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帰る場所~光の指す方へ  作者: リンダ


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パチンコ屋の灯り

第十六話


「パチンコ屋の灯り」


 その日、和正は日雇いの仕事を終えて、駅前を歩いていた。


 手元には、封筒に入った一万円。


 朝から荷物を運び、腰が痛くなるまで働いて、ようやくもらった金だった。


 本来なら、まっすぐ家に帰るべきだった。


 米を買う。

 洗剤を買う。

 美香の学校用品に回す。

 家賃の足しにする。


 使い道はいくらでもあった。


 けれど和正は、駅前のパチンコ屋の前で足を止めた。


 明るい看板。

 自動ドアが開くたびに漏れる音。

 玉が弾ける音。

 店内の白い光。


 和正は、封筒の中の一万円を握った。


「少しだけ……」


 そう言い訳した。


 少し増やして帰ればいい。

 五千円でも増えれば、香織も少しは黙る。

 美香にもノートくらい買える。

 自分は運が悪かっただけだ。

 今日は取り戻せるかもしれない。


 最初の千円が消えた。


 次の千円も消えた。


 和正は椅子に座ったまま、画面を睨んだ。


 帰れ。


 頭のどこかで、そう言う声がした。


 だが、その時だった。


 派手な音が鳴った。


 光が走った。


 画面の中で数字が揃った。


「……来た」


 胸が跳ねた。


 それからは、現実感が薄れていった。


 玉が出る。

 音が鳴る。

 数字が揃う。

 周りの客がちらりと見る。


 和正の中で、久しぶりに何かが満たされていく感覚があった。


 面接で落とされない。

 香織に責められない。

 過去を聞かれない。

 ただ、台が光り、玉が増える。


 その日、和正は約五万円を手にして店を出た。


 外の冷たい空気に触れた瞬間、笑いがこぼれた。


「勝った……」


 家に帰ると、香織は驚いた顔をした。


「なに、そのお金」


「増やしてきた」


「増やした?」


「パチンコ。五万くらい勝った」


 香織の顔が一瞬明るくなった。


 五万円。


 それは今の黒木家には大金だった。


 食費。

 滞っていた支払い。

 洗剤。

 美香の文房具。


 少しだけ息ができる金額だった。


「……でも、元はいくら使ったと?」


「一万」


「一万?」


「勝ったんやけん、いいやろ」


 香織は何か言おうとして、やめた。


 責めたら、また怒るかもしれない。


 それに、今はお金が必要だった。


「じゃあ、ちゃんと生活費に回して」


「わかっとる」


 和正はそう言った。


 その夜、久しぶりに食卓に少しだけ余裕が戻った。


 肉が出た。

 美香には新しい鉛筆と消しゴムが買われた。

 香織は洗剤も買った。


 美香は、少し安心した。


「父ちゃん、お仕事決まったと?」


 和正は一瞬、黙った。


「いや……でも、金はある」


「そっか」


 美香はそれ以上聞かなかった。


 大人の話には、踏み込まない方がいい。


 そう覚え始めていたからだ。


 だが、和正の中では別のものが芽を出していた。


 次も勝てるかもしれない。


 今日みたいに当たれば、働くより早い。


 面接で頭を下げなくていい。

 退職理由を聞かれなくていい。

 自分を拒む相手に笑われなくていい。


 翌週。


 和正はまたパチンコ屋へ行った。


 今度は勝てなかった。


 一万円が消えた。


 和正は台を睨んだ。


「この前は出たのに……」


 取り戻そうとして、さらに金を入れた。


 負けた。


 帰宅した時、財布は軽くなっていた。


 香織が聞いた。


「今日の日雇い代は?」


「……使った」


「使ったって、何に?」


 和正は答えなかった。


 香織の顔色が変わる。


「まさか、またパチンコ?」


「次は出ると思ったんだよ」


「何しよると! 生活費も足りんのに!」


「うるさいな!」


 和正の怒鳴り声が、部屋に響いた。


 美香は自分の部屋で、鉛筆を握ったまま固まった。


 パチンコ。


 その言葉の意味は、詳しくはわからない。


 でも、それがお金をなくすものだということはわかった。


 そこから、黒木家の穴はさらに大きくなっていった。


 日雇いで得た金が、まっすぐ家に入らない日が増える。


 勝った日は、和正の機嫌がいい。


 負けた日は、部屋の空気が重い。


 香織は、和正を怒らせないように言葉を選ぶようになった。


「今日は……どうやった?」


「聞くな」


「ごめん」


 謝る必要のない場面で、香織が謝る。


 それを見て、美香はさらに黙るようになった。


 やがて、食卓から肉が消えた。


 洗剤はまた薄く使われるようになった。


 美香の制服の襟元には、落ちきらない汚れが残るようになった。


 風呂の時間も短くなった。


「早く出なさい。ガス代かかる」


「うん」


 美香は湯船にゆっくり浸かることもできなくなった。


 学校で、誰かが言った。


「黒木さん、なんか臭くない?」


 教室の中で、小さな笑いが起きた。


 美香は何も言えなかった。


 父が負けた日。

 母が疲れている日。

 風呂に十分入れなかった日。

 洗剤を使えなかった日。


 そういう全部を、学校の誰も知らない。


 ただ、臭いと言われる。


 汚いと言われる。


 美香は、自分の袖口を握った。


 家では、お金がないことを責められる。

 学校では、貧しさが体に現れて笑われる。


 どこにも逃げ場がなかった。


 その夜、和正はまた酒を飲んでいた。


 缶ビールの音。

 テレビの音。

 香織の小さなため息。


「ため息つくな」


 和正が低く言った。


「……ごめん」


「俺が悪いって言いたいんやろ」


「そんなこと言ってない」


「顔に書いとる」


 香織は黙った。


 美香は布団の中で、目を閉じた。


 パチンコ屋の灯り。


 和正にとってそれは、一瞬だけ自分を勝たせてくれる光だった。


 だが黒木家にとっては、暗闇を深くする灯りだった。


 なけなしの一万円で勝った五万円。


 その一度の成功が、和正をさらなる穴へ引きずり込んだ。


 そして、その穴の底で最初に削られていくのは、いつも美香の日常だった。



次回予告


 一度だけ勝ったパチンコが、和正の判断を狂わせた。


 次も勝てる。

 取り戻せる。

 増やせる。


 その思い込みが、家計にさらに大きな穴を開けていく。


 生活費は消え、酒は増え、香織は和正の顔色を見るようになる。


 そして、美香の制服や体の匂いにも、貧しさが現れ始める。


 次回、第十七話

 「怒鳴り声の食卓」


 食卓は、家族が集まる場所ではなく、怒りが落ちる場所になっていく。

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