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帰る場所~光の指す方へ  作者: リンダ


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春介と春海

 第百十五話

「春介と春海」


 2036年2月29日。


 うるう年の朝。


 外はまだ薄暗く、福岡の空には静かな冬の名残があった。


 美香は、いつもより早く目を覚ました。


 お腹が、きゅっと強く張る。


「……ん」


 隣で眠っていたアキラが、すぐに目を開けた。


「美香?」


 美香は息を整えながら、ゆっくり言った。


「たぶん……始まった」


 アキラの顔が一瞬で変わった。


「陣痛?」


「うん……たぶん」


 アキラは飛び起きた。


 その動きがあまりに速すぎて、布団が半分吹っ飛んだ。


「病院! バッグ! 母子手帳! 車!」


 美香は痛みの合間に、思わず笑った。


「アキラ、落ち着いて」


「落ち着いとる!」


「全然落ち着いとらん」


 それでも、二人は準備していた入院バッグを持ち、那珂川レディースクリニックへ向かった。


 病院に着く頃には、陣痛の間隔は少しずつ短くなっていた。


 美香はベッドに横になり、深く息を吸う。


「ふぅ……っ」


 痛みが波のように来る。


 身体の奥から、強い力が押し寄せる。


 アキラは美香の手を握っていた。


「美香、大丈夫。僕おるけん」


「うん……」


 また痛みが来る。


 美香が声を上げた。


「ぁ……あぁ……っ」


 その声は、苦しそうなのに、どこか透き通っていた。


 音程が、妙に整っている。


 まるで長いフレーズのように、声が伸びる。


 付き添っていた看護師が、一瞬ぽかんとした。


「……すごい」


 別の看護師も小さく呟く。


「声が、きれい……」


 美香は息を切らしながら、目を開けた。


「看護師さん……」


「はい?」


「聞き惚れてないで……赤ちゃん、大丈夫ですか〜?」


 分娩室の空気が、一瞬止まった。


 次の瞬間、看護師たちが吹き出しそうになりながら慌てて確認する。


「大丈夫です! 心拍も安定しています!」


 アキラは美香の手を握ったまま、泣き笑いになった。


「美香、こんな時までツッコミできるんやね」


「ファイブピーチ★で鍛えられたけん……」


 また陣痛が来る。


「うぅ……っ、あぁ……!」


 看護師が思わず言う。


「やっぱり発声がきれい……」


「だから聞き惚れんでってば!」


 その頃、小倉家には連絡が入っていた。


 優馬、美鈴、光子、優子は病院へ駆けつける。


 待合室は一気に小倉家モードになった。


 優馬は完全に落ち着かない。


「まだか? まだなんか?」


 美鈴が肩を押さえる。


「優馬、座って」


「座っとる場合やなか!」


「立っとっても生まれんよ」


 光子は両手を合わせる。


「春介、春海、出発準備中たい」


 優子がすぐに言う。


「駅のアナウンスみたいに言わんでよか」


 奏太と小春も駆けつけた。


 佐伯由梨奈や、みらいのたねの理事長、村瀬家にも連絡が回っている。


 病院の待合室には、静かな祈りと、なぜかじわじわ笑いが混じっていた。


 分娩室。


 美香の額には汗が滲んでいた。


 痛みは強くなっていた。


 それでも美香は、必死に呼吸を整える。


 アキラが声をかける。


「美香、息。ゆっくり」


「うん……」


 医師が落ち着いた声で言う。


「赤ちゃん、順調に下りてきていますよ」


 美香は涙を浮かべながら頷いた。


「春介……春海……」


 痛みの中で、美香の頭に浮かんだのは、那珂川の暗い水面だった。


 あの日。


 もう苦しまなくて済むと思った。


 でも、誰かが手を掴んでくれた。


 あの手があったから、今がある。


 今、自分は命を終わらせるのではなく、命を生み出そうとしている。


 美香は歯を食いしばった。


「会いたか……」


 医師が言う。


「もう少しです」


 アキラが涙声で言った。


「美香、頑張れ」


 美香は、アキラの手を強く握った。


「頑張る……!」


 そして――。


 小さな泣き声が、分娩室に響いた。


 最初の命。


「おめでとうございます。男の子です」


 美香の目から涙が溢れる。


「春介……」


 アキラは声にならない声で泣いていた。


 だが、まだ終わりではない。


 二人目がいる。


 美香は再び息を整える。


「春海……待っとるよ……」


 再び陣痛。


 再び痛み。


 そして、数分後。


 もう一つの泣き声が響いた。


「女の子です」


 美香は泣き崩れた。


「春海……」


 春介。


 春海。


 二人が、この世界に生まれた。


 美香は、二人を胸に抱かせてもらった。


 小さな身体。


 小さな手。


 小さな呼吸。


 美香は涙でぐしゃぐしゃになりながら言った。


「生まれてきてくれて……ありがとう」


 アキラも二人を見つめて、泣きながら笑った。


「春介、春海……お父さんやよ」


 美香が小さく笑う。


「アキラ、顔ぐちゃぐちゃ」


「美香も」


「知っとる」


 二人は笑った。


 その後、待合室へ知らせが届いた。


「無事に生まれました。男の子と女の子です」


 優馬はその場で膝から崩れ落ちた。


「生まれたぁ……」


 美鈴は口元を押さえて泣いた。


「美香……よう頑張ったね……」


 光子が飛び上がる。


「春介と春海、爆誕たい!」


 優子が涙を拭きながら突っ込む。


「言い方。でも、ほんとに爆誕たい……」


 奏太も小春も泣いていた。


 病室で、初めて春介と春海に会った時。


 光子はそっと顔を近づけた。


「春介、春海。光子おばちゃんたい」


 優子が即座に言う。


「おばちゃん呼び、まだ慣れん」


 美香が疲れ切った顔で笑った。


「もう諦めり」


 優馬は春介を抱かせてもらい、完全に固まった。


「小さか……」


 美鈴は春海を見つめながら涙を流した。


「かわいかね……」


 アキラはその光景を見ながら、静かに美香の手を握った。


「美香、ありがとう」


 美香は首を振った。


「アキラも、ありがとう」


 その夜。


 美香はベッドで眠る春介と春海を見つめていた。


 まだ痛みは残っている。


 身体も疲れ切っている。


 でも心は、不思議なくらい満たされていた。


 命が、二つ。


 自分の目の前で眠っている。


 美香は小さく呟いた。


「お母さんにしてくれて、ありがとう」


 病室の窓の外には、2月29日の夜が広がっていた。


 四年に一度の日。


 春介と春海が生まれた日。


 美香の人生に、新しい音が加わった日だった。


 次回予告


 2036年2月29日。


 春介と春海が誕生した。


 美香とアキラは、ついに父と母になる。


 小倉家、赤嶺家、ファイブピーチ★、みらいのたね。


 多くの人に祝福されながら、双子は新しい命として歩み始める。


 だが、育児は喜びだけではない。


 夜泣き、寝不足、初めての不安。


 美香とアキラの新しい日々が始まる。


 次回、第百十六話

「小さな寝息」

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