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帰る場所~光の指す方へ  作者: リンダ


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悪夢のあとで

第七十話


「悪夢のあとで」


 悪夢は、まだ美香を追いかけてきた。


 夜中。


 美香は布団の中でうなされた。


「いや……来んで……」


 隣で寝ていた光子と優子が、同時に目を覚ました。


「美香おねーちゃん?」


「大丈夫?」


 美香は、はっと飛び起きた。


 息が荒い。

 額には汗。

 目はまだ、夢の中にいた。


「ごめん……ごめんなさい……」


 光子がすぐに手を握る。


「謝らんでよか!」


 優子も反対側から寄り添った。


「お姉ちゃん、大丈夫やけん。うちらがそばにおるよ」


 美香の目から涙が落ちた。


「また……夢見た」


 美鈴も物音に気づいて部屋へ来た。


「美香、大丈夫?」


 美香は震えながら頷いた。


 美鈴は、そっと近くに座った。


「怖かったね。でも、ここは小倉家たい。もう黒木の家やなか」


 その言葉を、美香は何度も胸の中で繰り返した。


 ここは小倉家。


 もう、あの家じゃない。


 月に一度のメンタルクリニック通院も続いていた。


 美香は、少しずつ話せるようになっていた。


「夢を見ました」


「どんな夢でしたか」


「和正と香織が……迎えに来る夢です」


 先生は静かに頷いた。


「怖かったですね」


「はい。でも、起きたら光子と優子がいて……お母さんも来てくれて……前より、戻ってこられるのが早かった気がします」


「それは、とても大きな前進です」


 美香は、小さく頷いた。


 悪夢は消えない。


 でも、悪夢のあとに戻れる場所がある。


 それだけで、美香は少しずつ生き直していた。


 だが。


 悪夢は、現実の形をして再び現れた。


 ある日の下校途中。


 美香は、光子と優子とは別に、博多南中学校から白金荘へ向かって歩いていた。


 夕方の通学路。


 いつもの道。


 だが、角を曲がった瞬間、足が止まった。


 そこに、和正と香織がいた。


 美香の身体が凍りつく。


「……美香」


 香織の声。


 和正は、以前よりやつれた顔をしていたが、目の奥にはまだ濁った執着があった。


「やっと見つけたぞ」


 美香は後ずさった。


「来んで……」


「何が来んでや。親に向かって」


「うちは……もう小倉家の子たい」


 震える声で、そう言った。


 和正の顔が歪んだ。


「ふざけんな。お前は黒木美香や」


「違う……」


「帰るぞ」


 和正が腕を伸ばした。


 美香は逃げようとした。


 だが香織が回り込む。


「美香、お願い。帰ってきて。お父さんも反省してるから」


「嘘……」


 美香は首を振った。


「お金が欲しいだけやろ……」


 和正の表情が変わった。


「口答えするようになったな」


 その瞬間、美香のスマホが震えた。


 小倉家では、美香の帰宅時間がいつもより遅いことに、すぐ気づいていた。


 美鈴が時計を見る。


「美香、遅くなか?」


 優馬がスマホを確認する。


「位置情報、通学路の途中で止まっとる」


 二人の顔が変わった。


「行くよ」


「うん」


 優馬と美鈴は、すぐに通学路へ向かった。


 GPSの位置情報を頼りに走る。


 そして。


 角を曲がった先で、見た。


 和正と香織。


 その前で震える美香。


 美鈴の目が、冷たく光った。


「美香!」


 美香が振り返る。


「お母さん……!」


 優馬が美香の前へ出る。


「美香、こっち来んしゃい」


 美香は走った。


 美鈴が抱きとめる。


 和正は舌打ちした。


「よぉ、またあんたか」


 美鈴は美香を背にかばった。


「接近禁止、出とったよね」


 優馬の声も低かった。


「警察呼んどる」


 和正はにやりと笑った。


「あの時の礼は、たっぷりさせてもらうぞ」


 そう言って、美鈴へ向かって踏み出した。


 その瞬間。


 優馬が動いた。


 これまで穏やかだった優馬の顔が、完全に変わっていた。


「美鈴と美香に手ぇ出すな」


 低い声。


 和正が怯む。


 次の瞬間、優馬の拳が和正の肩口を押し返すように入った。


 体勢を崩した和正。


 そこへ、美鈴が一歩踏み込む。


「前にも言うたよね」


 青白い怒りが、再び燃える。


「子どもを金の道具にする奴は、許さんって」


 渾身の膝蹴りが、再び和正の急所へ炸裂した。


「ぐあっ……!」


 和正は苦悶の表情を浮かべ、地面に崩れ落ちた。


 香織が悲鳴を上げる。


「和正!」


 美鈴は、震える美香を抱きしめたまま言った。


「美香は、もう帰らん。あんたらのところには、二度と帰らん」


 優馬が静かに続ける。


「今度は言い逃れできんよ。接近禁止を破って、未成年を無理やり連れ去ろうとした。全部、記録に残る」


 まもなく警察が到着した。


 和正と香織は、その場で身柄を確保された。


 和正はなおも叫んだ。


「俺は父親やぞ!」


 警察官は冷静に告げた。


「その立場を使って接近したことが問題です」


 香織は泣き崩れた。


「私は……私はただ……」


 美鈴は言った。


「美香を守らんかった時点で、母親としての責任から逃げたんよ」


 その言葉に、香織は何も言い返せなかった。


 美香は、美鈴の腕の中で泣いていた。


「怖かった……」


「うん。怖かったね」


「また連れて行かれると思った……」


「もう行かせん」


 優馬もそばにしゃがんだ。


「美香。よう言えたね。“小倉家の子たい”って」


 美香は泣きながら頷いた。


「うち……帰りたくなかった」


「帰らんでいい」


 その日を境に、事態は大きく動き出した。


 和正と香織には、接近禁止違反と未成年者への連れ去り未遂、過去の虐待に関する刑事手続きが開始された。


 警察の取り調べ。


 児童相談所の記録。


 学校の記録。


 みらいのたねの記録。


 スマホに残されたメッセージ。


 金銭要求の通話記録。


 すべてがつながっていった。


 やがて、刑事裁判。


 そして民事裁判へ進むことになる。


 その夜。


 小倉家へ戻った美香は、また震えていた。


 光子と優子が泣きながら抱きついた。


「美香おねーちゃん!」


「怖かったね……」


 美香は二人を抱きしめ返した。


「うん……でも、お父さんとお母さんが来てくれた」


 優馬と美鈴は、黙って美香を見守った。


 悪夢は、まだ終わっていなかった。


 けれど美香は、もう一人で悪夢の中に閉じ込められてはいなかった。


 起きた時にも。


 現実で襲われた時にも。


 必ず誰かが、迎えに来てくれる。


 守ってくれる。


 美香はその夜、日記にこう書いた。


 ――今日、怖かった。

 ――でも、私は言えた。

 ――うちは小倉家の子たい。

 ――もう帰らん。

 ――お父さんとお母さんが、来てくれた。

 ――光子と優子が、泣いてくれた。

 ――私は、一人じゃなかった。



次回予告


 和正と香織は、美香への接近禁止を破り、通学路で待ち伏せした。


 だが、美香は言った。


 「うちは、もう小倉家の子たい」


 優馬と美鈴が駆けつけ、再び和正たちは警察へ連行される。


 刑事手続き、そして民事裁判へ。


 美香は、自分の過去と法廷で向き合うことになる。


 次回、第七十一話

 「裁かれる親」

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