花嫁の手紙
第百五話
「花嫁の手紙」
アキラが音大を卒業した春。
美香とアキラは、結婚式の日を迎えた。
控室。
純白のウェディングドレスをまとった美香が、姿見の前に立っていた。
長いベール。
胸元に淡く光る刺繍。
控えめな真珠のイヤリング。
そして、少し震える指先。
美鈴は、その姿を見た瞬間、言葉を失った。
「美香……」
優馬は、もう完全に泣いていた。
「きれか……ほんとに、きれか……」
光子と優子も、扉のところで固まっていた。
「美香お姉ちゃん……」
「お姫様みたい……」
美香は照れながら笑った。
「そんな大げさたい」
しかし、そこへアキラが入ってきた瞬間。
アキラは完全停止した。
目を見開いたまま、声が出ない。
光子が小声で言う。
「アキラお兄ちゃん、フリーズ」
優子が冷静に続ける。
「完熟通り越して、白目寸前たい」
美香は真っ赤になった。
「式の前からやめて!」
けれど、その笑い声が、緊張をほどいてくれた。
式場には、美香に関わってきたたくさんの人たちが集まっていた。
小倉家。
赤嶺家。
みらいのたねの理事長とスタッフ。
村瀬由紀、健司、紗季、千夏。
博多南中学、福岡高校、音大の仲間。
福岡交響楽団の団員たち。
ファイブピーチ★の関係者。
そして、みらいのたね事務所でも、式の様子がライブ中継されていた。
かつて美香が保護された場所。
あの場所にいる子どもたちやスタッフも、画面越しに見守っていた。
バージンロード。
美香は、優馬の腕に手を添えた。
優馬の手は震えていた。
「お父さん」
「ん?」
「泣きすぎたら、前見えんよ」
「もう見えとらん」
「だめやん」
美香は笑いながら、泣きそうになった。
優馬は小さく言った。
「美香。幸せになりなさい」
「うん」
「いや、違うな」
優馬は涙を拭った。
「もう幸せやね。もっと幸せになりなさい」
美香は、深く頷いた。
「うん。ありがとう、お父さん」
祭壇の前にはアキラがいた。
優馬は、美香の手をアキラへ渡した。
「アキラ」
「はい」
「美香を、よろしく頼む」
アキラは、まっすぐ頷いた。
「必ず、大事にします」
その瞬間、優馬はまた泣いた。
披露宴では、ファイブピーチ★が演奏した。
サポートメンバーがピアノに入り、光子はベース、優子はドラム、奏太はギター、小春はキーボード。
そして美香は、花嫁姿のままマイクの前に立った。
最初に演奏されたのは、トリプルピーチ★のデビューシングル。
『未来色ハーモニー』。
あの日、まだ震えながら歌った曲。
今は、家族と仲間と、愛する人の前で歌っている。
次に、家族への感謝を込めた新曲。
『ありがとう』
美香が作詞作曲した曲だった。
優馬と美鈴へ。
光子と優子へ。
みらいのたねへ。
アキラへ。
すべての支えてくれた人へ。
会場中が涙に包まれた。
最後に演奏されたのは、山口百恵の『秋桜』。
母と娘の時間を思わせる旋律に、美鈴はもう涙を止められなかった。
美香も歌いながら何度も声を詰まらせた。
披露宴の終盤。
司会者が静かに告げた。
「ここで、花嫁からご家族へのお手紙です」
美香は便箋を手に立った。
会場が静まり返る。
美香は、まず優馬と美鈴を見た。
「お父さん、お母さんへ」
声が、少し震えた。
「私を娘にしてくれて、ありがとう」
優馬は、その一言で泣き崩れた。
美鈴もハンカチで口元を押さえる。
「私は、子どもの頃、自分がここに立つ日が来るなんて思っていませんでした。食べていいのか、泣いていいのか、笑っていいのか、生きていていいのか、それすらわからなかった時期がありました」
美香は息を吸った。
「でも、お父さんとお母さんは、何度も言ってくれました。美香のせいやない。食べてよか。泣いてよか。笑ってよか。幸せになってよか」
涙が便箋に落ちた。
「その言葉が、私をここまで連れてきてくれました」
次に、光子と優子へ。
「光子、優子。私をお姉ちゃんと呼んでくれて、ありがとう」
二人はもう泣いていた。
「美香お姉ちゃん大好きって、何度も言ってくれてありがとう。二人の笑いが、歌が、抱きしめてくれた小さな手が、私を何度も助けてくれました」
美香は少し笑った。
「完熟トマトっていじられたことも、今では大切な思い出です」
会場から小さな笑いが起きる。
光子が泣きながら言う。
「だって本当に完熟やったもん……」
優子が涙声で突っ込む。
「今言わんでよか……」
美香も泣き笑いになった。
そして、安三郎と静子へ。
「安三郎さん、静子さん。久留米の農場で食べた大学芋の味を、私は一生忘れません」
赤嶺家の二人も涙ぐんでいた。
「アキラを大切に育ててくださって、ありがとうございます。これからは、私もアキラと一緒に、家族として歩いていきます」
最後に、美香はアキラを見た。
「アキラ」
アキラは、目を真っ赤にしていた。
「みらいのたねで初めて会った日、あなたは泣いていました。私も、まだ自分の傷を抱えたままでした」
声が途切れた。
「でも、あなたと音を重ねるたびに、私は少しずつ未来を信じられるようになりました」
美香はもう、涙で何度も言葉が止まった。
「私は……幸せになっていいって……今日、心から思えます」
会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえた。
「お父さん、お母さん。光子、優子。皆さん。本当に……本当に……」
美香は便箋を握りしめた。
「ありがとうございました」
最後の言葉は、涙で途切れ途切れだった。
けれど、確かに届いた。
会場は、しばらく拍手ではなく、静かな涙に包まれた。
そして、誰かが拍手を始めた。
ひとつ。
またひとつ。
やがて大きな拍手となって、美香とアキラを包み込んだ。
光子と優子が、美香に駆け寄る。
「美香お姉ちゃん!」
「結婚おめでとう!」
美香は二人を抱きしめた。
アキラもそっと隣に立つ。
優馬と美鈴も加わった。
大きな家族の輪。
美香は、その真ん中で泣いていた。
もう、ひとりではなかった。
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次回予告
花嫁の手紙は、会場中の涙を誘った。
優馬と美鈴。
光子と優子。
赤嶺安三郎と静子。
そしてアキラ。
美香は、支えてくれたすべての人へ感謝を伝えた。
結婚式を終えた二人は、新しい生活へ踏み出す。
次回、第百六話
「新しい苗字」




