は、いつも通りの爆笑になった。
そして週末。
小倉家全員で久留米へ向かうことになった。
車の中では、光子と優子が大騒ぎだった。
「農場って、牛おる?」
「さつまいもある?」
「大根抜ける?」
「トマト収穫できる?」
美香が窓の外を見ながら言う。
「トマトの話、まだ引っ張ると?」
優子がにっこり笑う。
「旬やけん」
「違う意味で旬やん」
優馬がハンドルを握りながら笑う。
「美香、ツッコミ上手くなったな」
美鈴が助手席で頷く。
「小倉家で鍛えられとうけんね」
西鉄久留米駅の近くを通り過ぎ、車は少しずつ郊外へ向かった。
住宅街を抜けると、景色が広がる。
畑。
農道。
秋の空。
風に揺れる葉。
美香は、少し息を呑んだ。
「広か……」
やがて、赤嶺家の農場へ着いた。
大きな古い家。
納屋。
畑。
そして、笑顔で迎えてくれる老夫婦がいた。
「よう来んしゃったね」
赤嶺安三郎。
大きな手と、深い皺のある笑顔。
その隣には、赤嶺静子。
優しい目をした女性だった。
アキラも、少し照れた顔で立っていた。
「美香さん……来てくれたんですね」
美香は、胸が少し熱くなった。
「うん。来たよ」
光子と優子が、すぐにアキラの前へ出る。
「アキラくん!」
「農場、広か!」
アキラは驚きながらも笑った。
「うん。今日は、少し収穫もできますよ」
安三郎が笑う。
「ちょうど秋野菜の時期やけん、手伝ってもらおうかね」
優馬が腕まくりする。
「よし、働きますばい」
美鈴も笑う。
「幼稚園の芋掘り以来かもね」
小倉家のみんなも、農場の手伝いに加わった。
大根を抜く。
人参を掘る。
葉物を籠に入れる。
光子は大根を持ち上げようとして尻もちをついた。
「大根、強か!」
優子が真顔で言う。
「大根に負けた光の戦士」
優馬が吹き出す。
「タイトルみたいになっとる」
美香は、アキラと並んでさつまいもの畝の前にいた。
アキラが説明する。
「ここ、ゆっくり掘らんと折れるけん」
「うん」
光子と優子も、横から参加した。
「宝探したい!」
「さつまいも探検隊たい!」
四人で土を掘る。
指先に土がつく。
少し冷たい。
でも、嫌じゃない。
美香は、こんな風に誰かと土を触るのは初めてに近かった。
やがて、光子が叫んだ。
「あった!」
優子も目を輝かせる。
「大きいやつ!」
アキラが慎重に周りの土をどかす。
「これは……かなり大きいですね」
美香も手伝う。
「折らんように……」
四人で少しずつ掘り進める。
そして、ついに大きなさつまいもが姿を現した。
「抜くよ!」
「せーの!」
美香、アキラ、光子、優子が力を合わせて引く。
ずぼっ。
大きなさつまいもが土の中から出てきた。
四人は、その場で歓声を上げた。
「でっか!」
「すごか!」
光子がさつまいもを抱えようとする。
「重か!」
優子が笑う。
「また負けとる」
安三郎と静子がやって来た。
安三郎は豪快に笑った。
「おお、立派なのが出たね」
静子が目を細める。
「じゃあ、それを使って、大学芋作ってあげようかね」
光子と優子の目が輝いた。
「大学芋!」
「甘いやつ!」
美香も思わず笑顔になる。
「食べたい」
アキラが、その笑顔を見て少し嬉しそうにした。
「うちのばあちゃんの大学芋、おいしいですよ」
美香は、アキラを見た。
「楽しみ」
その一言だけで、アキラの顔が少し赤くなった。
光子はそれを見逃さなかった。
「アキラくんもトマト!」
優子が即座に追加する。
「二人とも完熟たい」
美香とアキラが同時に顔を赤くする。
「ち、違う!」
「違います!」
優馬が遠くから腹を抱えて笑った。
「青春の収穫祭やな」
美鈴が呆れながらも笑う。
「優馬、変な名前つけんで」
その日の赤嶺家の台所には、甘い匂いが広がった。
静子が作る大学芋。
揚げたさつまいもに、蜜が絡む。
光子と優子は、目を輝かせて待っている。
美香は、アキラと並んで座っていた。
農場の空気。
土の匂い。
家族の笑い声。
そして、隣にいるアキラ。
胸の中のあたたかい感情は、前より少し大きくなっていた。
まだ名前はつけられない。
でも、美香は思った。
またここに来たい。
アキラと、また話したい。
収穫したさつまいもで作った大学芋は、驚くほど甘かった。
「おいしい……」
美香が呟く。
静子が笑う。
「よう頑張って掘ったけんね」
アキラが言う。
「美香さんたちが掘ったさつまいもです」
光子が口いっぱいにしながら言う。
「大学芋、優勝!」
優子が慌てる。
「みっちゃん、口の中入っとる時にしゃべらんと!」
小倉家と赤嶺家の笑い声が、秋の農場に広がった。
美香は、その音を胸に刻んだ。
怖くない音。
あたたかい音。
いつか、自分の音楽にも、こんな匂いと温度を乗せられたら。
そんなことを、少しだけ思った。
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次回予告
久留米の赤嶺家農場を訪れた小倉家。
美香、アキラ、光子、優子は、大きなさつまいもを掘り当てる。
安三郎と静子の大学芋。
秋の農場の笑い声。
そして、美香の中で、アキラへの気持ちは少しずつ形を持ち始める。
次回、第七十九話
「大学芋の約束」




