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冬休みをきっかけにアルバイトの高校生が増えた今日からは上谷の仕事量もいつもより幾分か減りフロアを見回す余裕も出てきた。
ふと仕事を探して店内を徘徊しているとそこには──
真っ直ぐな黒髪の凛とした、いつか見たことのある女の子が物珍しそうにアンティークの家具売り場をゆっくりとした足取りで歩いていた。
そこ半分、実は三栄の社長の趣味で集めたような売り場だ。
彼女は綺麗にニスで磨かれた滑らかな西洋風の家具を細い指先で撫でると、その背後に気配を感じたのか木面に光が反射するその後ろ、先にいた上谷に振り返った。
昨日の今日で忘れる訳がない。
目が合うと軽く会釈をされた。上谷はどちらかといえば接客は苦手な仕事であったが店員として無視する訳にもいかないので当然の応対をすることにした。
「何かお求めでしょうか?」
前日の配達先だが、その余所々々しさが実に上谷らしいと言えた。
「あの、昨日は失礼しました」
そう言われた。上谷は少しとぼけたふりをしてからわざとらしく間を置き、それからまるで今思い出したかのように言う。
「昨日のお客様でしたか。いえ僕の方は気にしておりませんよ?」
さも店員として取り繕うが、
「私どうしても気になってしまって」
「大丈夫ですよ、たかだか人違いなんて…」
何とも律儀な子だ。
上谷がそんなことを思っていると「いえ、そういうことではないんです」と彼女は深刻な顔をし、そして次の言葉を言うまいか迷っていたようだった。
「今日、お仕事終わりましたら少し時間頂けませんか?」
突然の申し出だった。
思いがけず、上谷は相手に返答する言葉を失ってしまう。
つまり彼女は自分に会いにきたというわけである。
「い、いきなりですね…」
流石にこれには一瞬、躊躇う上谷。
挙句、彼女の少し後ろの方でその話しを聞いていたのか、今一番聞かれたくなかった男が親指を立てる仕草をして立っていた。
玉置である。
「行け」ということか?
上谷は思わず苦虫を噛み潰したかのような、渋い表情をしたのが自分で解った。
「えっと、嫌ならいいんです…」
「あーいやいや!いえ、決してそういうわけではなくて!はい、大丈夫ですよ」
ついフォローのつもりで返事をしてしまった上谷は「やられた」と玉置に向かい思った。内心やるせない上谷である。
それから上谷は、アルバイトを上がった時間の後で義輪と名乗るその子と御鏡本町駅で待ち合わせすることになった。
午後五時を回るとタイムカードを切り、支度を済ませて足早に駅へと向かう。
店を出る時、何やら北条が玉置に突っかかっていたようであったが上谷は取り分けて気にもせず挨拶も短くそそくさと二人の脇を抜ける。
「番長、上谷君は急いでどこに行くの?」
「さあ、学校じゃない?」
とぼけて見せていた玉置であったが「ふうん」と鼻を鳴らして相槌をした北条が、しばらく玉置の表情を覗き込んで何かを勘ぐっていたようだった。
どこかゆっくり座れる場所に、と言い出したのは義輪の方でそれならばと二人は駅前に構える大型チェーン店舗のカフェに入ることに決めた。
店内でまずコーヒーと紅茶を注文した。紅茶が義輪だ。女の子はあまりコーヒーを好きではないのか?と上谷は心なしか思った。店内を見渡すと丁度、窓際の隅の席が空いていて話しをするなら落ち着いた雰囲気でと、二人はそこを陣取ることにした。
