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帰る場所~光の指す方へ  作者: リンダ


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赤嶺章

 第七十六話

「赤嶺章」


 その日の夜。


 小倉家の食卓は、いつものようににぎやかだった。


 光子が味噌汁を見つめながら言う。


「この味噌汁、宇宙みたい」


 優子が即座に突っ込む。


「みっちゃん、味噌汁に宇宙入れんで」


 優馬が乗っかる。


「いや、味噌汁は小さな銀河かもしれん」


 美鈴がすぐに言う。


「優馬まで広げんでよか」


 いつもなら、美香も笑ってツッコミを入れる。


 でも、この日は少し違った。


 美香は箸を持ったまま、どこか考え込んでいた。


 美鈴が気づく。


「美香、どうしたと?」


 美香は少し迷ってから、優馬の方を見た。


「お父さん」


「ん?」


「今日、みらいのたねで会った男の子……アキラくんのことが、気になる」


 優馬の表情が少し真剣になった。


「赤嶺章くん?」


「うん」


 美香は、ゆっくり言葉を探した。


「ちょっとすれ違っただけやけど……目が、昔のうちみたいやった」


 食卓が静かになった。


「助けてって言いたいけど、言ったら壊れるかもしれんって思っとる目やった」


 美鈴は、箸を置いた。


「美香……」


「うち、わかる気がしたと。あの子、何か大きなこと抱えとる」


 優馬は頷いた。


「みらいのたねに確認してみる。もちろん、個人情報もあるけん、勝手には踏み込めん。でも、美香がそう感じたことは大事たい」


 美香は小さく頷いた。


「うん」


 数日後。


 みらいのたねの理事長、アキラの祖父母、学校側との調整を経て、美香とアキラが少し話す機会が設けられた。


 場所は、みらいのたねの小さな相談室。


 大きなテーブルではなく、低い丸テーブル。


 間には、温かいお茶。


 美香の隣には美鈴。


 アキラの近くには、みらいのたねのスタッフがいた。


 アキラは緊張していた。


 美香も緊張していた。


 最初に口を開いたのは、美香だった。


「アキラくん」


「はい」


「この前、来てくれてありがとう」


 アキラは驚いた顔をした。


「僕が……ありがとうって言われるんですか?」


「うん。助けてって言いに来るの、すごく怖かったと思うけん」


 アキラは、少し俯いた。


「怖かったです」


 美香は頷いた。


「うちも、怖かった」


 アキラが顔を上げる。


 美香は、自分の全部を話したわけではない。


 でも、少しだけ伝えた。


「うちも、助けてって言うまで、すごく時間かかった。言ったら、もっとひどくなるかもしれんって思っとった」


 アキラの目が揺れた。


「僕も……先生に言ったら、もっといじめられるかもって思って」


「うん」


「親がいないって言われるんです。お前の家、普通じゃないって」


 アキラの声が震えた。


「僕が悪いわけじゃないのに」


 美香は、静かに言った。


「悪くなかよ」


 その言葉に、アキラは息を呑んだ。


「アキラくんが悪いんやない。事故でご両親を亡くしたことも、祖父母さんの家で暮らしとることも、何も悪くなか」


 アキラの目から涙が落ちた。


「……そう言ってほしかった」


 美香の胸が、ぎゅっと締めつけられた。


 その涙を見た瞬間、美香の中に、今まで知らなかった感情が生まれた。


 守りたい。


 この子に、これ以上傷ついてほしくない。


 それは、光子や優子を思う気持ちとは少し違った。


 妹を守る気持ちとも違う。


 胸の奥が、あたたかくて、少し苦しい。


 美香自身にも、その名前はまだわからなかった。


 アキラは涙を拭いた。


「テレビで、美香さんが言ってたから来ました。助けを求めていいって」


 美香は、少し驚いた。


「うちの言葉で?」


「はい」


 アキラは真っ直ぐ美香を見た。


「あれがなかったら、僕、来られなかったと思います」


 美香は、言葉に詰まった。


 自分の声が届いた。


 誰かの足を、みらいのたねまで運ばせた。


 その誰かが、今、目の前にいる。


 美香は小さく言った。


「来てくれて、本当によかった」


 アキラは頷いた。


「はい」


 その後、アキラの学校でのいじめについて、本格的な対応が始まることになった。


 祖父母も、学校も、みらいのたねも、もう「子ども同士のこと」で済ませないと決めた。


 帰り際。


 アキラは、美香に小さく頭を下げた。


「また……話してもいいですか」


 美香は、少しだけ笑った。


「うん。うちでよければ」


 アキラも、ほんの少し笑った。


 それはまだ、弱い笑顔だった。


 でも、美香にはわかった。


 あの笑顔は、消えかけていた火が、少しだけ残っている証だと。


 その夜。


 美香は日記帳を開いた。


 ――アキラくんと話した。

 ――昔のうちみたいな目をしていた。

 ――でも、ちゃんと来てくれた。

 ――うちの言葉を聞いて来たって言ってくれた。

 ――胸が、変な感じがした。

 ――苦しいけど、嫌じゃない。

 ――守りたいと思った。


 美香は、そこでペンを止めた。


 守りたい。


 自分が誰かを守りたいと思う日が来るなんて、昔の美香には想像できなかった。


 でも確かに、その気持ちは芽生えていた。


 赤嶺章。


 アキラ。


 この出会いが、やがて美香の人生を大きく変えていくことを、まだ二人は知らない。


 ただ、みらいのたねの小さな相談室で。


 傷を抱えた二人の子どもが、初めて互いの痛みを少しだけ分け合った。


 次回予告


 美香は、アキラの目に過去の自分を見た。


 助けてと言いたいのに、言えなかった目。


 話し合いの中で、アキラは初めて涙を流す。


 そして美香の心には、これまで知らなかった感情が芽生え始める。


 守りたい。


 次回、第七十七話

「守りたい人」

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