第21話 梅おにぎり
肌寒さが残る空気の中で、ふわりと一瞬の温かいそよ風が、優しく頬を撫でた。
顔を上げて前を向く。
するりと抜けた風ともに、私の中で諦めのような焦燥が流れていく。
風が消えて残ったのは、凪いだ海のような穏やかな心だった。
静かに、一人何かを考えては、風が通りすぎて選択肢が消えていく。
これからどうしようと考えて、ぐぅ~と、気の抜けたお腹が鳴った。
喉元を掻きたい吐き気はある。でも胃の中は空っぽで、悲しそうにきゅ~と泣いた。
「……お腹すいた」
昨日の昼から何も入れていないから、お腹が何か食わせろと訴えかけてくる。
たしか駅構内にコンビニがあったはず。
ベンチから立ち上がる。そこから少し歩いてエスカレーターに乗り、降りた先にコンビニがあったので、店内を適当に物色した。
「ありがとうございましたー」
店員の適当なあいさつに会釈して、コンビニを出る。
袋にはペットボトルの水と梅おにぎり一つ。それを持ってホームに戻る。さっきと同じベンチに座って袋を開けた。
ペットボトルの蓋をひねる。パキッと軽やかな音が聞こえた。
口をつけて水を流し込み、喉を潤す。ゴキュゴキュと食道に水が通る。そのまま中身を全部飲みきってしまった。自分が思っていたよりも喉が乾いていたらしい。
袋をあさり、梅おにぎりを取り出す。
書かれた順番通りに、おにぎりの袋を開けて、海苔を巻く。
右に少し偏ってしまった。バランスが悪い。けど気にしないで頭から頬張る。
乾いた海苔と湿り気の帯びたお米が、バランスよく口の中で転がる。
一口では梅に届かなかった。また内容量が減っている。なんか、形も小さい気がした。
もう一口。今度は梅が口に入って、酸っぱさに口がしぼむ。
唾液が分泌されて、酸っぱさを緩和してくれる。少しずつ口にして全部を食べきった。
ふぅ、とお腹をさすって一息つく。
ほんの少し心も満たされた気がして、肩の力が不思議と軽かった。
けれど本音を言えばコンビニ飯ではなく、家のご飯を──あのカレーを食べたかった。
「……でも、帰りたくないなぁ」
落第した自分が、今更家に帰って何になるのだろう。大学に行かず、浪人する? それは嫌だ。高学歴を目指している訳じゃ無いのに浪人して、一年無駄にして生きたくない。
つくづく思う。この国のシステムは不完全で、失敗が許されていない。
一度つまずいた人間は、立ち上がるのにハードルが高く、周りの人間は、つまずいた人間を下に見て嘲る。晒し者で、笑われて、心を折られる。そこから復活できる人なんて、主人公みたいな強い精神と、夢とか目標がある一部の人間だけだ。
夢や目標のない私は雪だるまみたいに転げ落ちて、チャンスがぶつかるまで落ちていく。
将来は真っ暗闇で、私は未だに落し穴の中で空を眺めていた。
……何もやることがないと、どうも不安になって悪いことばかり考える。
良いことを考えようとしても落第した事実が思考を塗りつぶして、マイナスに沈んでいく。どんなに藻掻いても溺れ死んでしまう。
『お客様にお知らせします。先程、運転を再開しまして、約三十分遅れの運転になります。お急ぎのお客様には、ご迷惑を…………』
男性駅員の放送が駅の構内に響き渡る。どうやら電車が運転再開したようで、ホームにいた人たちがそわそわと動きはじめた。
最初から並んでいた人たちの後ろで、さらに列が作られていく。
都市部から離れた駅とはいえ、平日の昼間でも人はそれなりにいるもので、気付けば、十人前後の列を形成して電車を待っていた。
都市部へ向かう列車が現れた。それを見て足が固まる。そこには、ぎゅうぎゅうに押し込まれた乗客が窓に貼り付いて、地獄絵図と化していた。人間の業を押し付けられた餓鬼が喚いているようだ。
これには乗りたくない。三十分も電車が止まると、平日の昼間でもこんなに人が溜まるものだと初めて知った。
電車が来ては、通り過ぎていく。そうして何回か走り去る電車を眺めていると、乗客は減って車内に空白が見えてくる。
それでも座れないなら乗りたくない。
時間はあるのだから空いてくるまで待っていると、プォーと軽い汽笛が後ろで鳴った。
音が聞こえた背後へ振りかえる。
そこに停まっていたのは郊外へ向かう列車だった。乗客が少なく、席もちらほらと歯抜けになって空いている。これなら座れそう。
郊外行き列車のドアが閉まる前に駆け出して、近くにあったゴミ箱へ袋を捨てた。
私が乗ると同時にドアが閉まる。空気を抜ける音が聞こえたあとガッチリと閉まった。
乗客は老人や主婦の人、若い男性などがちらほらと間を開けて座っている。
ふと遠くを見たら端の席が空いていたので迷わずそこに座る。フカフカと柔らかいスポンジが私の体を包み込んで、撫でると新品の毛皮みたいに手触りも心地よい。
雲に座った感覚に揺られながら、カタンコトンと、心地よいリズムを一定に刻んで、意識が沈みかける。このまま意識を手放してもいいものかと迷ったところで、昨晩から寝ていない私が勝てるわけもなく、そうして夢の世界へ落ちていく。
意識が、まどろみに溺れていく。
……せめて、夢の中だけでも、幸せな世界が見られるといいな。




