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第9話 蓮池駅

 カクンと横に倒れて、意識を取り戻す。


 思考が飛んで、頭が固まる。周りを見渡して、電車に乗っていたことを思い出した。


 乗客は私と、反対の端に座る須藤さんだけで他の人は乗っていない。ガランとした車内はカタンコトンと揺らす音を響かせて、私達を運んでいた。


 もう少ししたら郊外の、自宅の最寄駅に着くだろうか。


 窓の外を見る。外は緑々とした木々で埋め尽くされ、右へ勢いよく流れ去っていく。


……おかしい。都市部から郊外に向かっているが、こんな緑に囲われた場所を通った記憶がない。なにやら、いつもと違う雰囲気に、焦りを感じていると、一瞬で緑の壁が消えて青空が遠くまで突き抜けた。


「…………え」


 窓の外は、見慣れない田舎の風景だった。


 若草色の田んぼが地平線に伸び、遠くには木で化粧した小山がそびえ、山の麓では家が寄り添い建っている。


 どこかで見たような日本の原風景を電車の窓が映していた。


 郊外の住宅街ではない……見知らぬ田舎を走っていた。


「うそ、寝過ごした!?」


 大声で立ち上がった私に驚いて、須藤さんの体がビクリと跳ねた。


「ど、どうした、大声なんか出して」


「今、どこにいます!?」


「どこって、俺もわからないよ。ここらへん来たことないし」


 須藤さんも瞳をキョトンとして、後頭部を掻きながら、電車の中を見渡している。


「とりあえず、次で降りなきゃ……!」


 急いでドアの前に立つが、だからといって電車が停まるはずもなく、ただ目の前の景色が過ぎ去っていく。


 今、自分がどこにいるのかも分からない状態で、どこかヒントになるものがないかと、窓を見ても、外は田んぼと木々だけ。


 そして電車は再び林の中に入って、緑一色の景色に移り変わる。


 焦り、募って、窓の外を見続けても、体がそわそわと動くだけで、何も変わらない。


 すると、一瞬だけ開いた景色に、不思議な光景が目に映る。


 揺らめく水面が、ガラス玉みたいに光を転がして、桃色の花々をきらびやかなドレスのようにまとった池だった。


 瞳に映った景色が、瞬きすると流れ去って固まっていた意識をハッと取り戻す。


 今の……どこかで見たような──


 見覚えのある風景に思考を巡らせていると車内の放送が流れてきた。


『まもなく、蓮池駅、蓮池駅。お出口は左側です』


 蓮池駅…………蓮池駅?


