第27話 白い天井
瞼の裏に焼き付く光。
白く滲んだ天井が見えて、左目に刺さる眩しい光が私の意識を揺り起こす。昼明かりの透き通った太陽が、ちょうど私の体を明るく照らしていた。
段々、思考が一つひとつ整理されていくと、どこかで嗅いだような薬品の匂いがした。
思い出すのは、学校で怪我したときに訪れた保健室の匂い。ここがどこなのか、起き上がろうとして腕に力を入れても動かず、体が縫い付けられたように重たい。
「──ゲホッゲホ」
声を出そうとして、喉にへばりついた痰が絡まった。
上手く声が出せない。
私は……私は───
水中でかき回される景色が、一瞬だけ目に映る。
私は──溺れた……はず。
入水自殺を……したはずだった。
「ゲホッ──」
呼吸をすると肺が萎んで息苦しい。胃の中が燃えるように熱く、動悸が弾けて胸が痛い。
仰向けのまま、ゆっくり息を整える。吸って吐いてを繰り返し、心臓を落ち着かせる。
思ったように動かない体をなんとか振り絞って、首だけに力を入れて周りを見渡した。
見えた景色には、私の腕あたりから伸びた透明な管と、それに繋がった透明な液のパック。一部屋に四台のベッドが、それぞれ離されて配置されている。仕切られたカーテンは開けられて、ベッドには誰もいない。
ここは……病院だろうか。
見慣れていないけれど、知っている場所に、息が落ち着いていく。とはいえ、ここがどこの病院なのか分からない。
誰かを呼ぶため声を出そうとして
「ゲホッ! ゲホッ!」
どうしても痰が絡まって声が出せない。何度も咳を繰り返していると、部屋の向こう、扉の先から誰かがやってきた。
「あ、起きましたか」
誰かと思って目を向けると、白い服装の看護婦が立っていた。
「今、先生呼んできますね」
やや慌てた様子で、看護婦は駆け足で離れていった。
「あ、待っ──ゲホッゲホ……ゲホッ」
看護婦を引き止めることもできず、咳を繰り返してしまう。仰向けで咳をしているせいで中途半端に出てきた痰が口に残って気持ち悪い。仕方なくゴクリの飲みこんで堪える。
何度か咳をしつつ、我慢して待っていると、看護婦と一緒に、白衣を着た女医が駆け足で病室に入ってきた。肩につかない程度のセミロングに最低限の薄化粧で済ませた仕事一筋にみえる人だった。
「少しベッドを起こしますね」
看護婦が枕元の壁についたスイッチを操作して、ベッドを起こす。寝たままだった私の体が一緒に起こされて、ベッド脇の椅子に座った女医と目が合った。
「ちょっとお腹を見せてくださいね」
スイッチから手を離した看護婦が、今度は私の服をめくる。
そのまま女医がお腹や胸を診察して、目の開きや、開いた口も診られた。
「うーん、喉が炎症しているから、無理に喋らなくていいからね」
コクリと頷いて女医と目を合わせる。
「診たところ錠剤の飲みすぎで胃も炎症しています。吐き気とかある?」
もう一度、コクリと頷く。
「胸が痛いみたいなことは?」
また頷く。
「うん、薬の離脱症状でも、吐き気とか動悸が激しくなっているから、もうしばらく気持ち悪さとか続くと思います」
私から目をそらさないで、まっすぐに私を見ている。
「もし吐きそうになったら、これに吐いていいですからね」
ベッド脇の机に洗面器が置かれていた。
「まだ無理して喋らなくていいので、話せるようになったら私に話してください」
どこか諭すような優しい目。
この感じ、あの人もそうだった。
涙が溜まりそうな瞳を瞑って、コクリと強く頷いた。
「何かあったらナースコールを押して下さい」
失礼しますと言ったあと、女医と看護婦は病室を出ていった。
再び無音となった病室。ポツリと置かれた洗面器を見たあと、窓の外に目を向ける。
病院周りは二階建ての住宅ばかりで、屋根が見えるあたり、この病室が三・四階だと分かる。すぐ近くに一本の橋が架けられて、ときおり通る車が川を渡っていく。
見覚えのない場所だ。
ここがどこなのか調べようと、スマホを探して首を振るが、どこにも見当たらない。
私が着ていた服装もなく、私の財布もスマホも見当たらない。少しずつ力が入るようになった手を軽く動かして、着ている薄桃色のパジャマみたいな患者服をまさぐるが、どこにも無い。
最悪だ……どこかに落としたかもしれない。もしかしたら川の中に沈んでいる可能性もある。
「はぁ……」
重たいため息にくっついて、魂が抜けてしまいそうだ。
どうしようもない状況におかれ、何もする気が起きない。いや、そもそも何もできない。
呆然と気を抜いたまま、外の風景を眺める。
雲は揺らいで、川が流れる。
私の心をお構いなしに太陽は顔を出して、さんさんと私の体を温める。
まぁ……いっか。
あまりの快晴に、自然と笑みが溢れた。
どうしようもないことを考えても仕方ないと、ある意味ポジティブに諦めて、私はベッドに体を預ける。柔らかいベッドが雲に乗ったみたいで、空に浮かんだ気分のまま、ただずっと空を眺めていた。
そうやってボーっとしたまま外を見ていると、引き戸が動く音が聞こえた。
静かに、けれど勢いよく引き戸が開けられた先には、息を切らした母が立っていた。
ボサボサの髪で、シワだらけの服。目の下には赤黒く腫れたクマをつくって、まともな化粧をしていない母がいた。
私と目が合って、足元がふらついた雑な早歩きで、ベッドに近づいてくる。
そして、目の前で立ち止まった。
息切れした様子に、肩で息をして、私をじっと見つめていた。
すっと伸びてきた手に、体がビクリと固まるが、お母さんの手は私を優しく包み込んだ。
「よかった……本当に、よかった…………」
温かく包まれた体に、張っていた糸が緩んで、力が抜ける。抱き寄せた母が、耳元で鼻をすすって、息が震えていた。抱きしめた手はゴワついて固くなって、おしゃれができそうにない手だった、とても温かい。
温かくて、優しくて、たまに叱ったり、見守ったりする、私のお母さん。
泣きはらして、抱きしめられて……大切な人がいるのに、自分勝手に死のうとした後悔が、波となって押し寄せ、私を飲み込む。瞳の奥から、罪悪感と涙が混ざり、私の頬をつたって落ちた。
「ごめん……なさい、ごめん、なさい! ごめんなさい!」
ただ、謝ることしかできなかった。
それ以外の言葉が見つからなかった。
お母さんに抱きしめられながら、ずっと、ずっと謝っていた。
ごめんなさい。
自殺なんかしてごめんなさい。




