守りたい人
第七十七話
「守りたい人」
アキラと次に会ったのは、みらいのたねの小さな相談室だった。
前より少しだけ、アキラの表情はやわらかかった。
美香も、前ほど緊張していなかった。
テーブルの上には温かいお茶。
窓の外には、夕方の光。
美香は、ゆっくり聞いた。
「アキラくんは、今どこに住んどると?」
アキラは少し考えてから答えた。
「久留米です。西鉄久留米駅から車で少し行ったところに、祖父母の家があって」
「久留米なんやね」
「はい。大きな農家です。今は祖父母と、近所の人たちで農場を経営してます」
アキラは、少しだけ照れくさそうに笑った。
「野菜とか、果物とか。季節によっていろいろ作ってます」
美香は目を細めた。
「なんか、あったかそうやね」
「祖父母は優しいです。でも……学校では、親がいないことを言われるけん」
アキラの声が少し沈む。
美香は、静かに頷いた。
「うん」
アキラは顔を上げた。
「美香さんは、学校どうですか?」
「うちは博多南中学に通っとる。吹奏楽部」
「トロンボーンですよね」
「うん。まだまだやけど」
「全国大会で最優秀賞……すごいです」
美香は少し照れた。
「みんなのおかげたい。でも、音楽をもっと学びたいって思っとる」
「もっと?」
「うん。トロンボーンも、歌も。音って、人を傷つけるためじゃなくて、誰かに届くためにあるんやって知ったけん」
アキラは、じっと聞いていた。
美香は続けた。
「うち、いつか……誰かの心に届く音を出したい。昔のうちみたいに、苦しい人に、ちょっとでも届く音」
アキラは、小さく言った。
「もう届いてます」
美香は驚いた。
「え?」
「僕には届きました」
アキラは、少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「テレビで美香さんが話してくれたから、僕はここに来られました。だから……もう届いてます」
美香の胸が、また熱くなった。
苦しい。
でも、嫌じゃない。
アキラと話していると、心の奥が静かに揺れる。
この子を守りたい。
この子に、もう「自分が悪い」なんて思ってほしくない。
美香は、そっと言った。
「アキラくんも、悪くなかよ」
アキラは頷いた。
「はい。少しずつ、そう思えるようになりたいです」
「うん。うちも、まだ練習中」
「練習?」
「自分が悪くないって思う練習」
アキラは、少しだけ笑った。
「僕も、それ練習します」
二人は、初めて少し自然に笑い合った。
それは小さな笑顔だった。
でも、美香にとっては大切な笑顔だった。
帰り際、アキラが言った。
「いつか、農場にも来てください」
美香は目を丸くした。
「いいと?」
「祖父母も、きっと喜びます」
美香は微笑んだ。
「行ってみたい」
アキラは、少し嬉しそうに頷いた。
その日の夜。
美香は日記に書いた。
――アキラくんの家は久留米の農家。
――祖父母さんと近所の人たちで農場をしている。
――うちは、音楽をもっと学びたいって話した。
――アキラくんが、もう届いてますって言ってくれた。
――胸が、また変な感じになった。
――守りたい。
――でも、それだけじゃない気もする。
美香は、そこでペンを止めた。
まだ、その気持ちの名前はわからない。
でも、確かに何かが芽生えていた。
次回予告
アキラの家は、久留米の大きな農家。
祖父母と近所の人たちに支えられて暮らしている。
美香は、自分が音楽をもっと学びたいことをアキラへ話す。
そしてアキラは言う。
「僕には、もう届いてます」
次回、第七十八話
「久留米の農場」




