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第22話 六文駅

「……あの……みません………すみません!」


 全身を揺すられ、意識が引き起こされる。


 思考が飛んで、自分が置かれた状況を理解できず、あたりを見渡す。


 電車の中、鬼の形相な駅員さん、周りには私以外の乗客は誰一人いない。


「あの! もう終点なんですけど!」


 バットで殴りつける怒声が頭に響いて体が飛び跳ねる。


「え、あ……す、すみま──」


「いいから早く出てってください! 早く車庫に入れないといけないんです!」


 起き抜けに状況が理解できないまま、駅員に促されて電車を出る。


 私の後ろでプシューと空気を抜いて扉は閉まり、電車はゆっくりと動きはじめる。


 走り去る電車の風でゴミ袋が転がり、遠くの方へ高く飛んでいった。


「…………ここどこ」


 降り立ったのは、見覚えのない田舎の駅。


 屋根裏に吊られた看板を見ると「六文駅」と書かれていた。スマホで検索すると私が使っていた駅からいける一番遠い駅だった。


 郊外に向かう電車に乗った結果、県をまたいで知らない田舎に来てしまった。


 駅のホームから見ても一面の緑、緑、緑。


 線路に沿って並び立つ木製フェンスはあまりに低く、簡単に乗り越えられてしまう。ましてや灰色にくすんだ木板が折れており、フェンスの役割を果たしていない。


 フェンスの向こうは、一応作りましたよと言いたげな細い一本の道路があって、ときおり車が通っていく交通量しかない。


 建物は、小さな平屋のしょぼくれた駅舎が一軒。細い鉄骨は塗装が剥がれ落ちて、腐食した赤黒い錆が柱を蝕んでいる。ボロボロに崩れた部分を見ていると、今にも建物が崩れそうで怖い。


「これからどうしよう……」


 随分と遠くまで来てしまった。


 自殺したくて、上手くいかなくて、家にも学校にも行きたくなくて、目的もなく電車に乗って、どこか遠くへ行ってしまいたいと、思った先にたどり着いたのは、見知らぬ地方の田舎だった。山の近くにあるせいか、都心よりも空気が冷たい。吸い込んだ息で乾いた唇が震える。


「……今からでも、戻れるかな」


 スマホを開いて六文駅を調べる。ホームページの時刻表を見ると、電車が一時間に一本しか来ていなかった。


 時刻は昼過ぎの十三時。次に電車が来るのは十四時半。一時間半も時間が余っていた。


 それまで何をしようか。


 昨夜からスマホを使っていたせいで充電も20%と心もとない。マップを開いて充電できそうなカフェやコンビニがないか検索する。


 ピンが示したのは、六文駅から歩いて二十分のコンビニだった。少し歩くのは面倒だが充電がなくなって帰れなくなるよりマシだ。


 取り敢えず改札口を通って外に出よう。


 駅舎の方を見ても駅員がいる気配はない。改札機だけが置かれた駅のようだった。センサーにスマホをかざして通り抜けようとしたら、ピーッと甲高い警告音と共に、目の前でゲートが閉まった。


「ぐえ」


 急いで通り抜けようとした勢いが、そのまま腹へ直撃する。内蔵を圧し潰された感覚に、カエルが潰れたような声が鳴った。


 駅舎内の椅子に座っていたおばあちゃんが大きく開いた目で私を見た。


 急速に顔が沸騰して、三月の寒さが吹き飛ぶほどの熱が体中から噴き出る。


「すみません……」


 つい謝罪の言葉が出てしまう。誰に言っているのかわからない小さい声で謝りつつ改札機から離れた。


 スマホの電子決済ページを開いて五千円をチャージする。


 母のクレジットカードから引き落とされるため、月五千円までと決まっていた。約束を破ってチャージするので、多分戻ったら怒られると思う。


 でもお金がないと出られないから、仕方のないことだと自分に言い訳をきかせてピロンとチャージが完了した。


 改札機にかざして数千円が引き落とされ、ゲートが開く。さっきのおばあちゃんが、怪しげに目を細めて私を見ている。恥ずかしいからこれ以上は見ないでほしい。


 そそくさと駅舎から出る。


 空は曇りがかっているけど、優しい陽が姿を現した。ちょうど私の真上から照らされて冷えた体をほんのりと温めてくれる。


 駅前を横切る小さな一本道の車道に沿って歩きはじめた。歩道はないのでなるべく車道に入らないよう白線の内側を歩く。駅前の道に面して赤い屋根の家やシャッターが下りたままのお店が建ち並んでいる。


 そのどれもが古びて、黒い雨だれが壁に垂れ、ひび割れた窓に緑のテープが貼られている。無人に見えるが、雑草が生え散らかった駐車場に車が停まっているので、人は住んでいるようだった。


 田舎の駅前はどこも同じだ。地方都市の駅でなければ田舎の駅はどこも寂れている。


 駅から少し歩いただけで廃れた町すらなくなり、手入れのされていない生い茂った林と原っぱ、あとは田んぼだけになる。


 枯れかけの淡黄色に囲われた、田んぼの横を歩いていると、少し先に陽の光を飲みこんだ杉林が続いていた。道の左右に生えた杉林は赤い花粉の実を付けて鬱屈な空気を感じる。やや不気味ながらも杉林を抜けた向こうでは淡黄色の田んぼが同じように広がっていた。スマホのマップを開いても、この道を歩かなければコンビニに辿り着かない。


 萎む心臓を「よし!」と声を張って元気づける。周りを見ないよう早歩きで翔けた。


 急いで杉林を出て、田畑が広がった場所に出た。三月の田んぼは刈り終えた稲が根元だけ残って行儀よく並んでいる。淡黄色の地平線が遠くの山々まで伸びて、ところどころにボロ小屋が建っていた。


