第6話 水底へ向かう汽車
アニメの水没都市みたいに、水が浸水した建物みたいに、退廃的に朽ちたレールが赤茶色に錆びて、水の上を遠くまで伸びていた。
「な、にこれ……」
一歩ずつ歩いて、ホームの先端に立つ。
体をしゃがめてよく見ると、水上のレールは水底へ向かって斜めに伸びている。伸びた先は水に沈み、行き先も深い水底だった。
『まもなく四番線に列車が参ります。ご乗車のお客様は、黄色い線より下がって、お待ち下さい』
注意の放送が流れた。隣に立つ須藤さんはボーっとして、意識半分のままだった。
「あの、須藤さん」
近くで声をかけても反応がない。
「須藤さん……!」
軽く袖を引いて揺らす。それでも須藤さんは何も反応してくれない。
──瞬間──鋭い汽笛が心臓を突き抜けた。思わず振り返ったレールの先、深い霧の向こうから光源が見える。
霧に紛れた光だけが私達を見て、その姿は白いモヤに隠れている。
驚いた心臓が落ち着かず、鼓動が耳に届いて騒がしい。そして聞こえてくるガシャンガシャンと噛み合わない歯車が擦れる音。
霧を照らす不気味な光が、次第にその形を大きくして、私達の前に姿を現した。
黒鉄の鈍色が怪しく光る体、正面の煙突から白い煙を吹き上げ、後部には黒い乗客席を繋げた──蒸気機関車だ。
煙突から立ち込める白い煙が空に舞って、より一層霧を深めている。
汽車の躯体から、怪しげな煙が忍び寄り、私の足元に触れた。
ひたり、ひたりと、誰かの手がすり抜けた感覚に、足から恐怖が伝染する。
慣れ親しんだ場所に、見慣れないものがある違和感。毎日使っている駅に、突然現れた異質な汽車が、さわりと心臓を撫でて、凄いと感嘆する心が、全く湧かない。
異様な雰囲気に肌を当てられて、鈍く光る黒い輝きも綺麗なのに、怖い。
ぎぎっと老朽化した躯体を擦って、汽車は停まった。そしてもう一度、心臓を貫く汽笛を鳴らして笑った。
後部の黒く艷やかな乗客車両は漆が塗られた棺桶みたいで、窓の中からナニカが私を見ている。
黒いモヤみたいな、人の形をした黒い煙が、体をぐにゃりと曲げて、私を見ている。
乗客席の真っ黒な扉が、音もなく左右に開いて、中から霧が漏れる。
ただ開いただけの扉なのに、中で誰かが手を差し伸べて私達を誘っていた。
握っていた須藤さんの裾をギュッと、強く掴んで、息が、心臓が、焦っている。
汽車の車体は、斜めに曲がっていた。
進行方向は、水の中。
深い水底へ向かっている────
乗ってはいけないと本能が警報を鳴らす。自分の意志と関係なく足は震え、心臓は暴れ、息は細かく切れる。
グイッと須藤さんが汽車に向かって、歩き出した。裾を掴んでいた私も引っ張られる。
「須藤さん! ちょっと、待ってください!」
全身の筋肉を使って、力の限り須藤さんを引く。それでも、ズズ……ズズと私の体ごと歩いて、少しずつ汽車に近づいていた。
「お願いです! 乗らないで……ください‼」
必死に腕へ力を入れても、須藤さんは止まらない。声をかけても反応がない。
どうしようもない状況に、手汗が滲む。
焦り、逸って、助けてくれそうな人を探す。私たち以外、誰もいないと分かっていても、助けを求めてあたりを見渡した。
そして視界の端に黒いものが目に映った。
汽車の先頭近く、駅ホームにスーツを着た黒い煙が立っていた。それは駅員のような、黒い帽子を被って私を見ている。
アレが何か考える前に、私は叫んでいた。
「えと、あの! 乗らないです! 乗らないので行ってください!」
