お腹の音
第百十二話
「お腹の音」
ファイブピーチ★のツアーは、美香が休みに入ったことで大きく形を変えた。
佐伯由梨奈がサポートメンバーとして入り、美香のピアノ、ストリングス、アコギ、クラシックギターのパートを必死に受け継いでいた。
だが、それだけでは足りない曲もあった。
ファイブピーチ★の楽曲は、とにかく音が多い。
ジャンルも多い。
演歌。
ヘビメタ。
クラシック。
ジャズ。
ポップス。
民謡。
組曲。
バラード。
そのため、バックバンドのヘルプも入ることになった。
ギター二枚。
追加キーボード。
ストリングス隊。
パーカッション。
金管サポート。
まるで小さなオーケストラのような編成だった。
光子はリハーサル会場を見渡して、目を輝かせた。
「うちら、バンドというより音楽工場たい!」
優子がすかさず言う。
「工場なら安全確認せんとね」
奏太が苦笑する。
「確かに、この曲数は事故りそうです」
小春は譜面を抱えながら言った。
「事故らないように練習しましょう」
由梨奈は譜面の山を前に、すでに目が遠くなっていた。
「これ、ツアーというより音楽の総合格闘技やん……」
そんな中、美香は自宅で新曲を書き続けていた。
妊娠中で体調は安定しない。
日によっては椅子に座るだけでもつらい。
けれど、無理のない範囲で、少しずつメロディを残した。
お腹に宿る二つの命。
聞こえるような気がする鼓動。
自分の中に別のリズムがある。
それは、美香にとって初めての感覚だった。
タイトルは仮に、
『お腹の音』
美香はピアノで、やわらかい三拍子を鳴らした。
アキラが隣で聴いていた。
「優しい曲やね」
「うん。赤ちゃんたちに聴かせたか」
「きっと聴いとるよ」
美香はお腹に手を当てる。
「春介、春海……」
まだ名前は正式には決まっていない。
けれど、二人の中ではもう、その名前が自然に浮かんでいた。
春介。
春海。
春を運ぶような名前。
その数日後。
検診の日。
那珂川レディースクリニック。
診察室で、美香とアキラは少し緊張していた。
女性医師が超音波の画面を確認し、微笑む。
「順調ですね」
美香が息を吐く。
「よかった……」
「今日は心音も確認してみましょう」
機械から、小さな音が響いた。
トクトクトクトク。
ひとつ。
そして、もうひとつ。
トクトクトクトク。
美香の目から涙が溢れた。
「聴こえる……」
アキラも声を震わせた。
「二人とも……生きとる」
美香はお腹に手を当てた。
自分の身体の中で、二つの命が生きている。
それは、どんなオーケストラよりも強く、美香の胸に響いた。
その日の夜。
美香は検診で聞いた心音を思い出しながら、ピアノの前に座った。
トクトクトクトク。
そのリズムを、左手でそっと刻む。
右手が旋律を重ねる。
アキラがトランペットを手にしたが、すぐに置いた。
「これは、今はピアノだけがよさそう」
美香は頷いた。
「うん。まだ小さな音でよか」
一方、ファイブピーチ★のリハーサルでは、まったく小さくない音が鳴っていた。
その日の新曲は、光子と優子が作った曲だった。
光子が作詞。
優子が作曲。
タイトルは――
『黒い羽根のメタルララバイ』
悲しいメロディライン。
それなのに、アレンジはヘビメタ。
しかもテンポが異常に速い。
イントロから奏太のギターが暴れ、優子のドラムが恐ろしい速度で刻む。
光子のベースは地鳴りのようにうねり、小春のシンセは不穏な合唱のように重なる。
由梨奈は初見で譜面を見て固まった。
「これ……本当に中学生が作った曲?」
優子が真顔で頷く。
「はい」
光子が胸を張る。
「悲しみを爆走させてみました!」
奏太が譜面を見ながら苦笑する。
「爆走しすぎです」
小春が小声で言う。
「BPM、これ……かなり危険ですよね」
バックバンドのドラマーが譜面を見て呟いた。
