第12話 知らないはずの道
蓮池から駅に向かう道は同じだ。
蓮池沿いの道路は片側に木々が並び、反対は地平線の田んぼが広がるような常に開けた道を歩くだけ。
交差点などない一本道を歩けば駅に着く。だから、道に迷うはずがないのに──
「……あの、杉林なんてありましたっけ」
道の途中から、木々に挟まれた林の中に入ろうとしていた。
鬱蒼とした木陰は陽の光を通さず、木々の裏に、ざわざわと化け物が隠れていそうだ。
幸いにも杉林を抜けた先は見通せる。何やら原っぱや小さな小屋が見えていた。
林に入って歩いても、迷子にはならなそうだが、こんな道なんて知らなかった。
「須藤さん、この道であっていますよね」
「一本道だったからあっていると思うけど、こんな道、通ったかな」
私達は林の前で立ち止まっていた。駅から蓮池まで曲がり道なんてない。そのまま駅に着くはずが、全く知らない道に来ていた。
家に帰る道を歩きたいのに、歩く道や乗り物は別の場所へ向かっている。まるで行き先が決まったレールを歩くみたいな、最初から決められた物語を進んでいるみたいだった。
「とりあえず行ってみるか」
「……そうですね」
後ろは蓮池しかない。
この道を通るしか選択肢はないのだ。
光が遮られた影に一歩、足を踏み入れて、林に囲われた道に入る。
天高く伸びた杉は空を閉ざし、道を挟む木々は深みを増して、厚く重なった葉で景色は見通せない。異空間に迷い込んだような、巨大な化物の食道を歩いている感覚に足の一歩が重く、苦しい。なんだか嫌な予感がする。
あの不気味な汽車が来たときの、首を掴まれたような息苦しさを感じる。
自分の意志とは関係なく夢が進んで、行かない方がいいと分かっているのに、進む足が止まらない。暴れる心臓を手で抑えながら歩いて、ようやく林道の出口に立った。
そこは灰色の雲が下りた窮屈な空に、稲を刈り終えて薄茶色に枯れた田んぼ、今にも崩れ落ちそうなボロ小屋が建った田舎だった。
季節が変わって、冬の終わりかけ……寒々とした晩冬の景色に変化してる。
「なんでこんな急に……」
「随分と急に変わったな」
いつの間にか隣に立っていた須藤さんが、軽く視線を流して私を見た。
「ここ、知っている?」
「……知らない、と思います」
こんな道、今まで通ったことがない。蓮池近くの道だって、広々とした田んぼだけで、林に挟まれた道など通らない。
来た道を振り返る。さっきまでの杉林がわずかに赤く、より深みを増して道の先が暗く閉ざされていた。通り抜けた先の景色が闇に覆われて、かすかな光すら見せない。
完全な闇に、ゴクリと息を飲み込んだ。
「あんまり振り返らない方がいいよ」
須藤さんが私の肩を掴む。わずかに力の入った指が、私の意識を引き留める。
「あ、あの……ここは、どこなんでしょう」
「……分からない。でもキミの夢なら記憶にある場所のはずだ」
「……覚えていません。見たことあるような無いような……そんな感じです」
どこか見知った景色でも、微妙な違和感が胸のうちに引っかかる。
母の実家近くの蓮池みたいな田舎の風景に見える。けど安心感やほっとする感覚がない。知らない街に一人放り出された気分だった。
葉に花粉を蓄えて赤茶色に変化した杉林と枯れ野原みたいに土色に埋まった田んぼ、車一台しか通れないひび割れたアスファルト。
色あせた灰色の道路が一本通って、黒ずんだ電柱に沿いながら私たちは一本道を歩く。
道の先はまた杉林に入ろうとしていた。ただその手前に、一軒のボロ小屋が建っていた。
青塗装が剥がれたトタン壁と、赤黒く錆びた折板屋根のボロ小屋がそこにいた。壁の一面が大きく開けられて、どちらかと言うと、東屋に近い様相だった。
ポツンと立つそれは、孤独で、けれど何も語らず、置いていった誰かを待っていた。
寂しげな佇まいに、私は小屋から目を離せなかった。
そのとき、ポツリ──と鼻先に雫が当たる。
空を見上げると、灰色の雲が黒みを増して曇天の空が今にも落ちそうだった。
今度は頬に雨粒が当たる。
そして、次第に勢いが乗ると、視界を塞ぐ豪雨となって、私達に覆いかぶさった。
「これはちょっと……!」
大粒の雨が、私の制服を一気に濡らして、冷たい生地がピタリと貼り付く。
唐突な雨に逃げ場を探すが、今は一本道にいる。他に避難できそうな場所がないので、手で庇を作りながら、ボロ小屋へ逃げ込んだ。
「うひゃー、これはやばい」
須藤さんも後に続いて、ボロ小屋に入ってくるが、すでにずぶ濡れになっていた。
「急に降ってきましたね」
