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帰る場所~光の指す方へ  作者: リンダ


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お風呂に入れない

 第二十二話

「お風呂に入れない」


 美香のために支給されているはずのお金が、家に残らなくなっていた。


 学用品。

 給食費。

 医療費。

 生活の補助。


 本来なら、美香が学校に通い、食べ、洗い、眠るためのお金だった。


 だが、その一部は、和正の手を通ってパチンコ屋の灯りの中へ消えていった。


 平日の昼間。


 城南小学校の同級生の母親・村瀬由紀は、買い物帰りに駅前を歩いていた。


 その時、見覚えのある男がパチンコ屋へ入っていくのを見た。


「……黒木さんのお父さん?」


 由紀は足を止めた。


 彼女は市役所で児童福祉関係の仕事をしていた。

 だからこそ、妙に引っかかった。


 平日の昼間。

 仕事着ではない。

 生活が苦しいと学校から相談が上がっていた家庭。

 そして、最近の美香の様子。


 服の汚れ。

 体臭。

 給食への執着。

 不自然な痣。


 偶然かもしれない。


 けれど、見過ごせなかった。


 用事を済ませたあと、由紀は市役所へ戻り、確認できる範囲で黒木家の支援状況を調べた。


 そこには、美香のための支援が記録されていた。


 就学援助。

 生活に関する補助。

 相談窓口への接続。


 少なくとも、何も支給されていない家庭ではなかった。


 由紀は画面を見つめたまま、眉を寄せた。


「……これ、美香ちゃんに届いてる?」


 疑いは、確信ではない。


 だが、胸の奥がざわついた。


 美香の制服は日に日に汚れている。

 お風呂にも満足に入れていないように見える。

 文房具もぎりぎりまで使い込んでいる。

 それなのに、父親は平日の昼間からパチンコ屋にいる。


 由紀は、すぐに決めつけることはしなかった。


 だが、記録を残した。


 学校との情報共有が必要だと思った。


 一方その頃、美香は家で、風呂場の前に立っていた。


「母ちゃん、お風呂……」


 香織は疲れた顔で振り向いた。


「今日はシャワーだけにして」


「うん」


「早く出てよ。ガス代かかるけん」


「うん」


 浴室は寒かった。


 お湯はすぐに止めなければならない。


 髪をちゃんと洗う時間もない。

 身体を丁寧に洗う余裕もない。

 石けんも残り少ない。


 美香は、急いで身体を流した。


 腕の痣を見ないようにした。

 太ももの青黒い跡も、見ないようにした。


 湯気の少ない浴室で、美香は小さく震えた。


 翌日、教室で誰かが言った。


「黒木さん、また臭い」


 美香は机の下で拳を握った。


 何も言わなかった。


 言えば、家で怒られる。

 言わなくても、学校で笑われる。


 どちらにいても、苦しかった。


 放課後、職員室では田上先生と新しい担任、そして市役所の村瀬由紀が話していた。


「断定はできません。ただ、気になる状況があります」


 由紀は慎重に言葉を選んだ。


「支援は出ています。ですが、美香さんの生活状態を見る限り、それが本人のために使われているように見えない」


 田上先生の顔がこわばった。


「やはり……」


「父親が平日の昼間にパチンコ屋へ入るのを見ました。もちろん、それだけで判断はできません。でも、美香さんの状態と合わせると、見過ごせません」


 担任が静かに言った。


「このままでは、あの子、本当に壊れてしまいます」


 職員室に沈黙が落ちた。


 慎重に。

 でも、遅すぎないように。


 大人たちは、ようやく本格的に動き始めようとしていた。


 しかしその夜。


 和正はまた負けて帰ってきた。


 冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す。


 プシュ。


 美香はその音だけで、身体を固くした。


「今日、学校で何か言われたか」


 和正が低く聞いた。


「……何も」


「本当か」


「うん」


「先生に余計なこと言うなよ」


「言ってない」


「市役所の奴らにもだ」


 美香は意味がわからず、ただ頷いた。


「うん」


 自分のために出ているお金が、自分に届いていない。


 そのことを、美香はまだ知らなかった。


 ただ、自分が風呂に入ることも、鉛筆を使うことも、ご飯を食べることも、全部お金がかかるのだとだけ思っていた。


 そしてそのお金が足りないのは、自分がいるせいだと、少しずつ思い込まされていった。


 次回予告


 美香のための支援金が、パチンコに消えているかもしれない。


 市役所職員でもある同級生の母親は、学校と情報を共有し始める。


 だが、家庭の中ではまだ何も変わらない。


 入れない風呂。

 落ちない汚れ。

 教室での嘲笑。

 そして、和正の警戒。


 次回、第二十三話

「サイズの合わない靴」


 成長する子どもの身体に、生活の崩壊は追いつかない。

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