「これ、体力持つかな……」
リハーサルが始まる。
一回目。
全員、崩壊。
二回目。
少し持ち直すが、サビ前で崩壊。
三回目。
由梨奈が叫んだ。
「待って! 指が置いていかれる!」
光子は目を輝かせる。
「すごかろ!」
優子が自分で作っておきながら真顔で言う。
「これ、作ったうちらも変態かもしれん」
奏太が頷いた。
「否定できません」
小春も静かに言った。
「全員変態です」
その瞬間、この曲の裏タイトルが決まった。
『変態メタル』
美香がリモートでリハーサル映像を見た時、思わず吹き出した。
「何これ」
光子が画面越しに言う。
「新曲たい!」
優子が説明する。
「悲しいメロディに、ヘビメタを組み合わせました」
美香は譜面を見て目を丸くした。
「これ……テンポ、エグくない?」
由梨奈が泣きそうな顔で言う。
「美香、助けて」
美香は笑いながら言った。
「これは……のちに伝説になるかもしれんね」
アキラが横から画面を覗く。
「中学生が作った曲とは思えん」
光子が得意げに言う。
「うちら、進化したたい」
優子が冷静に補足する。
「ただし、人間の限界も試しています」
美香はお腹に手を当てて笑った。
「春介、春海。これがあなたたちの叔母たちよ」
アキラが小声で言う。
「教育にいいのか悪いのか……」
しかし、曲は確かに強かった。
ただ速いだけではない。
悲しいメロディラインが、爆音の中で浮かび上がる。
痛みをただ泣くのではなく、走り抜ける。
悲しみを置き去りにするのではなく、抱えたまま全速力で前へ進む。
それは、光子と優子らしい曲だった。
美香は真剣な顔で言った。
「この曲、ライブに入れよう」
全員が固まった。
由梨奈が叫ぶ。
「本気!?」
「本気」
美香は笑った。
「しんどい曲やけど、ファイブピーチ★にしかできん」
優子は少し照れたように目を伏せた。
「美香お姉ちゃんがそう言うなら」
光子は拳を上げた。
「変態メタル、発車!」
奏太が突っ込む。
「発車する曲じゃないです」
そして本番。
『黒い羽根のメタルララバイ』が披露された。
客席は最初、戸惑った。
悲しい旋律。
なのに爆速。
泣けばいいのか、拳を上げればいいのかわからない。
だがサビに入った瞬間、会場が一気に飲み込まれた。
光子のベースが唸る。
優子のドラムが爆走する。
奏太のギターが空気を切り裂く。
小春のシンセが深い闇を描く。
由梨奈のピアノが、美香の不在を埋めるように力強く響く。
曲が終わった瞬間、会場は一瞬静まり返り――
次の瞬間、爆発した。
SNSは騒然。
「これ中学生が作ったってマジ?」
「悲しいのに速すぎる」
「変態メタル爆誕」
「優子ちゃん作曲能力エグい」
「光子ちゃんの歌詞、思ったより深い」
「ファイブピーチ★、またジャンル壊した」
「美香ちゃん不在でも化け物バンド」
その夜。
美香はライブ配信を見終えて、静かに涙を拭いた。
アキラが隣で聞く。
「どうした?」
「嬉しい。みんな、進んどる」
美香はお腹に手を当てる。
「うちも、母になる準備をしながら、ちゃんと音楽続ける」
アキラが頷いた。
「うん。美香の音も、みんなの音も、ちゃんと続いとる」
美香はピアノへ向かい、『お腹の音』の続きを書いた。
左手には、双子の心音。
右手には、未来へ向かう旋律。
遠くでは、ファイブピーチ★が新しい音を鳴らしている。
そして美香の中でも、新しい命の音が鳴っていた。
⸻
次回予告
双子の鼓動を聞いた美香とアキラ。
美香はお腹の中の命へ向けて、新曲『お腹の音』を書き始める。
一方、ファイブピーチ★は、光子作詞・優子作曲の異色曲『黒い羽根のメタルララバイ』を披露。
悲しい旋律と爆速ヘビメタの融合は、ファンの度肝を抜く。
そして次の検診で、二人は赤ちゃんたちの成長をさらに実感する。
次回、第百十三話
「双子の知らせ」