服に染み込んだシャツの端を絞って、水を出すが服全体が濡れているため、あまり意味をなさない。
「本当に、なんでこんな雨が降るんだ……」
須藤さんは水が滴る黒ジャケットを脱いで手にかけた。濡れた髪をかきあげると、色っぽいため息を漏らして外を眺めている。
私も外を見ると、小屋の外には雨ざらしにされたバス停看板が立っていた。
ここ、バスの待合小屋だったんだ。
「あまり、こんな小屋にいたくないよな」
須藤さんは外を見ながら、私に目を合わせないで聞いてきた。少し引き気味な挙動で、私から距離を取っている。
「古臭さが気になりますか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「なら、どうしてですか」
「……いや、なんでもない」
「…………?」
よくわからない言動に、頭を捻る。
変な須藤さんを放っておいて、私は小屋に置かれた水色のベンチに座った。
座面の塗装が剥がれかけて、風に揺らされひらひらと揺れている。
ベンチの後ろには、日焼けして水色に染まったポスターと、バスの時刻表が貼られていた。色落ちして何が書いてあるのか読みとれない。時刻表の数字だけは読めそう。
「止みますかね」
「どうだろうな、俺にはわからん」
持っていたジャケットをくるくると折りたたんで、須藤さんもベンチに座った。
須藤さんが座ると、ベンチの足が揺れて、私の体も一緒に揺れる。
安っぽい樹脂の無機質なベンチと、濡れたスカートの生地が肌に触れて、うら寒い。
小さな小屋、ベンチが一つ。
一人分の席を空けて須藤さんが隣にいる。
ポツポツと雨に弾けたトタンの音が、メトロノームみたいにリズムを刻んで、心臓の音に重なる。それが不思議と心地いい。
このまま夢から覚めるまで、ここにいてもいいのかな。嫌な現実から逃げ出して、こうしてずっと、小屋の中で虚けるのも悪くない。
することもなく、やることもなく、徒然なるままに、何かを考えては消えていく。
色々と考えて、細かいことが気になって、不安になって、沈んでいく頭が、雨の音にかき消されて流れていく。
雨の音に囚われた頭はただぼーっと目の前の景色を眺めていた。雨に染まった景色の中で、遠くの方から何かが聞こえた。
雨に紛れて聞こえる、エンジンの音。
車が来ていると思った矢先、小屋で待っていた私達の前に、一台のバスが停まった。
白い躯体に、緑ラインが入ったデザインを身に着けて、ライトアップした目が私たちを横目で見ていた。
私が立ち上がると、バスはプォーっと安いラッパ音を鳴らして扉が開いた。
これも……記憶にないバスだ。
雨に濡れた服、ボロ小屋に逃げる私、目の前に現れたバス──
記憶にない出来事が夢の中で現れる。
矛盾を抱えた頭が揺れ落ちそうで、自分が自分ではないような、居場所のない気持ち悪さが足裏を浮かせていた。
まるで、前世の記憶に沿っているような、記憶にない既体験感に近い。
「この場所も、このバスも私は知りません。それなのに一度経験した感じがするんです」
「知らないのに知っている、蓮池のときみたいな?」
私の言葉に、須藤さんはより首を傾げて、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「蓮池のときとは違って、昔の思い出って感じでもないんです……」
チラリとバスを見る。
バスは今も、扉を開けたまま私達を待っていた。そこに悪意も、善意も感じない。
あの汽車が来たときの、背中をひんやりとした風が通り抜けるような恐ろしさはない。
バス側面には、電光掲示板が光っているが文字がぼんやりと霞んで読み取れない。
このバスに乗るべきなのか、分からない。
ただ何かが進まないような気がしていた。
「乗ったほうがいいのでしょうか……?」
須藤さんを見るが、ただバスを眺めている。
「キミは、どうしたい?」
どうしたいと言われても困る。
私自身は選ぶ立場になりたくない。
責任を負いたくないから、他人の指示や選択を実行するだけにしておきたい。
けど、私にも芋虫みたいに弱々しい意思はあって、この目の前に停まるバス。不安要素が漂うものだとしても、私は知りたかった。
この胸に抱える不安の正体が何なのか。
「……乗ってもいいでしょうか」
私の意思が少しだけ顔を覗かせた。
「乗りたかったら乗っていいんだよ」
須藤さんはふわりと優しく笑って頷いた。
同意ともとれない言葉だけど、私を肯定してくれる言葉に背中を押されて、了承がないと動けない足が、小さく飛び出した。
私は、自らの意思でバスへと乗り込んだ。




