笑いの種
第百二十一話
「笑いの種」
博多南幼稚園では、春介と春海の存在がすっかり名物になっていた。
朝の挨拶で一発。
お遊戯で一発。
給食前に一発。
帰りの会で一発。
どこで爆笑が起こるかわからないため、先生たちは密かに「腹筋警戒レベル」を共有するようになっていた。
ある日の職員室。
新人の先生が、首を傾げた。
「春介くんと春海ちゃん、すごいですね……。毎日、園児たちが笑い転げてます」
ベテランの先生が、懐かしそうに笑った。
「そういえば、光子さんと優子さんの時も、何度も腹筋崩壊させられたねぇ」
新人の先生は目を丸くした。
「そんなに凄かったんですか?」
職員室の空気が、少し変わった。
美鈴園長が、静かに立ち上がる。
「……見ます?」
「え?」
「博多南幼稚園に残る、伝説のアーカイブ映像」
先生たちがざわつく。
「園長、それを出しますか」
「新人先生、覚悟してください」
「一応、椅子に深く座って」
新人の先生は困惑した。
「え、そんなに?」
美鈴はパソコンを開き、保管フォルダをクリックした。
画面に表示されたタイトル。
『光子・優子 年長組爆笑記録 特別編集版』
再生開始。
映像には、当時五歳の光子と優子が映っていた。
園庭で、光子が謎のポーズを取っている。
「私は、給食界の光の戦士たい!」
隣で優子が冷静に言う。
「ただのカレー当番やろ」
再生一分。
新人先生の口元が危なくなる。
「ふっ……」
ベテラン先生が静かに言う。
「まだ序盤です」
映像の中の光子は、カレーの鍋を見て宣言した。
「このカレー、宇宙まで届けるたい!」
優子が即座に返す。
「まず隣のクラスまで届けて」
新人先生、肩が震え始める。
再生三分。
次は発表会の映像。
光子がマイクを持つ。
「今日の劇は、桃太郎です!」
優子が横から言う。
「ただし、桃が流れてきません」
光子。
「なぜなら、桃が有給休暇だからです!」
先生たち、久しぶりに見ても崩れかける。
新人先生は机に手をついた。
「ちょ、待っ……」
再生五分。
映像の中で、光子と優子が即興漫才を始めた。
光子
「先生、うちら将来、世界を笑わせます!」
優子
「まず先生を椅子から落とすのやめようね」
その瞬間、映像内の先生が本当に椅子からずり落ちた。
新人先生、完全に撃沈。
机に突っ伏し、肩を震わせながら笑い続けた。
「む、無理です……腹筋が……」
美鈴園長は、どこか誇らしげに頷いた。
「五分持てば上出来です」
新人先生は涙を拭きながら言った。
「これ、園児ですか?」
ベテラン先生が真顔で答えた。
「園児でした」
「過去形が怖いです」
別の先生が補足する。
「何しろ、お笑い怪獣として知られる明石家さんまさんを、整骨院送りにしたほどですから」
新人先生は固まった。
「え?」
美鈴が苦笑する。
「当時、番組で共演した時に、さんまさんが笑いすぎて腹筋と腰をやられまして」
「そんなことあるんですか!?」
「ありました」
職員室に、静かな説得力が満ちた。
その日の夕方。
美香が春介と春海を迎えに来ると、新人先生がまだ少し腹筋を押さえていた。
「先生、大丈夫ですか?」
「はい……光子さんと優子さんの映像を見まして……」
美香は一瞬で察した。
「ああ……それは大変でしたね」
春介が首を傾げる。
「みーちゅおねーしゃん?」
春海が続く。
「ゆーこおねーしゃん?」
新人先生は二人を見て、震える声で言った。
「あなたたちは……あの伝説の後継者なんですね……」
美香は苦笑した。
「できれば、普通に育ってほしいんですけど」
その瞬間、春介が小さく手を上げた。
「春をふたつ!」
春海が続く。
「にこひとつ!」
二人同時。
「安全運行でまいります!」
新人先生、再び撃沈。
美香は頭を抱えた。
「……無理かもしれん」
その夜。
小倉家に集まった光子と優子は、幼稚園で自分たちのアーカイブ映像が再生されたと聞いて大騒ぎした。
「え、うちらの秘蔵映像!?」
「著作権は!?」
優馬が笑う。
「幼稚園所有やろ」
美鈴が真顔で言う。
「教育資料たい」
優子が目を細める。
「どういう教育?」
美鈴は答えた。
「腹筋防災教育」
全員爆笑。
美香は春介と春海を見ながら、ふと思った。
笑いの種は、確かに受け継がれている。
でもそれは、血筋だけではない。
笑える家で育ったから。
笑っていい場所があったから。
笑わせたい人がいたから。
それが、この子たちの中に根を張っている。
美香は、静かに微笑んだ。
自分がかつて持てなかったもの。
それを、春介と春海は当たり前のように持っている。
安心して笑える日常。
それこそが、美香が一番守りたかったものだった。
次回予告
博多南幼稚園に残る光子と優子の伝説映像。
新人先生は、再生五分で腹筋崩壊。
春介と春海は、そんな二人の後継者として、さらに笑いの種を芽吹かせていく。
そして美香は、子どもたちの笑顔を見ながら、あの日の自分へ静かに語りかける。
次回、第百二十二話
「あの日の私へ」




