表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰る場所~光の指す方へ  作者: リンダ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/36

見えない痣

第二十一話


「見えない痣」


 田上先生は、職員室で美香のノートを開いていた。


 字は、以前より小さくなっていた。


 行の隙間に、逃げ込むように書かれた文字。

 端まで使われたページ。

 消しゴムで強くこすった跡。


 そして、最近増えた欠席と体調不良。


「黒木さん、少し気になります」


 田上先生は、学年主任にそう言った。


 保健室の先生も加わった。


「この前、腕に痣がありました。本人は転んだと言っていましたが、場所が少し不自然でした」


「給食の食べ方も変わっています。かなり急いで食べる日があります」


「服装や匂いのことも、子どもたちの間で言われ始めています」


 職員室の空気が重くなった。


 誰も、軽く扱ってはいなかった。


 けれど、踏み込むには怖さがあった。


 児童相談所や警察に通報すれば、美香を守れるかもしれない。

 だが、家に連絡が入ったあと、和正の怒りが美香へ向かう可能性もある。


「このままでは、黒木さんが壊れてしまう」


 田上先生の声は震えていた。


「でも、動き方を間違えたら、さらに危険になるかもしれません」


 学年主任は静かに頷いた。


「記録を続けましょう。保健室、学年、管理職で共有します。本人が話せる場も作る。ただし、家庭には慎重に」


 その慎重さは、必要だった。


 けれど同時に、時間を奪った。


 美香は五年生になった。


 担任は変わったが、申し送りは行われた。


 新しい担任の先生も、美香を注意深く見ていた。


 だが、美香はさらに話さなくなっていた。


「大丈夫です」


「転びました」


「何もありません」


 その三つの言葉で、自分を守る。


 学校でのいじめもひどくなっていった。


「黒木さん、また同じ服?」


「なんか臭い」


「近く来んで」


 誰かが鼻をつまむ。


 別の誰かが笑う。


 美香は何も言わない。


 言い返せば、もっと目立つ。

 目立てば、もっと言われる。

 家でのことを知られたら、もっと怖い。


 だから黙る。


 休み時間、美香は教室の隅にいた。


 給食の時間だけは、まだ少しだけ救いだった。


 温かい汁物。

 白いご飯。

 ちゃんと用意されたおかず。


 でも、それすらもからかいの材料になった。


「黒木さん、食べるの早すぎ」


「家で食べてないんじゃない?」


 笑い声。


 美香は箸を止めた。


 本当のことに近い言葉ほど、傷は深かった。


 放課後、先生に呼ばれた。


「黒木さん、最近つらいことない?」


 美香は首を振った。


「ないです」


「学校で何か言われてない?」


「大丈夫です」


「家では?」


 その瞬間、美香の顔がこわばった。


「普通です」


 先生は、それ以上聞けなかった。


 美香の目が、はっきり怯えていたからだった。


 その日の帰り道。


 美香は、ランドセルを背負ったままゆっくり歩いた。


 家に帰れば父がいるかもしれない。

 母は疲れているかもしれない。

 学校ではまた明日、誰かに臭いと言われるかもしれない。


 どこへ行っても、息がしにくい。


 小学五年生の春。


 美香は、まだ子どもだった。


 けれどもう、子どもらしく泣くことも、甘えることも、助けてと言うこともできなくなっていた。


 見えない痣は、身体だけではなかった。


 心の奥に、誰にも見えない青黒い跡が、少しずつ広がっていた。



次回予告


 学校は美香の異変を共有し始めた。


 だが、踏み込めない時間の中で、美香は五年生になる。


 家では暴力と沈黙。

 学校では匂いと服装を理由にしたいじめ。

 給食だけが、かすかな救い。


 そして、美香はますます自分の存在を小さくしていく。


 次回、第二十二話

 「お風呂に入れない」


 清潔でいることさえ、許されない生活が始まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