 既視感のある風景に、母の実家を思い出す。あの場所も田んぼと畑、あとは山しかない場所だった。母の実家は蓮が見れる池があったような気がするが、ここには何もない。


 観光名所となる場所も、それを示す看板も見当たらなかった。どこも同じような風景の、見たような雰囲気なのに、知らない場所というだけで寒気がするような不安感が胸につきまとっている。陽も陰りはじめ、灰色の雲がどんよりと蓋をして空を隠していた。


 あとどれくらいかかるのかマップで再検索をかける。コンビニまであと徒歩で十一分。半分ほどまで来ていた。雨が降る前に着かないと考えた途端、鼻先に冷たい雫が、ポツリと当たった。


 ふと上を見ると今度は額に当たって、息をする間もなく雨が降りはじめた。


「ちょっとまってよ……!」


 突然の雨に、急いで戻ろうと足を走らせる。けれど降りしきる雨に髪が濡れ始め、コートが、ジーンズが濡れる。急いでパーカーのフードを取り出してかぶる。しかし、それでも雨は貫通して、冷たい雨が服の中に染みてくる。


 勢いを増していく雨で、徐々に全身が濡れていき、服がピッタリと肌に吸い付いてくる。


 駅までの道のりはだいぶ長い。


 十一分は走る必要がある。急いで走っても、同じような木々と原っぱだけで景色はいっこうに変わらない。


「はぁ、はぁ──」


 受験続きで部屋にこもっていたせいで、体力が激的に落ちていた。電柱を何本か越しただけで息が切れて肺が走るなと叫んでいる。


 水を吸った服が重くなり、私だけ重力が倍になったみたいで足がうまく動かない。


 雨に濡れるのは諦めて、どこかで休めないか歩いていると、一軒のボロ小屋が道の脇でポツンと独り立っていた。


 何もない原っぱに独り寂しく佇んでいる。


 降りしきる雨に打たれながら孤独に、誰も来ず、誰にも利用されず、無価値にボロ小屋は誰かが来るのを待っていた。


 小屋の中に水色の古臭いベンチが置かれ、休んでいいんだよと言っていた。


 自然と足が可哀想な小屋に向かう。


 薄いトタン屋根に雨が当たる。ポツポツと、雫の弾ける音が小屋に響く。不規則な雨音が心地よいリズムを刻み、これはこれで悪くない。そう思えるような風情がある音だった。


 小屋の中には町の祭りを知らせるポスターが貼られていた。ただ日程がお盆のままで、ずっと貼られているのか色が劣化して、水色に色褪せている。


「新しくしないのかな……ハクション!」


 不意に出たクシャミに全身が震える。


 体の芯が冷えたようで、ギュッと自分を抱きしめる。濡れた服を手で温めようとしても無駄で、服に貼り付いた水滴が、体温を奪い去っていく。寒さが残る三月に、体を冷やしてしまっては確実に死んでしまう。


「やばい、これは死ぬやつだ……!」


 散々死にたがったくせに、いざその状況が近づくと死にたくないと思ってしまう。だがそんな矛盾を気にする暇もない。どうにかして体温を温めないと本当に死んでしまう。


 しかし、田舎の小屋にストーブとかあるはずもなく、ただベンチとポスターしかない。


 誰にも気付かれないまま、独りで死ぬのは嫌だ。冷えた体を何度もジャンプしたり、足踏みを繰り返してなんとか温めようとする。


 この際、何でもいい。


 体を温めたい。温かい場所に行きたい。


 タクシーじゃなくても、車でもいいから、誰か助けてほしい。ただ、悪い人ではないことを祈る。


 車が来ても見逃さないよう、雨が当たらない軒先からチラリと顔を出す。


 すると、林の向こうの方から、雨をかきわけて大型車が顔を見せてきた。よくよくみると、バスの形をしており、正面の電光掲示板に「境駅行き」と書かれていた。


 軽く手を挙げると、運転手と目が合った気がして、バスのスピードが落ちていく。そしてスルリと目の前で停車した。


 安っぽいラッパ音のあと、プシューと空気を抜いて前の扉が開いた。運転席の近くから乗車して、運転手のお兄さんと目が合う。


 運転手は不思議そうに首を軽く傾げて私を見ていた。


「随分と濡れているけど、大丈夫?」


「え⁉ あ、その……あ、大丈夫です!」


 声をかけれられるとは思っておらず、すっとんきょうな声が出てしまった。


「そう? タオルは……ないから、暖房付けるよ。風向き調整していいからね」


 運転手さんが手元のスイッチを調整すると、車内にゴォッと空気が噴出された。


「暑すぎたら自分で調整していいから」


「あ、はい。あと……すみません。ありがとうございます」


「いえいえ、じゃあ座ったら発車するよ」


「は、はい」


 田舎特有の距離感なのか、急に話しかけられて声がどもってしまった。元々コミュ力がある方ではないし、あまり話しかけられないよう一番後ろの席を目指して座った。ここなら話しかけられることはないだろう。


『発車します。ご注意ください』


『このバスは三瀬経由、境駅前東口行きです。お降りのお客様はお近くの停車ボタンを押していただき……』


 放送で聞こえた境駅を検索する。マップで検索すると、私が降りた六文駅と同じ線路を走っていた。これなら同じ電車に乗って家に帰ることができそうだ。


 境駅の周りにはコンビニやカフェがあるようで、これならスマホの充電もできそうだ。ホッと息を撫で下ろし、肩の力が抜ける。

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