第6話:青き炎の侵略と、崩えゆく王都の慢心
第6話:青き炎の侵略と、崩えゆく王都の慢心
王都シュトゥルムの冬は、かつてないほどに残酷だった。
『燃料特別税』によって高騰した輸入魔石は、もはや一部の大貴族しか手が出せない超高級品となり、市井の平民や下級貴族たちは、凍てつく石造りの家の中で身を寄せ合い、ただ春を待つしかなかった。
そんな絶望のどん底にあった王都の裏路地に、ある日、見慣れぬ行商人たちが現れた。
彼らの荷車に積まれていたのは、青く塗られた奇妙な木樽だった。
「さあさあ、辺境からの特産品『青樽』はいかがかな! 魔石の十分の一の量で、一晩中部屋を暖められる極上の魔法燃料だよ!」
最初は誰もが詐欺だと疑った。しかし、行商人がおもむろに樽の蛇口をひねり、受け皿に注いだ透明な液体に火をつけた瞬間、周囲の空気は一変した。
ボワッ、と音を立てて燃え上がった青白い炎は、一切の煙を出さず、周囲の凍てつく空気を一瞬にして春のように暖めたのだ。
「な、なんだこの熱量は……! これがあれば、凍えずに済む!」
「頼む! 金貨なら払う、その樽を一つ売ってくれ!」
群がる市民たちに対し、行商人はニヤリと笑って首を振った。
「悪いが、王都の金貨じゃ売れねぇんだ。支払いは、この『ヴォルフスブルク領地債』って紙の手形だけだ。持ってないなら、あっちの両替商でアンタらの金貨と交換してきな」
それが、ヴィクトルの仕掛けた恐るべき経済侵略の始まりだった。
命を繋ぐ圧倒的な熱源を目の前にして、市民たちはためらうことなく王都の金貨を差し出し、辺境の『ただの紙切れ』を受け取った。そしてその紙切れで、青樽を買い求めた。
現象はまたたく間に王都全体へ伝播した。
平民だけでなく、寒さに耐えかねた裕福な商家や中流貴族までもが、こぞって金貨を『領地債』に両替し、青樽を買い漁った。
いつしか王都の市場では、王国の刻印が押された金貨よりも、「これさえあればいつでも熱(燃料)と交換できる」という絶対的な信用を持った『ヴォルフスブルク領地債』の方が、高い価値を持って取引されるようになっていた。
実質的な、基軸通貨の簒奪である。
「……どういうことだ、これは」
王都の中心、財務局本庁舎の最上階。
バルテルス侯爵は、執務机に叩きつけられた今月の税収報告書を見て、信じられないものを見るように目を剥いた。
「魔石にかかる特別税の税収が……先月の二割以下にまで落ち込んでいるだと!? 隣国からの魔石輸入量も激減している! 一体王都で何が起きている!?」
「か、閣下……申し上げにくいのですが……」
側近のラングナー子爵が、ハンカチで滝のような冷や汗を拭いながら、震える声で報告した。
「現在、王都中に謎の『青い樽』に入った液体燃料が出回っております。魔石を遥かに凌駕する火力と異常な安さで、誰も魔石を買わなくなってしまったのです」
「馬鹿な! そんな未知の資源がどこから湧いて出た! 我々が特区を与えたゼムリャ商会は何をしている!」
「それが……ゼムリャ商会も、売れ残った魔石の在庫を抱えて悲鳴を上げております。そして……その青樽の流通元を辿ったところ……」
ラングナーは息を呑み、絶望的な事実を口にした。
「……すべて、辺境都市ヴォルフスブルクから運び込まれたものでした」
「なんだと……?」
「さらに最悪なことに、青樽の取引はすべてヴォルフスブルクが独自に発行した『領地債』で行われています。その結果、王都の莫大な金貨がごっそりと辺境へ流出し、王都内の金回りが完全に枯渇しかかっています。……閣下、我々は、あの追放された二人組に、経済を根底から支配されつつあるのです!」
「ヴィクトォォォォォル!!」
侯爵の怒号が執務室に響き渡った。
彼は机の上の高級なワイングラスを壁に投げつけた。ガシャーンと砕け散る赤い液体は、まさに今、彼らの足元から崩れ落ちようとしている権力と利権の象徴だった。
「死に体」だと侮り、放置した青二才の文官と無能の騎士。彼らが、ただの紙切れと謎の液体だけで、王国の心臓部たる王都の経済網を完全にハッキングしてしまったのだ。
「今すぐ防衛軍を動かせ! 辺境へ続く街道を封鎖し、青樽をすべて没収しろ! 領地債の取引も直ちに違法と定め——」
「遅すぎます、閣下!」
ラングナーが悲鳴のように叫んだ。
「すでに王都のインフラの半分が、あの青樽に依存しています! 今さら流通を止めれば、凍死する市民が暴動を起こし、真っ先に我々の首が刎ねられます! 我々は……我々は完全に『詰み』です……!」
侯爵は膝から崩れ落ち、頭を抱えた。
己の懐を温めるためだけに推し進めた増税と緊縮が、結果的に「王都の通貨への信用」を失わせ、辺境からの侵略を招き入れた。その皮肉な真実に気づいた時、彼は初めて底知れぬ恐怖に震えた。
一方その頃。
膨大な富を吸い上げ、かつてない好景気に沸き返る辺境都市ヴォルフスブルクの領主館。
「おいヴィクトル、見ろよ。また王都から金貨が山のように運ばれてきたぜ。荷車の置き場がねぇくらいだ」
「ご苦労だったな、アレン。すべて予定通りだ」
窓から活気づく街並みを見下ろしながら、ヴィクトルは最高級の葉巻をくゆらせた。
「王都の連中は今頃、自分たちの発行する金貨が紙くず同然になり、我々に生殺与奪の権を握られたことに気づいて絶望しているだろう。経済という名の戦場において、資源と通貨の支配権を奪われた者は、もはや奴隷も同然だ」
「えげつねぇ頭脳だな、相変わらず」
アレンは呆れながらも、ニヤリと笑って手元の『現代科学』の書物をパラパラと弾いた。
「だが、これで王都の侯爵派閥も完全にメンツが潰れた。隣国への裏の支払いも滞るだろうし、ただじゃ済まねぇ。次はどうする? 奴ら、なりふり構わず実力行使(武力)に出てくるんじゃねぇか?」
ヴィクトルのモノクルの奥で、冷たくも熱い反逆の光が閃いた。
「望むところだ。金とエネルギーが有り余っている今、我々の『供給能力』は限界を知らない。経済で首を絞め上げながら、次は圧倒的な『武力』で、この腐った国の常識を蹂躙してやろう」
凍える王都と、熱狂する辺境。
二人の追放者によって経済の天秤は完全にひっくり返り、ヴァルデンシュタイン王国の歴史は、この日を境に決定的な転換点を迎えたのであった。




