第7話(閑話):売国使節の恫喝と、落日の財務派閥
第7話(閑話):売国使節の恫喝と、落日の財務派閥
辺境都市ヴォルフスブルクの城門をくぐった瞬間、王都財務局次官であるルキウス・ラングナー子爵は、己の目を疑った。
「……馬鹿な。ここは凍死者で溢れるゴミ溜めだったはずではないか」
彼が乗る豪奢な馬車の窓から見えたのは、活気に満ちた人々の熱気と、街の至る所で力強く燃え盛る「青き炎」だった。
隣国ゼムリャの巨大資本を王都に引き入れ、その見返りに私腹を肥やすラングナーにとって、この辺境の独自資源『青樽(代替燃料)』は、己の利権を根本から破壊する目障りな劇薬であった。だからこそ彼は、バルテルス侯爵の特使として、この忌々しい炎を消し止めるためにやってきたのだ。
領主館の応接室。
泥だらけの外套から一転、仕立ての良い漆黒の執務服に身を包んだヴィクトルと、相変わらずラフな格好のアレンを前に、ラングナーは傲慢な笑みを張り付けて書類を突きつけた。
「エルンスト元卿。単刀直入に申し上げましょう。貴殿らが無許可で製造・輸出している『青樽』に対し、東の隣国ゼムリャより正式な抗議が入っております」
「抗議、だと?」
「ええ。『古き良き貿易協定を著しく侵害する不当なダンピング行為である』と。隣国は激怒しております。直ちに青樽の製造を停止し、その技術を隣国に引き渡しなさい。さもなくば、我が国とゼムリャとの間に取り返しのつかない亀裂が走る」
それは、国益を装った典型的な「売国」の要求だった。
隣国の機嫌を取るために、自国の革新的な技術をタダで売り渡せと言っているのだ。
しかし、ヴィクトルは微塵も動揺せず、氷のように冷たい視線でラングナーを見据えた。
「寝言は寝てから言え、ラングナー子爵。我々は市場の原理に従い、より安く高品質なエネルギーを提供しているだけだ。協定違反などという法的な根拠は一切存在しない。他国の商会が競争に敗れたからといって、自国の領民の供給能力を制限するなど、政治家として万死に値する愚行だ」
「……青二才が、理屈をこねるな!」
ラングナーは忌々しげに舌打ちをし、本性を現した。
「いいでしょう。ならば王都の決定をお伝えする。もし貴殿らが隣国を怒らせ、ゼムリャが武力行使に出たとしても、王都は防衛軍を一切出兵させません。国からの『軍事的保護』を失い、孤立無援で隣国の大軍に蹂躙されたくなければ、大人しく技術を——」
「話は終わりだ。帰れ」
ヴィクトルは冷たく言い放ち、ラングナーの言葉を叩き斬った。
「自国の一部を見捨てる」という王都の信じ難い腐敗ぶりに、これ以上言葉を交わす価値はないと判断したのだ。顔を真っ赤にして激昂するラングナーを、アレンが「お帰りはあちらだぜ」と首根っこを掴んでつまみ出した。
静けさを取り戻した応接室で、アレンが肩をすくめた。
「やれやれ。あいつら、自分たちの利権のためなら、外国に国を売ることも、俺たちを見殺しにすることも躊躇しねぇらしいな。……で、どうする? 相手が本当に軍を動かしてきたら、今の街の警備隊じゃ一溜まりもないぞ」
「王都が守らないというのなら、我々自身で守るまでだ」
ヴィクトルは壁の地図を睨み据えた。
「経済はすでに我々が握っている。あとは、他国からの侵略を防ぐための『圧倒的な抑止力』が必要だ」
「抑止力ねぇ……」
アレンは懐から『現代軍事学』と『基礎化学』の専門書を取り出し、ニヤリと笑った。
「なぁヴィクトル。異世界の『現代』ってところの兵隊は、剣や魔法を使わずに『火薬』っていう化学反応で鉛の弾を飛ばして戦うらしいぜ。俺の魔法で素材を錬成して、この街の鍛冶屋の技術を合わせりゃ、旧態依然とした隣国や王都の騎士団なんか、束になっても蜂の巣にできる『近代武装部隊』が作れるかもしれねぇ」
「……面白い。軍事費なら、有り余るほどあるからな」
ヴィクトルの目に、野心的な光が宿った。
「少数精鋭の圧倒的な火力をもって、国境に絶対防衛線を構築する。王都の軍など最初から不要だ。我々の経済力と技術力で、世界最強の私兵団を創り上げるぞ」
二人のバディは、次なる『軍事革命』に向けて不敵に笑い合った。
* * *
一方その頃、王都シュトゥルムの王城。
国政の最高機関である「星の間」に、バルテルス侯爵の悲痛な叫び声が響き渡っていた。
「じょ、丞相閣下! お待ちください! 辺境への処罰を! 奴らを直ちに討伐しなければ、我が国の経済は——」
「黙れ、バルテルス」
玉座の傍らに立つ白髪の老紳士——王国全土を統括するオズワルド丞相の静かな一言が、絶対零度の冷気を伴って部屋の空気を凍りつかせた。
大理石の床に這いつくばる侯爵を、丞相はゴミでも見るかのような目で見下ろしていた。
「辺境の小娘や青二才一人の知恵に、国の経済の中枢を乗っ取られただと? しかも、貴様が追放した元部下に、だ。この無能めが」
「そ、それは……! 奴らが悪魔のような手口で——」
「言い訳など聞きたくもない。貴様が推し進めた増税と緊縮が、王都の活力を奪い、通貨の信用を失墜させたのだ。その結果がこれだ」
丞相は、分厚い書類の束を侯爵の顔に投げつけた。
「見ろ。北部や南部の領主たちから、『我々もヴォルフスブルクと同じ領地債を発行したい』『中央の税の搾取にはこれ以上耐えられない』という突き上げが連日殺到している。たった一つの辺境都市の成功が、我が国全体の統治機構を揺るがしているのだ!」
書類の角が当たり、額から血を流しながら、侯爵はガタガタと震え上がった。
ラングナー子爵を使った隣国への工作も、もはや何の解決にもならないことは明白だった。
「貴様の財務派閥が築き上げた権威は、もはや地に落ちた。……バルテルス。一ヶ月だ。一ヶ月以内にこの失態を『貴様自身の力』で収拾してみせろ。できなければ、お前の首と全財産をもって、国庫の穴埋めをしてもらうぞ」
「ヒッ……!? か、閣下ァァァ!」
泣き叫ぶ侯爵を冷酷に見捨て、丞相は部屋を後にした。
かつて王都の経済を牛耳り、絶大な権力を誇った財務派閥は今、辺境に追放したはずの二人の若者によって完全に退路を断たれ、その威厳は風前の灯火となっていた。
残された侯爵が、保身のためにどのような破滅的な暴走を見せるのか。それは、没落へと向かう彼ら自身の首を、さらに固く絞める結果となる運命であった。




