私の両親
第百四話
「私の両親」
和正と香織が再び警察に連行されたあと、美香の中には、不思議な静けさが残った。
怖くなかったわけではない。
声を聞いた瞬間、身体は震えた。
昔の廊下の暗さも、怒鳴り声も、夜の足音も、一瞬で戻ってきた。
けれど、今の美香は違っていた。
逃げるだけではなく、言えた。
「私の両親は、小倉優馬と美鈴です」
その言葉は、美香自身を守るための言葉だった。
そして同時に、これから始まる新しい人生への扉でもあった。
挙式の準備は、少しずつ進んでいた。
美香とアキラは、式場の打ち合わせに通い、衣装を選び、音楽の構成を考えた。
もちろん、ファイブピーチ★のメンバーが黙っているはずもなかった。
「入場曲、うにゃだらマーチにしよう!」
「みっちゃん、結婚式を混乱に導かんで」
「じゃあ、完熟トマト序曲!」
「余計にあかん」
美香は笑いながら、でもどこか胸がいっぱいだった。
結婚式。
自分が、誰かと家族になる日。
かつて家族という言葉に怯えていた美香が、今はその言葉を未来として受け取ろうとしている。
式の数日前。
美香は、自分のマンションで便箋を広げた。
書きたい相手がいた。
優馬。
美鈴。
光子。
優子。
赤嶺安三郎。
赤嶺静子。
美香はペンを握った。
まず、優馬と美鈴へ。
お父さん、お母さんへ。
私を娘にしてくれて、ありがとう。
あの日、みらいのたねで出会った時、私はまだ、自分がここにいていいのかわかりませんでした。
食べていいのか。
笑っていいのか。
泣いていいのか。
生きていていいのか。
何もわかりませんでした。
でも、お父さんとお母さんは、何度も言ってくれました。
美香のせいやない。
食べてよか。
泣いてよか。
笑ってよか。
幸せになってよか。
その言葉が、私の中に少しずつ根を張りました。
私は、血ではなく、行動で家族になることを、お父さんとお母さんから教えてもらいました。
私の両親は、小倉優馬と美鈴です。
これから結婚して、苗字が変わっても、私はずっと、お父さんとお母さんの娘です。
美香より。
書き終えた時、美香の目には涙が浮かんでいた。
次に、光子と優子へ。
光子、優子へ。
私を「お姉ちゃん」と呼んでくれて、ありがとう。
最初に会った時、二人はまだ小さくて、でも私よりずっとまっすぐでした。
美香お姉ちゃん、大好き。
お姉ちゃんおらんと寂しか。
その言葉に、私は何度も助けられました。
アキラのことで完熟トマトっていじられた時は、本気で恥ずかしかったけど、今では全部、大切な思い出です。
事故に遭った時、私は本当に怖かった。
二人を失うかもしれないと思った夜、私は何もできませんでした。
でも、二人は戻ってきてくれた。
もう一度笑って、もう一度歌って、ファイブピーチ★として一緒に立ってくれた。
光子と優子は、私の妹です。
世界で一番騒がしくて、世界で一番大切な妹です。
これからも、ずっとお姉ちゃんでいさせてください。
美香お姉ちゃんより。
美香は笑いながら涙を拭いた。
そして、赤嶺安三郎と静子へ。
安三郎さん、静子さんへ。
初めて久留米の農場へ行った日のことを、今でも覚えています。
大きなさつまいもを掘って、大学芋を作ってもらいました。
あの日の甘さは、ただの味ではありませんでした。
「また来ていい」と言ってもらえたこと。
「一緒に食べよう」と言ってもらえたこと。
それが、私にとって、とても大きな約束になりました。
アキラと出会って、私はまた新しい未来を見るようになりました。
アキラがここまでまっすぐ育ったのは、お二人がたくさんの愛情で支えてこられたからだと思います。
そんなアキラと、これから一緒に歩いていきます。
どうか、これからもよろしくお願いします。
美香より。
手紙を書き終える頃には、外はすっかり夜になっていた。
スマホが震える。
アキラからだった。
『準備、進んどる?』
美香は少し笑って返信した。
『手紙を書いとった。泣きすぎて目が赤か』
すぐに返事が来る。
『明日、完熟トマトじゃなくて泣き腫らしトマトやね』
美香は吹き出した。
『アキラまで言うようになったね』
『光子ちゃんと優子ちゃんに鍛えられた』
美香は、涙の残る顔で笑った。
結婚式は、もうすぐだった。
失ったものは戻らない。
でも、繋いできたものがある。
優馬と美鈴の愛情。
光子と優子の笑い。
安三郎と静子の温かさ。
アキラとの約束。
美香は便箋を封筒に入れた。
その一通一通が、自分をここまで連れてきてくれた人たちへの、心からの「ありがとう」だった。
次回予告
挙式を前に、美香は大切な人たちへ手紙を書く。
優馬と美鈴へ。
光子と優子へ。
赤嶺安三郎と静子へ。
自分を娘として、姉として、家族として受け止めてくれた人たち。
そしていよいよ、結婚式当日を迎える。
次回、第百五話
「花嫁の手紙」




