結婚式大作戦
第百三話
「結婚式大作戦」
美香とアキラの婚約が決まってから、小倉家はしばらく浮かれっぱなしだった。
光子と優子は、勝手に「結婚式プロジェクト」を立ち上げた。
光子がノートに大きく書く。
「美香お姉ちゃん結婚式大作戦!」
優子が横で補足する。
「予算、段取り、余興、演奏、全部ちゃんと考えんとね」
美香は苦笑した。
「まだ具体的な日取りも決まっとらんよ」
光子は胸を張った。
「早めの準備が大事たい!」
優子も頷く。
「まず余興候補」
光子が言う。
「お父さん、花嫁役!」
優馬が湯呑みを吹きそうになった。
「なんで俺!?」
美鈴が笑いをこらえながら言う。
「優馬、白無垢似合うかもしれんよ」
「美鈴まで!?」
そんな笑いに満ちた日々の中で、その影は突然現れた。
ある日の夕方。
福岡交響楽団の練習を終えた美香が、自分のマンションへ戻ってきた時だった。
エントランスホールに、二人の男女が立っていた。
美香の足が止まる。
黒木和正。
黒木香織。
刑期を終え、出所した二人だった。
年老いたように見えた。
やつれていた。
けれど、美香を見た和正の目には、昔と同じ濁った執着があった。
「よぉ」
和正が口を開く。
「お前、随分いい暮らししてんな」
その声を聞いた瞬間、美香の背中に冷たいものが走った。
だが、昔とは違った。
美香は一歩も下がらなかった。
「接近禁止令が出てるはずです。近寄らないでください」
香織が泣きそうな顔を作る。
「美香……お願い、話だけ聞いて」
「聞くことはありません」
美香の声は震えていなかった。
和正が苛立ったように言った。
「俺は肝臓がんや」
香織も続ける。
「私は腎臓がんって言われたの……」
美香は黙って二人を見ていた。
和正は一歩近づく。
「手術費用を出してくれ」
香織は縋るように言った。
「お願い……腎臓を提供してほしいの。あなたは私の娘でしょう」
その言葉を聞いた瞬間、美香の目が静かに冷えた。
「私は、あなたを親だと思ったことはありません」
香織が息を呑む。
美香は、はっきりと言った。
「私の両親は、小倉優馬と美鈴です」
和正の顔が歪む。
「血はこっちやろうが!」
「血で親になれるなら、あなたたちは私を守るべきでした」
美香は一歩も引かなかった。
「私があなたの病気の治療費を出す義務も、腎臓を提供する義務もありません」
香織は泣き崩れるように膝をつく。
「そんな……ひどい……」
美香は静かに言った。
「ひどいのは、子どもに食事も安心も与えず、必要なものも買わず、心も身体も傷つけたことです」
和正が声を荒げる。
「親に向かってその言い方は何や!」
美香はスマホを取り出した。
「これ以上つきまとうなら、警察に通報します」
「やれるもんならやってみろ」
美香は即座に通話ボタンを押した。
「警察ですか。接近禁止令が出ている相手が、私の自宅マンションに来ています。今、エントランスです」
和正の表情が変わった。
「おい、待て」
「待ちません」
美香は、管理人にも声をかけた。
「すみません。警察へ連絡しました。この二人は私への接近を禁止されている人物です」
管理人もすぐに動いた。
数分後。
警察が到着した。
和正はなおも喚いた。
「俺は父親やぞ!」
美香は一言だけ返した。
「違います」
警察官が確認を取り、和正と香織はその場で連行された。
香織は最後まで泣きながら、美香の名前を呼んでいた。
けれど、美香は振り返らなかった。
部屋に戻ると、手が少し震えていた。
怖くなかったわけではない。
声を聞いた瞬間、身体の奥に古い恐怖が蘇った。
それでも、美香は逃げなかった。
自分の言葉で、はっきり拒んだ。
すぐに優馬と美鈴へ連絡した。
美鈴は電話越しに震える声で言った。
「美香、大丈夫?」
「うん。警察に連絡した。もう連れて行かれた」
優馬の声も聞こえた。
「美香、よう言えたね」
その言葉を聞いた瞬間、美香の涙がこぼれた。
「怖かった……でも、言えた」
美鈴が言った。
「うん。美香はもう、ちゃんと自分を守れるようになっとる。でも一人で抱えんでよか。今から行くけん」
その夜、小倉家の全員が美香のマンションへ来た。
光子と優子もいた。
アキラも駆けつけた。
アキラは美香の手を握った。
「美香、怖かったね」
「うん」
「でも、すごく強かった」
美香は首を振った。
「一人だったら無理やった。みんながおるってわかっとったけん、言えた」
光子が涙目で言った。
「美香お姉ちゃんは、小倉家の娘たい」
優子も頷く。
「誰にも渡さん」
美香は二人を抱きしめた。
かつて、自分を連れ戻そうとした人たち。
金を奪おうとした人たち。
そして今度は、病気を理由に身体の一部まで求めてきた人たち。
でも、美香はもう、そこへ戻らない。
自分の人生は、自分のもの。
家族は、自分を守ってくれた人たち。
その夜、美香は指輪を見つめた。
アキラから贈られた婚約指輪。
そして、スマホの待受には小倉家の家族写真。
美香は小さく呟いた。
「私は、小倉美香たい」
⸻
次回予告
出所した和正と香織が、美香のマンションに現れる。
治療費、そして腎臓提供。
最後まで美香を都合よく利用しようとする二人に、美香ははっきり告げる。
「私の両親は、小倉優馬と美鈴です」
再び警察に連行される和正と香織。
そして美香は、自分の人生を守る強さを手にしていた。
次回、第百四話
「私の両親」