私が叫ぶと、黒い煙は帽子を少しあげて、軽く会釈をした。スーツ姿の黒い煙が汽車に乗り込むと、乗客車両の扉は無音で閉まり、須藤さんは歩くのをやめた。
天高く突き抜けた汽笛を鳴らすと、汽車は古びた車輪をゆっくりと回した。
ガタンゴトンと、重い金属がぶつかる音を繰り返しながら汽車は進む。
後部につながった乗客席も、先頭車両に続いて進んでいく。
そのまま水上を流れるように進んで、次第に真っ暗闇に染まった水底へ消えていった。
「行った……」
青深い水面を眺める。汽車がいた形跡は一つもなく、耳を劈く汽笛も聞こえない。
汽車がいなくなったホームは、なだらかに流れる水の音と、激しく鼓動を鳴らす心臓音だけがうるさく響いていた。荒れた息は少しずつ整って、ふぅ、と小さく吐き出した。
「須藤さん、須藤さん。大丈夫ですか」
隣で立ち呆ける須藤さんの腕を揺らす。
「…………んあ…………あれ?」
魂を取り戻すと、目がしっかり開かれて、須藤さんは意識を取り戻した。
握っていた袖を離して、一歩半の距離をとる。須藤さんの袖はくしゃくしゃにヨレて、シワがついてしまった。
「あれ、俺……何してた?」
須藤さんは目を大きくあけてきょろきょろと見渡す。
「汽車に乗ろうとしていました。意識はないようでしたが」
「汽車に乗る? 意識がない? なんで?」
「わかりません。ですが魂が抜けたみたいで怖かったです」
そう、あれは本当に魂がないようだった。抜け殻になった体だけが動いているようで、ゾンビみたいに歩いて本当に怖かった。
それ以上に、あの汽車に乗ろうとしていたことが何よりも怖かった。
「……ああ、そっか。四番線に電車か……」
須藤さんは、どこか納得した様子で頷き、小さく肩の力を抜いた。
「止めてくれたんだ、ありがとう」
温かい目で、優しく見つめて、まっすぐに私を見て微笑みかけた。
「え、あ……いえ、別にそこまで……」
唐突にお礼を言われて、ふわふわの毛皮で首元を撫でられたみたいで、むずがゆい。
けど、そこまで悪い気もしない。
だけどやっぱり恥ずかしいもので、赤くなりそうな顔を見られないよう、須藤さんに背を向けた。
「大したことじゃないです」
そのまま足を駆け出して、須藤さんから離れた。反対側の三番線に戻って、白ペンキのベンチに座る。安っぽい樹脂製のベンチが、光を身につけて、少しだけ美しく見えた。
ホームに並行して並んだベンチに座ると、視線は自然と線路に目が向かう。
「……あれ、こっちにも水がきてる」
よくよく見ると、三番線のレールも水に浸っていた。水上ギリギリを沿って、平行線のままレールが進んでいる。
四番線みたいに行き先が水の底にはなっていなかった。
三番線の水は透き通って、レール下の砂利まで見えるほど、透明に近い水色をしていた。
ちゃぷちゃぷと揺れる水面を見ていると、うつらうつらと意識が離れそうになる。
体が船を漕ぐように前後に揺れて、首がカクンと落ちかけた。
ベンチに座った途端、緊張の糸が切れて、急激な眠気が私の目元に襲ってくる。力の抜けた瞼が、今にも落ちそうだった。
ぼぅっとする頭を振って、意識半分で見ていた水面に、桃色の花が流れてきた。
幾重にも重なった淡桃色の花びら。
その中心に小さく黄色い円が描かれ、細くくびれた茎を横に倒し、ゆったりと、優雅に流れてきた。
どこかで……この花を見た気がする。
小さい頃にみたような、頭の片隅でゆらゆらと揺れる姿が記憶に残っていた。
あれはそう、確か──蓮の花。
蓮の花が一輪、水面に揺られて流れていた。




