金の亡者
第六十七話
「金の亡者」
黒木和正と香織は、もう美香の親ではなかった。
少なくとも、美香を守る存在ではなかった。
和正が見ていたのは、美香の顔ではない。
出演料。
印税。
テレビ出演。
配信収益。
支援金。
金だった。
「テレビに出たんや。金は出とるはずや」
和正は、苛立ったようにテーブルを叩いた。
「こっちは生活苦しいんやぞ。少しくらい回して当然やろ」
香織は小さく言った。
「でも、もう美香は小倉家の子やし……」
「血はこっちや!」
和正が怒鳴る。
「俺らが育てたんやぞ!」
香織は目を伏せた。
育てた。
その言葉が、どれだけ空虚か、香織にもわかっていた。
食べさせなかった。
守らなかった。
必要な物を与えなかった。
泣いている娘を抱きしめなかった。
それでも和正は、堂々と「育てた」と言った。
次に和正が取った手段は、番組局への電話だった。
「トリプルピーチ★の出演料について聞きたい」
当然、相手にされなかった。
事務所でもない。
保護者でもない。
契約関係者でもない。
電話はすぐに切られた。
次に、みらいのたねへ電話。
これも記録され、関係機関へ共有された。
さらに、SNSへ書き込もうともした。
「あの子は本当は俺たちの娘です」
「小倉家に奪われました」
「出演料の扱いがおかしい」
だが、すぐに削除された。
関係者はすでに警戒していた。
美香の安全と名誉を守るため、対応は早かった。
一方、小倉家では、美香がトロンボーンの練習を終えて帰ってきたところだった。
「ただいま」
「おかえり、美香」
美鈴の声。
「おかえりー!」
「今日は新ネタある!」
光子と優子が飛びついてくる。
美香は笑った。
「また新ネタ?」
光子が胸を張る。
「金の亡者撃退マン!」
優子がすかさず言う。
「それ、今はやめとこ」
美香は首を傾げた。
「金の亡者?」
美鈴と優馬が一瞬、目を合わせた。
美香には、まだ詳しく知らせていなかった。
和正たちが出演料に執着していること。
関係先へ接触していること。
その全部を、今の美香に背負わせる必要はなかった。
優馬は、穏やかに言った。
「美香。もし知らん人とか、前の家の人から何か連絡が来ても、絶対に一人で返事せんでな」
美香の顔が少し強張った。
「……また、来たと?」
美鈴は隠さなかった。
ただし、必要以上に怖がらせないように、言葉を選んだ。
「少し動きがあった。でも、大人たちでちゃんと対応しとる。美香が一人で抱えることじゃなか」
美香は膝の上で手を握った。
「うちのせいで……」
「違う」
美鈴はすぐに言った。
「美香のせいやなか」
優馬も続けた。
「悪いのは、美香を金の道具みたいに見とる人たちたい」
美香は唇を噛んだ。
それでも、昔の言葉が戻ってくる。
金食い虫。
役立たず。
お前のせい。
その時、光子が前に出た。
「美香おねーちゃんは、金食い虫やなか!」
優子も言う。
「美香おねーちゃんは、うちらのお姉ちゃんたい」
光子が力強く言う。
「金より大事!」
優子も頷く。
「出演料より大事!」
優馬が小さく笑った。
「そこ比較するんやな」
美香は涙ぐみながら、少し笑った。
「ありがとう」
その夜。
小倉家、みらいのたね、学校、児童相談所、警察の間で、あらためて情報共有が行われた。
和正と香織による接触行為。
金銭要求の兆候。
SNS投稿の試み。
番組局への問い合わせ。
すべてが記録された。
美香の出演料や収益は、法的にも実務的にも、美香本人の教育・生活・将来のために管理されることになった。
和正と香織に渡る余地はなかった。
それでも和正は諦めなかった。
「奪われたんや」
彼はそう言った。
だが、本当に奪われたのは、美香の幼少期だった。
食べる権利。
眠る安心。
清潔でいる尊厳。
学校に通う喜び。
助けてと言える自由。
それを奪った人間が、今度は美香の未来の金まで奪おうとしている。
その事実に、美鈴の怒りは静かに燃えていた。
「絶対に渡さん」
美鈴は言った。
「美香の未来は、美香のものたい」
優馬も頷いた。
「俺らが守る」
その頃、美香は自分の部屋で日記を書いていた。
――今日、少し怖い話を聞いた。
――でも、お父さんとお母さんが、美香のせいやないって言ってくれた。
――光子と優子も、うちは金より大事って言ってくれた。
――まだ怖い。
――でも、前みたいに一人じゃない。
最後に、美香は少し迷ってから書いた。
――私の未来は、私のもの。
書いたあと、その文字をじっと見つめた。
まだ弱い文字だった。
でも、確かに自分の手で書いた言葉だった。
次回予告
和正と香織は、美香の出演料を狙って動き始める。
だが、小倉家、みらいのたね、学校、児童相談所、警察は連携し、美香の未来を守る。
美香はまだ怖い。
それでも少しずつ、自分の人生は自分のものだと知り始める。
そんな中、トリプルピーチ★には新たな仕事が舞い込む。
次回、第六十八話
「二曲目の依頼」