運んできたコーヒーを置き、上谷はまず何も入れずに一口。
普段安物の缶コーヒーばかりだったこともあってか上谷にはこのコーヒーが実に美味いもののように感じた。アメリカンのブレンドで酸味が薄いものだ。あの三栄にある缶コーヒーはどうにも酸味が強く、しかもどこか薬っぽい味がするといつも感じていたのだ。
そして二口目からはミルクを入れてみる。一口目よりも更に後味が滑らかになり、この店のコーヒーなら砂糖は入れずに味わおうかと上谷が思う。
「ごめんなさい、急に連れ出したりして」
席を取ってから義輪が上谷に申し訳なさそうに言った。上谷は三栄で会った先程より幾分落ち着き払った様子で「いやいや」と謙虚に振る舞って見せる。
ただ本当は、初対面にほんの少し居心地の悪さを感じる。とにかく上谷は彼女の話しの本題が聞きたかった。
「何か、僕に用事があるんですよね?」
「ええ、まあ…用事というか」
ここまで連れ出してきて何の話しも無い、ということは無いだろう。しかし義輪の方といえば、何やら話しを切り出すのを照れくさそうにしていて流石に恋愛感情の鈍い上谷だが、このシチュエーションに「まさか初対面の相手にいきなり告白でもされたりするのか?」などと下らない妄想が頭を過ぎる。
内心、構えている上谷にも妙な緊張感があった。
すると義輪はおもむろに自分の鞄からA4サイズの厚手の表紙が掛かった一冊の本を取り出す。
浄張市立緑馬中学校。
それは卒業アルバムに間違いなかった。浄張市は御鏡市の隣町だ。
「あの時は貴方が…その、私の知っている昔の同級生に凄く似ていてびっくりしたの」
言うと義輪はアルバムの、とある一クラスの顔写真が載った頁を開いて上谷に手渡した。
義輪の言うその彼は直ぐに見当たった。
三年三組、出席番号三番、
背中に悪寒が走った。
上谷美紀。
顔の輪郭はまだ僅かに少年のものだった。
「…君」
眼鏡をかけているわけではなかったが。
「…谷、君」
だが、
「……上谷、君?」
まるで世界が凍りついた様だった。
「上谷君、大丈夫?」
「……あ、いや…うん」
義輪が自分に声を掛けていた。外の声がまるで耳に入っていなかった。上谷はとにかく平然を装い今一度、その自分に似た写真の少年を確認する。
飛蚊症のように視界がちかちかとする。
そっくりだった。
いや、そっくりと言うより殆ど同じに見える。
「似てるでしょ?その上谷って男の子」
義輪が言う。上谷は返答すべき言葉が選べずにいた。
「上谷とはね、中学校は同じだったんだけど…高校は違ったんだ。アイツ、真十に行ってね。私は第一、御鏡第一高等学校ね?」
上谷はただ唖然と聞いているしかなかった。
御鏡市立第一高等学校は地元の中学生達がこぞって進学を決める、良くも悪くも普通の高校というイメージの強い学校だった。最寄り駅が御鏡本町駅から一つ隣りで真十高等学校と同じだ。
「真十に行った友達に上谷の噂は聞いたりしてたんだけど、アイツ工業科だったから……その、女の子が居ない学科でしょ?詳しく解らなくて」
何に対してだろう、上谷が感じる妙な嫌悪感。
「学校の最寄り駅が同じだったから、ほんの少し街で見かけたことは何度かあったんだけど高校二年の夏休みの後ぐらいだったかな?その上谷を全然見かけなくなって。後から知り合い伝に聞いたんだけど。療養病床にいたんだとか……」
療養病床?