 聞き覚えのある駅名だ。


 さっきから既視感が重なる。


 頭の隅を突かれているような、記憶が私に気付けと叫んでいる。けれど、ここがどこなのか思い出すことが出来ない。


 電車は林を抜けて、同じような田んぼの風景を再び走りはじめた。


 そのまま外を見ていると、次第に速度を落として景色がゆったりと流れ始める。


 線路沿いに生えた植物が形づいて見えると、今度はコンクリートの地面が現れて電車に沿って流れていく。


 白いペンキが塗られた小さな待合室が見えると電車は停まり、ピンポンと音を鳴らして扉が左右に開いた。


 一歩、開いた扉から踏み出して、日差しを肌に浴びる。


 軽く息を吸うと、透き通った木々の匂いが夏風に運ばれて、ほっとした安心感と飽きれたような懐かしさが私の心を暖かく包んだ。


 覚えのある体感に、軽く頭をひねる。


 やはり、ここに来たことがあるのだろうか。


 再放送の映画を見ているような、デジャヴを感じるリアリティがどうにも気になって、自分の手のひらを見た。


 指を軽く握って、グーパーと繰り返すが、どこにも異変は見当たらない。


「だいぶ地方に来たね」


 須藤さんも電車を降りて、んー……と大きく手を伸ばして、息を吸い込んだ。


 私達が降りると、電車の扉が閉まった。


 駆動音を鳴らしながら、カタン、コトン、ゆっくりと車輪を揺らす。


 速度が乗って通り過ぎると、電車はあっという間に遠くまで離れていく。


 線路を走る顔が小さくなって、林の中へと消えていった。電車が去ったホームは、風に揺られた木々のざわめきだけが、ささやき声となって静かに聞こえる。


「反対側にいきましょう」


 電車が去った方向には、線路を渡るための跨線橋が建っていた。コンクリートの基礎から細い鉄骨が組まれて出来ている。


 入口の天井は低く、背の高い人は頭をぶつけそうだ。


 一段が高くて上りにくい階段に、息が切れそうになりながらも橋を上る。降りる方も、これまた急な階段で、手すりに捕まりながら転ばないよう慎重に下りていく。


 反対側のホームに降りた先、白いペンキが塗られた駅舎があった。


 改札機のない出入り口の壁には、時刻表と白いプラスチック製の安そうな大時計が掛けられている。


 時計の針は二時十五分を指していた。


 隣の時刻表と見比べて、今の時間から直近の入線時刻を見ると、次にくる電車は三時四十分だ。あと一時間半も時間がある。


「だいぶ暇になりそうだな」


 隣で時刻表を見た須藤さんも、同じような感想をつぶやく。


 ふと、壁に貼られていたポスターが視界に入った。桃色の文字で『蓮池はすまつり』と書かれて、蓮の花々が咲く池に、屋根付きの小舟が浮かんでいる。


 電車内から一瞬見えた、あの池だ。


 水面に浮かんだ皿状の蓮葉と、茎の先端についた蓮の花々が広がる景色。


 そして、船が映されたポスター。


 見たことのある風景が、同じ場所だという確信を持たせてくれる。


 ポスターの端には、駅からの道のりを示した地図が掲載されていた。


 ここから歩いても、数分で着くらしい。


「あの、ここに行ってもいいですか」


 ポスターを指差して、須藤さんを見る。


 須藤さんは指されたポスターを見て、何度かぱちぱちと瞬きをしてから、顔を向けた。


「ここに行きたいの?」


「あ、えっと……暇なら、時間つぶしに歩きたくて……」


 適当に言い訳を並べる私に、須藤さんは優しく目を向けている。


「いいと思うよ? そもそも俺の許可なんて必要ないんだし」


「まあ……そうかもしれませんが」


 だとしても、同行しているのだから了承は必要だと思う。そうしないと本当に行っていいのか分からないし、不安だ。


 とりあえず駅舎を出ようと、改札機のない出入り口に立ち、一つ気付いてしまった。


「あ……改札」


 ここに来る前から無賃乗車して来たけれど支払いはどうすればいいのだろう。


 夢の中で、しかも改札がないからと言って何も支払わず出たら犯罪だ。


 誰もいないはずなのに、背中を突かれているような罪悪感が嫌で、足が固まる。


「ん? 行かないのか?」


 立ち止まる私を置いて、須藤さんは気の抜けた表情をしながら、何一つ気にしないで、改札を抜けた。


「すみません、行きます」


 それを見て、私も改札を抜ける。背中を突く指は少し弱かった気がした。


 蓮池駅の駅前は、車道が一本通り抜けて、道沿いに住宅やお店が建ち並んでいる。


 ただそのどれもが古ぼけて、窓にヒビが入っていたり、障子の和紙が破けて中が見えたりしている。


 誰かが住んでいるような気配はない。


 店は全てシャッターを閉じて、タクシーや散髪屋の看板はボロく剥がれ、電話番号が描かれていても読み取ることが出来ない。


 建物一つひとつが古く、廃れた町に閑古鳥が鳴いていた。


 「蓮池はすまつり」のポスターには、駅を出て左に向かった先が会場と書かれていた。


 私が先行して道を歩く。その後ろを須藤さんは数歩離れて付いてくる。


 寂しげな風が髪を揺らして、木の葉が舞い散り、遠くの方へ飛んでいった。


 風が止んで町を抜けると、建物の数が一気に減って、目の前には開けた田んぼの景色が広がっていた。


 私達が歩く車道の右側に田んぼの地平線が遠くまで伸びて、左側は杉林によって緑の壁が作られていた。


 数分歩いていると、不均等に並んだ木々の隙間から、池に浮かぶ桃色の花が、ちらほらと顔を覗かせていた。


「あ、咲いている」


 木に隠されながらも綺麗に咲く花々が気になり、跳ねる足にバネが付いて、期待が高まっていく。


 弾む心を抑えきれず、道路を歩いていると後ろから小さな女の子が私を追い越した。


『ほら! はやくいこーよ!』


 女の子は一瞬だけ姿を見せて、煙みたいに揺らいで消えた。


「いまのは……」


 見覚えのある女の子を追いかけて、私も足を走らせる。


 木々の壁が途中で切れると、そこから一気に水平線が広がっていた。


 目の前に現れたのは極楽浄土。そう錯覚するほどの花々が一面に咲いていた。


 瑞々しい蓮葉が薄緑色に池を染め、その間から淡桃色の花が顔を覗かせている。


 水面から伸びた茎はくびれのような曲線美を描き、先端には淡桃色の花びらを幾重にも重ねて、その一本一本が妖艶な踊り子のように揺らめいて私たちを誘っていた。


 心が惹かれて無意識に足が進んでく。


 夏の、ほんの一時期にしか咲かない花が、一面に咲き乱れる蓮の池。


「──すごい、綺麗」


 息を忘れるほど美しい世界に、意識の全てが持っていかれる。


「これは……すごい」


 須藤さんも蓮池を眺めて感嘆を漏らす。


 美しすぎる景色は人間の思考を、語彙力を失わせて、意識を支配する。


 いつの間にか足を止めて、ただ、ただ目に映る蓮の花々を見ていた。

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