届いた音
第六十一話
「届いた音」
全国大会終了後の宇都宮市文化会館。
ロビーには、まだ興奮の熱が残っていた。
「おめでとうございます!」
「博多南中、すごかったです!」
「ルパン、最高でした!」
全国から集まった吹奏楽部員たちが、口々に声をかけてくる。
美香は、まだ実感が追いついていなかった。
最優秀賞。
全国一位。
自分たちが。
本当に。
トロンボーンケースを抱えたまま、ぼんやり立っていると、後ろから軽く頭を叩かれた。
「ぼーっとしすぎや、美香ちゃん」
温也だった。
郷子も笑っている。
「まだ信じられん顔しとるね」
美香は小さく笑った。
「だって……ほんとに夢みたいで」
温也は肩をすくめる。
「夢やったら、俺ら全員ルパンに撃たれて宇宙飛んどるわ」
郷子が即座に突っ込む。
「意味わからん」
「いや、999感も混ざってもうた」
「混ぜんで」
その掛け合いに、美香は笑った。
あの日。
みらいのたねで初めて聞いた、あの空気。
笑いながら、ちゃんと音を届ける人たち。
自分をここまで連れてきてくれた人たち。
郷子は、美香を見ながら静かに言った。
「でも、美香ちゃんの音、ほんまによかった」
美香は驚いたように顔を上げた。
「私の……音?」
「うん」
郷子は頷いた。
「最初のみらいのたねの時より、ずっと前向いとった」
温也も笑う。
「トロンボーン、もう“吹かされとる音”やなかったで。“自分で鳴らしとる音”やった」
その言葉に、美香の胸が熱くなった。
自分の音。
そう言ってもらえた。
ほんの数ヶ月前まで、美香には“自分”がなかった。
怒られないように。
殴られないように。
迷惑にならないように。
それだけで生きていた。
でも今は違う。
吹きたい音がある。
届けたい音がある。
一緒に演奏したい仲間がいる。
優馬と美鈴もロビーへやってきた。
光子と優子は、完全にテンションが限界突破していた。
「全国一!」
「ルパン最強!」
優馬が笑う。
「お前ら、もう宇都宮じゅうに聞こえる声出しよるぞ」
光子が胸を張る。
「全国に届ける!」
優子も頷く。
「音量が吹奏楽部」
美鈴は、美香の前に立った。
そして、そっと頭を撫でた。
「美香」
「……はい」
「よう頑張ったね」
その一言で、美香の目にまた涙が浮かんだ。
美鈴も泣いていた。
「全国の舞台で、ちゃんと自分の音、出しきったね」
優馬も隣で頷く。
「うちの娘、かっこよかった」
その言葉を聞いた瞬間。
美香の涙が、一気に溢れた。
「……お父さん」
優馬が優しく笑う。
「ん?」
「お母さん……」
美鈴が頷く。
「うん」
美香は、泣きながら言った。
「生きてて……よかった」
周囲が静かになった。
その言葉が、どれだけ重いものか、みんな知っていた。
那珂川の欄干。
「死にたい」と言った保健室。
「食べるな」と言われた食卓。
空っぽの弁当箱。
見えない痣。
夜の足音。
そこから、ここまで来た。
美香は泣きながら、何度も言った。
「生きてて……よかった……」
美鈴は、美香を抱きしめた。
「うん。生きててくれて、ありがとう」
優馬も、その背中にそっと手を置いた。
光子と優子も、ぎゅっと抱きつく。
「美香おねーちゃん!」
「大好き!」
温也と郷子は、その光景を少し離れた場所から見ていた。
温也が小さく言う。
「届いたな」
郷子が頷く。
「うん。ちゃんと届いた」
それは、ルパン三世のテーマのことだけではなかった。
音楽。
笑い。
優しさ。
居場所。
全部が、美香の心に届いていた。
宇都宮の夜。
吹奏楽の音が消えたあとも、美香の胸の中では、まだルパンが鳴っていた。
自由で。
前向きで。
どこまでも走っていく音。
その音は、これから先の美香の人生を、きっと何度も支えていく。
次回予告
「生きててよかった」
全国大会の夜、美香は初めて心からそう言った。
ルパン三世のテーマ。
仲間の音。
小倉家の笑い声。
それらが、美香をここまで連れてきた。
そして、新しい夢が少しずつ生まれ始める。
次回、第六十二話
「未来の音」