「アイツ、時々喧嘩とかするような奴だったから、私にはどこか身体が悪いようには見えなかったんだけどね」
上谷は喉が乾ききっていた。手元のある無糖ミルクのコーヒーを一気に呷るとほろ苦さで少し目が覚めた。
「上谷君ってさ、高校は何処?」
義輪の問いに上谷は一瞬躊躇う。
「……御鏡、第二……」
咄嗟──、出たのは嘘。
自分が何を言っているのか解らなかった。
「第二なんだ、本町から近いよね?」
御鏡市立第二高等学校は北条が通っている学校だとこの前に聞いたばかりだ。
自らの頭で整理が出来ていない。上谷はとにかく今は義輪に変な疑問を助長させたくないと、そんなことを反射的に思ってしまっていた。
「その彼に会って、君はどうしたいの?」
自分の戸惑いを義輪に悟られぬ様に話しを切り返す上谷。窓の外を眺めながら言った上谷は、それにしては自身が落ち着きなく苛立っていたのが自分で解り、余計癪に障った。
「え…?どうって?」
義輪は強い上谷の抑揚にきょとんとする。
思わず当たってしまった上谷は「いや、やっぱりいい」と言って、少し悪い感情が出てしまったと気不味さを覚える。
「あ、うん、何ていうか上谷君……今、上谷に似てたから」
頼むからやめてくれよ、そんな心境に上谷は見舞われている。
義輪は「好きだったから」とぽつりと言った。上谷はかけてやる台詞は何が適切であるか解らなかった。
「中学の修学旅行の時にね、夜に二人で宿泊先のホテルを抜けだして銀閣寺を見に行ったんだ」
義輪の口調はその頃の時間を鮮明に思い出すかのようにゆっくりとしたものだった。
「銀閣寺?」
「うん、うちのお婆ちゃんに聞いたの。夜になって池に反射した月光が銀閣寺を銀色にするっていう話し」
「それで、夜に見に行ったんだ」
「でもね、見れなかった。見れなかったって言うより夜になって銀閣寺の周りの庭園がライトアップされてたから、照明が邪魔しちゃって月明かりが見えなかったんだ」
それでも義輪はそれが決して残念な思い出であったとは思っていないようだった。
「結果が何であれ、真実を知ろうとすることが大事なんだって、上谷が教えてくれたから。だから私はアイツに逢いたいの」
義輪のその気持ちが上谷の胸を抉る。
過程が結果よりも重要であるなどとは上谷の世界観において、それは認められないことであったからだ。
もしその結果が忌むべき内容であったなら、
果たして人はその先の未来を受け入れることが出来るのだろうか?
「……アルバム、少し見ていていい?」
その一言は言葉を失いかけていた上谷の義輪に対する精一杯のコミュニケーションだった。義輪は「どうぞ」とさして当たり触りなく勧めた。
このアルバムは自分には全く関係のない世界なのだ。そう思って上谷は頁をめくっていく。
だが、とある一頁、
それを見た瞬間、上谷は自分の全身から血の気が引いていくのが解った。
「上谷君?」
黙した上谷に声を掛ける義輪。
「あ…ああ、もう返すよ」
そう言って上谷は義輪に卒業アルバムを閉じて返すと、そそくさとした。
「ちょっと、僕は学校に用事があるから、今日はこれで……」
言いながらテーブルに千円札を二枚重ねて置いた上谷は不作法に席を立ち、義輪には短く相槌を返す間も与えなかった。
ただ唖然と、義輪は去っていく上谷の背中を見つめている。
上谷が部室に着く頃には曇り空の薄明かりも大分落ちていた。教員や学生の気配を殆ど感じないのはこの時間帯、本校舎もサークル連棟も同じだ。室内は全く昨日のままのようで上谷以外の誰かが使用した形跡はまるで無かった。
ホワイトボードの一部がカラーボールで変色してしまったのもそのままに。
上谷は自分と明智が向かい合って座るはずの席に身を投げ出して、うなだれる様に椅子の背もたれに寄り掛かった。
自分が描いている明智の肖像画を見つめてみる。その絵には未だ彼女の表情が描かれていない。
上谷は椅子に腰かけたままゆっくりと目を閉じ、その明智の、彼女の顔を思い描いてみる。だが、
とても不鮮明な彼女の笑顔は頭の中で上谷を呼ぶその声さえも霞んで聴き取れないのだ。
昼間、玉置に言われた言葉を思い出した。
頭痛が上谷を襲う。
──何故?
それは義輪に見せられた卒業アルバム。
あれを閉じる前に、最後に目に焼きついたのはあの一頁。
浄張市立緑馬中学校卒業生、三年五組、出席番号一番、
明智未来。




