第26話 生きて。
「……遺言、ですか」
須藤さんはうなずいて、優しく微笑んだ。
生きて。
どんなに今が辛くて、苦しくて
死にたいと思っていても
どうか、生きてほしい。
キミがどんな人であろうと
価値がなかろうと
意味がなかろうと
ただ、ただ無気力だとしても
それでも、生きて。
キミが生きている
それだけで、救われる。
それは祝言のような、祈りの言葉だった。
言葉ひとつが丁寧に織りこまれて、羽衣で包まれた胸の痛みを、天高く上げていく。
やがて空へ、遠く遠く消えていく。
静寂を取り戻した夢の世界で、穏やかな川のせせらぎだけが聞こえていた。流れ行く水面が光を転がして、一息の風が優しく私の頬を撫でた。空を覆う曇は切り開かれ、暖かな陽射しが私たちを照らす。
背中を刺す指は、もういない。
「生きている……だけでいいんですか」
須藤さんはうなずく。
最初の頃と何も変わらない、優しい陽だまりのような暖かな声で須藤さんは答える。
「生きている、それだけでいいんだ」
少し考えて、でも考えるまでもなくて、地面についた手を弾くように、力を目一杯こめて勢いよく立ち上がる。
「……それなら、できると思います」
大きく手を広げて伸びを一つ。ゆったりと吸い込んだ息が全身に巡る。
「うん、よろしく頼むよ」
須藤さんも立ち上がり、両手を空に伸ばして大きく背伸びをした。
その姿が、やけに薄くて、よくよく見ると須藤さんの体が消えかけていた。体を透過して川岸の芝生が透けて見えている。
「須藤さん……体が……」
私の指摘に、須藤さんは自分の体を見渡して、肩を落とすように小さく息を吐いた。
「もう夢が終わる。キミは現実に戻るんだね」
須藤さんは諦めたような、悟ったような、力ない笑顔を私に向けた。須藤さんの体が、光の粒子となって、天高く昇っていく。
気付けば、川の向こう側に広がる地平線も遠くの方から光の粒子となって消えていた。
夢の世界が少しずつ白く染まっていく。
私を残して、一面が光輝く。
その眩しさに、思わず手で目を隠した。
真っ白に包まれた夢の世界で、穏やかな優しい声だけが聞こえた。
『キミが生きていて、本当によかった』
その言葉を最後に、私は眩い光に包まれた。




