第3話 苦いエスプレッソの思い出
教室から廊下に出て、玄関を通りぬける。
学校は住宅街の中にあって、校門から駅に向かって歩くと高架下へ着く。
高架の上では、敷かれたレールを、電車がせっせこと忙しなく走っている。
大半の生徒は高架下を通って最寄り駅へ向かい、そこから電車に乗って帰る。
私も通学には電車を使う。自宅近辺の戸野駅で降りてそこから歩く。郊外に建つマンションの八階が私の自宅だった。
都心に住めるほど、お金はない。
離婚した父から仕送りは来るけど、使っていないとのこと。母の収入で節約すれば生きていけるらしい。
父の仕送りは病気や怪我で入院など、何かトラブルがあった際の貯金と言っていた。
高架下の道を歩きながら、道路に沿って並ぶ建物を見る。
街なかのマンションや家は、鮮明に作られていなかった。輪郭や造形がボヤケている。
くもりガラスの眼鏡を掛けたようで、軽く眼鏡のレンズを袖で擦って、掛け直す。
街は変わらず形がボヤケていた。
現実離れした世界に立たされて、着心地が悪い首の痒さのような気持ち悪さがあった。
「帰り道はこっち?」
私から離れた後ろの方、数メートル離れた車道の真ん中を須藤さんが歩いていた。
「電車通学なので、駅に向かいます」
私達の上を走る電車を見る。ちょうど高架を走る電車が、地震みたいな揺れを起こして去っていった。
心地よい会話が続くわけでも、気まずい沈黙が流れるわけでもない微妙な空気。
ときどき須藤さんから質問されて、それに答えるだけの淡々とした作業みたいな会話を続けて、音が聞こえたら会話が途切れる。
歩道を歩く私と車道を歩く須藤さん。
互いに手が届かない数メートル。これが私と須藤さんの関係をそのまま表している。
「帰りはいつも一人で?」
「友達と帰るときもありましたよ」
大体は一人で帰っていたけど。
私の友達は部活や生徒会の活動で、一緒に帰れるタイミングがあまり無かった。
一緒に帰れるようになったのも、友達が部活を引退した三年生からで、それまでは独りきりで帰っていた。
友達と一緒に帰れるときは楽しかった。
ネットに流れるネタやショート動画を見ながら笑って歩いたり、好きな配信者や俳優のドラマを語っていた。
最近では、少年マンガのアニメも見るのも面白くて、それで会話が弾んで、気付いたら最寄り駅に着いていることだってあった。
話が止まらないときは、駅近くの高架下にある緑のロゴマークが特徴のカフェに入っていた。そこで甘いカフェラテと一緒にケーキを食べながら語り合う。
そんな時間が好きだった。
ちょうど最寄り駅に向かって歩いていると高架下に建てられた緑のカフェがあった。
やや汚れた味わいあるレンガ風の外装に、大きな英文字の店名を光らせている。入口はガラス張りの自動ドアとガラスの壁で、中に人がいるか見えるようになっていた。
他の建物と比べても、このカフェだけは、かなり鮮明に描かれている。
ガラス張りの入り口に近づいて中を覗く。
清潔感のある小洒落たダークトーンの壁紙と木製の家具、統一感のある色合いで空間を作り、間接光のぼんやりとした淡い照明が、室内を温かい光で満たしている。
入口近くには木製のサービスカウンターと足の長い黒革製カウンター席、奥の方には、木製の椅子とテーブルがずらりと並び、一部は壁付のソファで作られている。
店内に人影はなく、他に客はいなさそう。
もう少し中を覗き、店内を見ようとして、自動ドアが反応した。
扉がスライドして、店内の様子が見える。
人がいないだけでいつも通っていたカフェと変わりない。
前に入ったのは、いつだったかな。
ここ最近は何かに追われた日々で、一緒に行けなかった気がする。
中の様子を見ている私の隣で、須藤さんも立ち止まってカフェの中を見ていた。
「ここは知っている場所?」
「学校帰りに寄っていたカフェです」
懐かしさに誘われて、足が一歩前に進む。
店内に入って、一番奥の席を見た。
壁付ソファとテーブルの席、そこに誰もいないことを確認してから向かう。
席に近づいてソファに座る。後から続いた須藤さんは、私から一席離れて座った。
「ここで、いつも友達と話していました」
「コーヒーとか、好きなんだね」
「コーヒーよりカフェラテ派ですが、カフェラテもそこまで好きじゃありません」
あんな苦々しいコーヒーはもとより、デロデロに甘いシロップを混ぜたカフェラテも、そこまで好きじゃない。飲み物よりも友達と一緒にいる時間が好きだった。けれど、ここのカフェも楽しい思い出ばかりではない。
「ここの店員さん、少し怖いんです……」
コーヒーを飲んだ後の、じっとり残る舌触りみたいな苦い思い出は今でも覚えている。
「何を飲もうか迷っていたら舌打ちされて、そのまま焦って、目についたエスプレッソを注文したら、そのまま出てきちゃって」
苦すぎて飲めないし、かといって残すのはもったいない。捨てたらお金の無駄になるしお店にも申し訳ない。焦って適当に頼まなければよかったと、あのときは後悔した。
「あ、でもエスプレッソを友達が交換してくれて、にがーいって、笑っていたなぁ……」
そうだ、あのときは友達のおかげで、苦い出来事が、カフェラテの少し甘くて優しい、思い出になったのを覚えている。
「友達が注文していたのも季節限定のサツマイモラテで、美味しかったんです。私一人じゃ、絶対に頼まないような商品で……また、友達と飲みたいなぁ」
ふよ蘇る思い出に乗せられて、口が滑る。
何も言わず、相槌をはさみながら静かに聞いていた須藤さんと目が合った。
唐突な自分語りを初めてしまい、熱くなる顔を振り払って、ソファから立ち上がった。
「すみません。私一人で話しすぎました」
逃げるように早歩きでカフェを出る私に、須藤さんはゆっくりと立ち上がった。
「別に気にしなくていいのに」
多分、本当に気にしていないのだろうけど私が気になって仕方なかった。
後ろを歩く須藤さんを無視して、私は先にカフェを出た。




