第7話 見送りは、ここで充分かな
私は、どこでこの花を見たんだっけ──
『──なく三番線に──駅行き────ります───より下がって────さい』
何やら放送が鳴っている。
消えかけた意識で、考えごとをしていたせいか、きちんと聞き取れなかった。
でも、三番線に電車がくるらしい。危ないのでベンチに座ったまま待つ。
さっきのおどろおどろしい汽車が来なければいいけど。
「おーい、大丈夫か?」
眠そうな私を見てか、須藤さんが後ろから声をかけてきた。
「電車くるらしいけど、どうするよ」
「いつも乗っている電車なら、帰れるので乗ります」
「そっか、なら寝過ごす前に起きるんだぞ」
「はい……」
どうしてか、ベンチに座った途端に眠くなってしまった。夢の中で寝て良いものなのか分からない。けど、耳裏をくすぐる睡魔のささやきに、うまく抵抗ができない。
こんな状態で立っていたら、倒れて線路に落ちてしまいそう。
落ちたら電車に轢かれて死ぬんだろうな。
飛び込み自殺は、たしか多額の賠償気がかかるんだっけ。そんな話をどこかで聞いた。
だから自殺するなら電車に飛び込まない方がいいらしい。それが本当か知らないけど、少なくとも死ぬ方法として正しくないと思う。
電車を待っていると、古い民謡みたいな、小気味よいリズミカルな放送が聞こえてきた。レールの先、深い霧の方を見る。
四角い躯体、半透明な黒フィルムが貼られたガラス、橙と緑のラインが入った顔。まじまじと見たことがなかった電車の正面がゆっくりと近づいてくる。こんな顔だったかな。
今までは電車の側面しか見ていないから、こんなに正面を見たことがなかった。
勢いよく近づいてくる顔が、思ったよりも巨大で、その圧迫感に気圧されて、体が後ろにのけぞる。目の前を通り過ぎると同時に、荒ぶる風に巻き込まれて服がはためき、長い髪が顔について視界が遮られる。
次第にスピードを落として緩やかに電車が停まる。完全に動きが止まり、ピンポンと軽い電子音を鳴らして、扉が左右に開いた。
電車の中に乗客は一人もおらず、席は空いていた。さっきの黒い影みたいな、変なものは乗っていない。
これに乗れば家に帰れる。
扉が閉まってしまう前に、私は急いで電車へ乗り込んだ。
席に座ろうとして、後ろを振り返る。
須藤さんは駅ホームに立ったまま、優しく笑って私を見ていた。
「乗らないんですか」
開いた扉の前まで近づく。
須藤さんも、電車の前まで近づいた。
「見送りは……ここで充分かな」
ほんのわずかに眉を寄せて、少しぎこちなく笑っていた。無理して笑っている。そんな風に見えてしまった。
「ここに残るんですか」
「うーん、まあそうかな」
この駅に残る。
残っていたら、あの汽車が来るだろうか。
そしたら、また意識を失って、須藤さんは不気味な汽車に乗り込むかもしれない。
胸の内に引っかかる黒い塊が重りとなって今にも落ちそうな不安がぶら下がっていた。
「ここに残らない方が、いいですよ」
「でもさ、さすがにこれ以上は、ついてかない方がいいと思うんだ。ほら、見知らぬ男と一緒にいても怖いでしょ」
口数が増えて、わざとらしく笑っている。
段々と分かってきた。この人は誤魔化すのが本当に苦手なんだ。
早くしないと、扉が閉まってしまう。
自分の中で弾けた衝動にかられて、思わず手が伸びた。
「早く乗ってください」
シワシワにヨレた須藤さんの袖を掴んで、力を込めて引っ張る。
「ぅおっ、と」
急な行動に、須藤さんはバランスを崩してそのまま電車に乗り込んだ。
須藤さんが電車に乗ると、扉は閉まって、ガゴンとしっかり施錠された。
私の前に須藤さんが立つ。そのまま電車がゆっくりと動き出し、聞こえる駆動音が段々大きくなって、カタンコトンと鳴りはじめた。
扉についた窓の外、私達がいた駅ホームが景色となって流れ去っていく。
「……乗ってしまったのなら、座ろうか」
私を見下ろす瞳の、黒みがかった目には、悲しむような淡い水色の光が見えた。
須藤さんはそれだけ言うと、私から離れて横長に並んだ端の席に座って目を閉じた。
余計なこと、しちゃったのかな。
なんだか立っていられず、私も席に座った。
須藤さんから二人分の席を空けて座る。
クッションを詰め込んだ座面がふわり優しく包み込んで、腰を落ち着けた。
ふわふわと綿毛をつめた柔らかいスポンジが、私の体を包み込む。雲に座ったような夢心地に、カタンコトンと優しいリズムが重なって眠気が強まっていく。寝ないよう意識しても、スマホが無いとやることがない。
とりあえず流れ行く窓の景色を眺めることにした。外は深い霧に包まれたままで、何の景色も映さない。
そうして窓を見ていたらゴオッと風を裂く音と同時に、窓の外が暗闇に包まれた。
トンネルに入ったのだろう。真っ暗な窓に私の顔がボンヤリと映し出される。
あまり可愛くもない私の顔。バランスが悪い中途半端な顔とか見たいものではない。
また少し湧き上がる──死にたい。
ゴポリと気泡が漏れる音。
そんな音が、またどこかで聞こえた。
これ以上、私の顔を見ないため、静かに、ゆっくりと目を閉じて、水の中へ沈むよう、──私は意識を手放した。




