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帰る場所~光の指す方へ  作者: リンダ


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夫婦の音

第百七話


「夫婦の音」


 ニュージーランドから帰国してしばらく経った頃。


 美香とアキラは、福岡で夫婦としての生活を始めていた。


 朝は、二人で簡単な朝食を作る。


 美香は福岡交響楽団の練習へ向かい、アキラも演奏活動や作曲の仕事へ向かう。


 夜には、どちらかが先に帰っている。


「ただいま」


「おかえり」


 その短い言葉が、美香にはまだ少し新鮮だった。


 帰る家に、アキラがいる。


 アキラの帰りを、自分が待つ日もある。


 それは、静かで、あたたかい幸せだった。


 そんなある日。


 福岡交響楽団の企画公演で、美香とアキラが夫婦として初めて同じオーケストラに参加することになった。


 美香はトロンボーン。


 アキラは客演のトランペット、そして一部でテナーサックスも担当。


 リハーサル初日。


 美香は楽団の練習場でアキラを見つけ、少し照れた。


「なんか変な感じやね」


 アキラが笑う。


「職場で会う夫婦みたい」


「実際そうやん」


「たしかに」


 指揮者がタクトを上げると、二人の顔つきは変わった。


 美香のトロンボーンは、低く深く支える。


 アキラのトランペットは、まっすぐ遠くへ伸びる。


 夫婦だからといって甘くなるわけではない。


 むしろ、互いの音を知っているからこそ、呼吸の細かい揺れまでわかる。


 美香が少し音を引く。


 アキラがその隙間へ光を差し込む。


 アキラが強く出る。


 美香が下から支える。


 それは、会話のような演奏だった。


 本番の日。


 会場には、小倉家の面々も来ていた。


 優馬と美鈴。


 光子と優子。


 奏太と小春。


 みらいのたねの理事長。


 赤嶺安三郎と静子。


 みんなが客席から見守っている。


 演奏が始まる。


 夫婦として初めて同じオーケストラで鳴らす音。


 美香は、吹きながら思った。


 ここまで来たんやね。


 みらいのたねで保護された少女。


 初めてトロンボーンで“ド”を出した少女。


 音大へ進み、福岡交響楽団へ入り、今は夫と同じ舞台にいる。


 隣ではない。


 同じ音の中にいる。


 それが、たまらなく嬉しかった。


 演奏後、拍手が降り注いだ。


 光子は客席で泣きながら拍手していた。


 優子も目を潤ませている。


 優馬は当然のように号泣。


 美鈴は笑いながら涙を拭いていた。


 その公演の後半で、二人の合作が初披露された。


 タイトルは――


組曲『南半球の約束』


 ニュージーランド新婚旅行で見た風景と、人の温かさを音にした三部構成の組曲だった。


⸻


第一部


「湖に映る空」


 静かなピアノから始まる。


 水面に映る空。


 遠くの山。


 風に揺れる草。


 美香のトロンボーンが、低くやわらかく旋律を吹く。


 そこへ、アキラのトランペットが透明な光のように重なる。


 旅の始まり。


 新しい苗字になった戸惑い。


 でも、手を握ってくれる人が隣にいる安心。


 そんな音だった。


⸻


第二部


「羊の丘と笑う人たち」


 軽快なリズム。


 木管が跳ね、打楽器がやさしく刻む。


 ニュージーランドで出会った人たちの笑顔。


 道を教えてくれた老夫婦。


 カフェで話しかけてくれた店員。


 市場で笑っていた子どもたち。


 アキラのテナーサックスが、少し遊び心のある旋律を吹く。


 そこへ美香のトロンボーンがツッコミのように入る。


 客席から小さな笑いが起きた。


 光子が客席で小声で言う。


「夫婦漫才の音たい」


 優子がすぐに囁く。


「演奏中に解説せんでよか」


⸻


第三部


「星空の下で、帰る場所」


 最後は、静かな夜の音だった。


 満天の星。


 遠い異国の空。


 そこで交わした、これからも一緒に歩くという約束。


 弦が広がり、金管がゆっくり重なる。


 美香のトロンボーンとアキラのトランペットが、まるで二つの人生のように寄り添う。


 最後の和音は、派手ではなかった。


 でも、深く、あたたかかった。


 旅は終わる。


 でも、帰る場所がある。


 そして、帰る場所があるからこそ、人は遠くへ行ける。


 そんな音だった。


⸻


 演奏が終わった瞬間、会場は静まり返った。


 誰もすぐには拍手できなかった。


 その余韻が、あまりに澄んでいたから。


 やがて、ひとつの拍手が起こる。


 そして、大きな拍手へ広がっていった。


 美香は、ステージ上でアキラを見た。


 アキラも、美香を見ていた。


 二人は小さく頷き合った。


 夫婦で奏でる音。


 それは、ただ甘いだけの音ではなかった。


 苦しみを知っている。


 別れの怖さを知っている。


 だからこそ、帰る場所のあたたかさを知っている。


 その音だった。


 公演後。


 楽屋へ戻ると、小倉家が一斉に押し寄せた。


「美香ぁぁぁ!」


 優馬が泣きながら抱きつこうとして、美鈴に止められる。


「優馬、楽器あるけん危なか」


 光子が叫ぶ。


「南半球の約束、すごかった!」


 優子も頷く。


「第二部、完全に夫婦漫才やった」


 アキラが笑う。


「そこ狙ったわけじゃないんやけど」


 美香が言う。


「でも、ちょっと狙ったかも」


 全員が笑った。


 美鈴は、美香の手を取った。


「美香、いい音やったよ」


 美香は涙ぐんだ。


「ありがとう、お母さん」


 安三郎と静子も、アキラの肩を叩いた。


「章、よう頑張ったな」


「美香さんと、いい音やったよ」


 アキラは深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 その夜。


 美香とアキラは家に戻り、譜面を机に置いた。


 美香は指輪を見つめる。


 赤嶺美香。


 この名前にも、少しずつ慣れてきた。


 でも、小倉美香として歩んだ時間も、消えたわけではない。


 全部が音になって、今の自分を作っている。


 アキラが隣で言った。


「次は、どんな曲作ろうか」


 美香は笑った。


「まずは休もう」


「それもそうやね」


 少し沈黙。


 そして美香は言った。


「でも、いつか……家族の曲も作りたい」


「小倉家と赤嶺家?」


「うん。それと、みらいのたねも。ファイブピーチ★も」


 アキラは頷いた。


「きっと、長い曲になるね」


「うん」


 美香は窓の外の福岡の夜を見た。


「でも、長くてよか。うちの人生、いっぱい音があるけん」


 アキラは微笑んだ。


「一緒に書こう」


「うん」


 夫婦の音は、まだ始まったばかりだった。


⸻


次回予告


 美香とアキラの合作、組曲『南半球の約束』は大きな反響を呼ぶ。


 福岡交響楽団での演奏活動。


 ファイブピーチ★での音楽活動。


 夫婦としての日常。


 そして、美香の中に新しい命への願いが芽生え始める。


 次回、第百八話

 「未来へつなぐ音」

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