生まれてくるあなたへ
第百十四話
「生まれてくるあなたへ」
美香は、少しずつ大きくなっていくお腹を見つめる時間が増えていた。
朝、鏡の前に立つ。
手をそっと当てる。
「おはよう、春介。春海」
まだ返事はない。
でも、時々ぽこっと小さく動く。
そのたびに、美香の胸はいっぱいになった。
アキラが後ろから覗き込む。
「今日も元気?」
「うん。たぶん、朝から起きとう」
「僕に似て朝型かな」
美香は笑う。
「それとも、うちに似て夜に曲書き出すタイプかも」
「それは大変たい」
二人で笑う。
美香は、ふと思う。
この子たちは、誰に似るのだろう。
アキラの優しい目に似るのか。
自分のえくぼに似るのか。
光子と優子みたいに、とんでもないボケを覚えるのか。
それとも、優子のような鋭いツッコミを身につけるのか。
将来、音楽を好きになるのか。
スポーツをするのか。
絵を描くのか。
本を読むのか。
全然違う道へ行くのか。
美香はお腹に話しかけた。
「どんな道に進んでもよかよ」
アキラが隣に座る。
「うん」
「音楽じゃなくてもいい。人前に出なくてもいい。静かな道でもいい。遠くへ行ってもいい」
美香はゆっくり言った。
「ただ、自分で選べる子になってほしか」
それは、美香自身が長い間、選べなかったものだった。
食べること。
眠ること。
笑うこと。
助けを求めること。
未来を見ること。
だからこそ、春介と春海には、選べる人生を渡したかった。
その夜、美香は便箋を取り出した。
「手紙?」
アキラが聞く。
「うん。生まれてくる二人へ」
ペンを握る手が、少し震えた。
⸻
春介へ。
春海へ。
あなたたちが生まれてくる日を、お母さんは毎日待っています。
あなたたちは、まだお腹の中にいるのに、もうたくさんの人に愛されています。
お父さんは、毎日お腹に話しかけています。
おじいちゃんは、もう泣いています。
おばあちゃんは、あなたたちの服を選びながら泣いています。
光子おばちゃんと優子おばちゃんは、双子先輩講座を勝手に準備しています。
たぶん、とても騒がしい家族です。
でも、とてもあたたかい家族です。
お母さんは、昔、家族という言葉が怖かった。
でも今は、あなたたちに家族を渡したいと思っています。
安心して眠れる家。
ご飯を食べていい家。
泣いても怒られない家。
笑ったら一緒に笑ってくれる家。
そんな家を、お父さんと一緒に作ります。
あなたたちがどんな道を選んでも、お母さんは応援します。
音楽をしてもいい。
しなくてもいい。
強くなくてもいい。
泣き虫でもいい。
ゆっくりでもいい。
ただ、生まれてきてくれるだけで嬉しい。
会える日を、待っています。
お母さんより。
⸻
書き終えた美香は、便箋を胸に抱いた。
アキラが静かに言った。
「いい手紙やね」
「泣かんかった?」
「ちょっと泣いた」
「ちょっと?」
「かなり」
美香は笑った。
そこへスマホが鳴る。
光子からだった。
『双子先輩講座、第3回。テーマ、入れ替わり芸の危険性』
続いて優子。
『止めたいけど資料が妙に完成度高い』
美香は吹き出した。
「もう、ほんとに……」
アキラも笑う。
「春介と春海、生まれる前から濃い環境たい」
「でも、幸せやね」
「うん」
美香はお腹を撫でた。
「早く会いたか」
ぽこ。
小さく動いた。
美香は目を丸くして、すぐに笑った。
「返事した」
アキラがそっと手を重ねる。
「春介、春海。待っとるけんね」
その夜、赤嶺家の部屋には、静かなピアノの音が流れていた。
美香が書いた『お腹の音』。
そこに、アキラが小さなトランペットの旋律を重ねる。
まだ生まれていない二つの命へ向けた、最初の子守歌だった。
⸻
次回予告
美香は、生まれてくる春介と春海へ手紙を書く。
どんな道を選んでもいい。
ただ、生まれてきてくれるだけで嬉しい。
母になる覚悟と喜びを胸に、美香は出産の日を待つ。
そして迎える、2036年2月29日。
春介と春海が、この世界に生まれる。
次回、第百十五話
「春介と春海」




