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帰る場所~光の指す方へ  作者: リンダ


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父の仕事

第四話


「父の仕事」


 黒木和正の仕事は、トラック配送だった。


 朝は早い。


 まだ美香が眠っている時間に起き、作業着に着替え、台所で冷えた麦茶を一杯飲む。


「行ってくる」


 香織が眠そうに顔を出す。


「気をつけてね」


「ああ」


 美香が幼稚園に入ってからも、和正の朝は変わらなかった。


 変わったのは、荷物の量だった。


 配送件数は増えた。

 時間指定は細かくなった。

 再配達も増えた。

 道は混み、客先では急かされ、会社に戻れば次の積み込みが待っている。


「これ、今日中に全部か?」


 同僚の一人が、伝票の束を見て声を上げた。


「無理やろ」


「無理でも行けってよ」


「人、足りんのよ」


 倉庫の中には、朝から重たい空気が漂っていた。


 和正も黙って荷物を積み込んでいたが、額にはすでに汗がにじんでいた。


「黒木、お前も最近帰り遅いやろ」


「ああ。美香が寝とる時間にしか帰れん日もある」


「うちもや。子どもに『父ちゃん、今日も仕事?』って言われると、きついわ」


 別のドライバーが、荷台の扉を閉めながら言った。


「このままやったら、誰か事故るぞ」


 その言葉に、周囲が一瞬黙った。


 誰も冗談だとは思わなかった。


 疲労は、ハンドルを握る手を鈍らせる。

 焦りは、判断を誤らせる。

 睡眠不足は、赤信号も歩行者も見落とさせる。


 ドライバーたちは、それを知っていた。


 その日の夕方。


 配送を終えた和正たちは、会社の休憩室に集まった。


 安い自動販売機のコーヒー。

 くたびれた椅子。

 壁に貼られた安全運転のポスター。


 その下で、ドライバーたちは管理職に訴えた。


「もう限界です」


「今の人数じゃ回りません」


「このままだと、いつか本当に事故が起きます」


「家族との時間も取れません」


「子どもの行事に行けないどころか、顔を見る時間も減ってます」


 和正も、珍しく声を出した。


「俺ら、仕事を嫌がっとるわけじゃないです。でも、人が足りなさすぎます。疲れたまま運転するのは危ない。会社としても、事故が起きてからじゃ遅いでしょう」


 管理職は最初、難しい顔をしていた。


 人件費。

 採用難。

 予算。

 取引先との契約。


 言い訳はいくらでもあった。


 だが、現場の声は重かった。


 翌週、会社はドライバーの増員を決めた。


 すぐに劇的に楽になるわけではなかった。


 それでも、現場には少しだけ空気が戻った。


「やっとか」


「これで少しは早く帰れるかね」


「事故起こしてからじゃ遅いけんな」


 和正も、久しぶりに少しだけ表情を緩めた。


 その夜、和正はいつもより早く帰宅した。


 玄関を開けると、美香が走ってきた。


「父ちゃん!」


「おお、美香。まだ起きとったんか」


「今日、幼稚園でね、歌った!」


「何を?」


「ぞうさん!」


 美香はその場で歌い出した。


 音程は少し外れていた。

 歌詞も途中で怪しかった。


 それでも和正は、靴を脱ぐのも忘れて笑った。


「うまいやん」


「ほんと?」


「ほんと。父ちゃんよりうまい」


 香織が台所から顔を出した。


「それは比べる相手が低すぎる」


「おい」


 久しぶりに、家の中に笑い声が響いた。


 食卓には、焼き魚と味噌汁と、香織がパート帰りに安く買った惣菜が並んでいた。


 豪華ではない。


 それでも三人で囲む夕食は、美香にとって十分なごちそうだった。


「会社、人増えるらしい」


 和正が味噌汁を飲みながら言った。


「ほんと?」


「ああ。俺らで言った。もう限界やって」


「よかったやん」


「少しは早く帰れるかもしれん」


 美香が箸を止める。


「じゃあ、父ちゃん、また公園行ける?」


 和正は一瞬、目を細めた。


「ああ。行ける」


「大濠公園?」


「大濠でも、海の中道でも」


「ほんと?」


「約束」


 美香は嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見て、和正は思った。


 この子のために、ちゃんと働こう。


 この子のために、事故なんか起こせない。


 その時の和正は、本気でそう思っていた。


 けれど、人は安心した時にも油断する。


 少し楽になったと思った時、別の疲れが顔を出す。


 増員が決まり、職場の空気は少し和らいだ。


 忘年会をやろう、という話も出た。


「今年はよう頑張ったけん、ぱーっと飲もうや」


「飲みすぎんなよ」


「明日も仕事ある奴は気をつけろよ」


 その冗談を、誰も本気で受け止めなかった。


 まだ、その時は。


 和正も、まだ知らなかった。


 仕事を支えていたトラックのエンジン音が、いつか自分の人生を壊す音になることを。


 美香も、まだ知らなかった。


 父が「事故なんか起こせない」と言ったその手で、酒が抜けないままハンドルを握る日が来ることを。



次回予告


 会社に増員を訴え、ようやく現場の負担は少し軽くなる。


 和正は久しぶりに早く帰り、美香の歌を聞き、家族との時間を取り戻しかけていた。


 だが、年末が近づくにつれ、職場には別の空気が流れ始める。


 忘年会。

 酒。

 油断。

 そして、翌朝のハンドル。


 次回、第五話

 「忘年会」


 大丈夫という言葉ほど、危ないものはない。

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