相談の電話
第七十五話
「相談の電話」
美香の告白が放送されてから、みらいのたねの電話は鳴り続けていた。
保護者から。
学校の先生から。
近所の大人から。
そして、子ども本人から。
「家に帰るのが怖いです」
「友達がいつもお腹を空かせています」
「助けてって言ってもいいんですか」
理事長もスタッフも、一本一本の電話に丁寧に向き合った。
美香の言葉は、確かに誰かの背中を押していた。
そんなある日の午後。
みらいのたねの玄関に、一人の男の子が立っていた。
小柄な小学五年生。
ランドセルを背負ったまま、ぎゅっと拳を握っている。
スタッフが声をかけた。
「こんにちは。どうしたと?」
男の子は、少しだけ顔を上げた。
「……ここ、相談していい場所ですか」
「うん。もちろん」
「僕……赤嶺章って言います。みんなからは、アキラって呼ばれてます」
声は震えていた。
けれど、ちゃんと自分の名前を言った。
スタッフは、無理に中へ連れて行こうとはせず、やさしく言った。
「アキラくん、よかったら中で話そっか。お茶もあるよ」
アキラは少し迷ったあと、小さく頷いた。
相談室で、アキラはぽつりぽつりと話し始めた。
生まれて間もない頃、両親を事故で亡くしたこと。
無理な追い越しをしてきた対向車が、両親の車へ激突したこと。
今は祖父母の家で暮らしていること。
そして、学校で言われる言葉。
「親なし」
「かわいそうなやつ」
「お前の家、普通じゃない」
「なんでお父さんもお母さんもおらんと」
アキラは、膝の上の手を握りしめた。
「僕が悪いわけじゃないって、わかってるんです。でも……言われ続けると、なんか僕が悪いみたいに思えてきて」
スタッフは静かに頷いた。
「うん」
「先生に言ったら、もっとひどくなるかもしれんって思って……でも、テレビで美香さんが言ってたんです」
アキラは、顔を上げた。
「助けを求めていいって」
その言葉を聞いたスタッフは、少し息を呑んだ。
美香の声が、ここにも届いていた。
「だから……来ました」
アキラの目に涙が浮かぶ。
「一人で来ました。怖かったけど」
スタッフは、ゆっくり言った。
「来てくれてありがとう。アキラくん、よく来たね」
その言葉で、アキラの涙がこぼれた。
その日、みらいのたねでは、アキラの祖父母、学校、関係機関へつなぐ準備が始まった。
アキラを一人にしないために。
いじめを「子ども同士のこと」で終わらせないために。
そして夕方。
小倉家から、美鈴と美香がみらいのたねへ顔を出した。
美香は、相談室から出てきたアキラとすれ違った。
アキラは少し驚いた顔をした。
「あ……テレビの」
美香も立ち止まった。
「……小倉美香です」
「赤嶺章です。アキラって呼ばれてます」
しばらく、二人は何も言えなかった。
けれど、美香はわかった。
この子も、何かを抱えてここへ来たのだと。
美香は、そっと言った。
「来てくれて、よかったね」
アキラは、目を赤くしたまま頷いた。
「はい」
その出会いは、ほんの短いものだった。
けれど、のちに。
この男の子が、美香の人生に深く関わっていくことになる。
音楽を共にし、家族となり、春介と春海の父となることを。
この時の二人は、まだ知らない。
ただ、みらいのたねの小さな廊下で。
助けを求めることを覚えた二人の子どもが、初めて名前を交わしただけだった。
⸻
次回予告
美香の言葉をきっかけに、みらいのたねへ相談の声が届き始める。
その中に現れた、小学五年生の男の子。
赤嶺章、通称アキラ。
両親を交通事故で亡くし、学校で激しいいじめを受けていた彼もまた、助けを求めてやって来た。
次回、第七十六話
「赤嶺章」




