第23話 境駅行き
そういえば運転手さんが暖房を付けてくれたので、上部についた吹出口を私の方へ向けた。温まった空気が勢いよく風にのって、冷えた体が少しずつ温まっていく。
バスの中には私以外の乗客はいない。
窓ガラスに当たる雨の音と、足元で震えるエンジン音だけが静かに響いている。
外を見る。ガラスに溶けた雫が風景を歪め、バスの速度に合わせて景色が流れていく。
数分おきに放送が流れ、機械的な女性の声が次の停車駅を教えてくれる。
最初の方にはいなかった乗客も、次々と駅に停まるたびに増えていく。園児の娘と母、杖をついたご婦人、金髪に色を染めた青年、席が埋まりつつあると、私の隣にも同世代の女学生が近づいてきた。金魚のフンみたいに固まって三人の女学生が隣に座る。
私の学区とは離れているため、サボっていることはバレないと思う。けれど、同年代の私がいて変に怪しまれるのも嫌なので、女学生らを見ないよう窓の外へ視線を向けた。
外は変わらず曇っているが、雨は止みつつある。緑色の風景は減って、いつの間にか一軒家やアパートが増えていた。街の中に入ったのなら、もう少しで駅に着くだろうか。そう考えていると、隣から嫌な会話が聞こえた。
「マジさー、来年から受験とかダルくね?」
受験という単語が聞こえて、胸が痛い。胃液が熱く沸騰し、喉元に近づいてくる。
「受験とか病むわ」
「それは草。やる前から病むとかあんの?」
「知らん、でも実際にクソ病むっしょ」
「それはそうだけどねー」
経験者の私からすれば病んで、死にたくなるけどね。
「マジで受験とかしたくねーわ」
「それな。何もしないで大学いけないかなー」
「ムリムリ、そういうの頭のいいやつか運動できるやつっしょ。ウチらにはムリよ」
「だけどさー、落ちたらマジでやばくね?」
ドキリと心臓が飛び跳ねそうになる。
「落ちるのはマジやばい。だって浪人っしょ?ゼッタイにしたくないわー」
「ほんそれ。落ちたときとか考えたくねーわ」
私も……何も考えていなかった。
大学落ちて、これからどうしよう。
浪人する?
難解大を目指しているわけじゃないのに?
就職する?
どこに?
就活もしていないのに働けるはずがない。
暗闇を歩くような漠然とした不安が、足に絡まりはじめる。
歩こうとしても足元を照らす道標や、先の未来を見据えたゴールもない。ただ暗い世界で右往左往、フラフラと手探りに彷徨くことしかできない。
『まもなく境川病院前……境川病院前。お降りの方はバスが完全に停車するまで──』
「お、次で降りっぞー」
「りょー」
隣でガチャガチャとキーホルダーがぶつかりあう音が聞こえてから、ピンポーンと鳴り響く。『次、停まります』と女性の機械音が聞こえた。少ししてからバスは川沿いに建つ病院前で停まり、女子学生らが下りていく。
「大学落ちたら、死ぬしかないね」
と一言最後につぶやいて女子学生らはバスから降りていった。
その言葉が、私に向けて言われている気がして、深く、心臓を貫いた。空虚な痛みに、胸を抑えて、呼吸が短く、荒くなっていく。
バスは再び発車して、終わりへ向かう。
『まもなく終点、境駅前東口……お降りのお客様はバスが完全に停車するまで──』
終点に着く。
そろそろバスを降りなきゃいけない。
気付けば、辺りは地方都市の低層ビルが建ち並ぶ場所にいた。
終点が駅前となっているのに、中途半端に駅から離れた位置でバスは停車した。
常連の人たちは慣れた足取りでゾロゾロと降りていく。私もその流れに沿って歩いて降りていった。先に降りた人たちは、みんな同じ方向に歩いていく。駅があるのだろう。
私も付いて行こうとしたところで、足が止まった。動けない私を置いて、後に降りた人たちが、私を追い越して駅へ向かっていく。
家に帰ろうとしていた気持ちが、いつのまにか暗い穴に落ちていた。いや落ちたことを忘れていた。私はただ落ちた穴の底から空を見ていただけにすぎない。現実は変わらず、私は大学受験に失敗して、私の未来は暗いままで、夢も希望もない人生に、行くべき先も分からないままだった。
家に帰ったところで、私の人生が好転するわけじゃない。
むしろ、これから苦しい未来しかなくて、辛い日々しか残っていない。
なら、やっぱり、ここで死んだ方がいいのかも知れない。
空を覆っていた雲が厚みを増して、黒く、暗灰色の空へ染めていく。そしてポツリ、ポツリ、雨が地面に染みこんだ。次第に雨は服に触れ、私の体温を、心の熱を奪っていく。
死にたい……けど、死ぬのは怖い。
だから死ねない。
でもやっぱり、死にたい。
楽に、一思いに、苦しまずに殺してほしい。
自分で自分を殺せないから……だから私を殺してほしい。ナイフで刺してもいい、車で轢いてもいい。
苦しまない方法で、楽に殺してほしい。
──プルルルルル──
突然、携帯が震えて、心臓がドキリと跳ねた。手元で光った画面に、知らない番号が表示されていた。
お母さんでも、晴でもない……誰だろう。
…………もしかして、大学から?
大学から電話──かもしれない!
ああ、そうだ。そうだよ。
やっぱり間違いだったんだ!
番号を間違えて本当は合格していたんだ!
歓喜に震える指で、画面に触れて、勢いよく電話に出る。




