理事長のお願い
第四十八話
「理事長のお願い」
その日のみらいのたねは、午後の光がやわらかかった。
フリースペースの窓際で、美香は静かに座っていた。
そこへ、光子と優子が駆け込んでくる。
「美香おねーちゃん!」
「一緒にお歌歌おう!」
美香は少し驚いた顔をした。
「お歌?」
「うん!」
「みっちゃんもゆうちゃん、歌上手いと?」
光子は胸を張った。
「えっへん。うちら歌上手いよ〜」
優子も両手を腰に当てる。
「テレビでも歌ったことあるでしゅ!」
優馬が横から小声でつぶやいた。
「なお、音程は元気で補っております」
美鈴がすぐに突っ込む。
「元気で補うって何ね」
光子は気にしない。
「まずは、となりのトトロ!」
優子が続ける。
「次は、魔女の宅急便!」
美香は目を丸くした。
光子と優子は、小さな身体いっぱいに声を響かせて歌い始めた。
音程は時々、空の彼方へ旅に出た。
リズムも少し走った。
でも、その声には怖さがなかった。
怒鳴り声ではない。
責める声ではない。
誰かを黙らせるための声ではない。
ただ、楽しくて、嬉しくて、誰かと一緒にいたいという声だった。
美香は最初、聴いているだけだった。
けれど、光子が手を差し出す。
「美香おねーちゃんも!」
優子も言う。
「一緒に歌うと、もっと楽しか!」
美香は戸惑いながら、小さく口を開いた。
声はかすれていた。
でも、光子と優子は満面の笑顔になった。
「歌った!」
「美香おねーちゃん、歌ったでしゅ!」
そして最後に、三人で「優しさに包まれたなら」を歌った。
美香は、歌いながら胸がいっぱいになっていった。
歌の中にある、やわらかな優しさ。
見守られているような温かさ。
世界のどこかに、自分を受け止めてくれる場所があるような感覚。
それが、美香の凍りついた心に触れた。
涙がこぼれた。
一度あふれると、もう止まらなかった。
「ごめんなさい……」
美香は反射的に謝った。
けれど光子が首を振る。
「泣いてよか!」
優子も、美香の手を握った。
「優しさで包むけん」
美鈴はそっと近づき、美香の背中を撫でた。
「歌って、不思議やね。言葉にできん気持ちも、少しだけ外に出してくれる」
美香は泣きながら頷いた。
この時、美香はまだ知らなかった。
音楽が、自分の人生を救うことを。
トロンボーンの音に出会い、博多南中学校で吹奏楽を始め、やがて世界のステージに立つことを。
でも、この日。
光子と優子の歌声が、美香の心に小さな灯りをともした。
それは、まだ弱い光だった。
けれど確かに、消えかけていた美香の中で揺れていた。
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次回予告
光子と優子の歌声に、美香の涙は止まらなくなった。
笑いだけではない。
歌もまた、心に届く。
その様子を見ていたみらいのたね理事長は、ある動画を思い出す。
山口の中学生カップル、湯田温也と上田郷子。
そして、山口第一中学校吹奏楽部。
次回、第四十九話
「爆笑コント動画」




