第4話:辺境の絶望と、即決の救済
第4話:辺境の絶望と、即決の救済
泥まみれの馬車が辺境都市ヴォルフスブルクの関所を越えた時、アレンとヴィクトルを待ち受けていたのは、王都シュトゥルムすら生ぬるく思えるほどの圧倒的な「死の気配」だった。
「……ひどいな、こりゃ」
御者台から街を見下ろしたアレンが、思わず顔をしかめる。
かつては交易の中継地として栄えたという石造りの街並みは煤け、大通りに面した商店の八割は板が打ち付けられている。道端には骨と皮だけになった子供たちがうずくまり、冷たい泥水をすすっていた。
魔石の供給が絶たれたことで鍛冶の火は消え、農地を温めるための魔力炉も完全に停止している。燃料の高騰が流通を止め、極端な物価高と物資不足を引き起こすという、最悪の経済崩壊が起きていた。
「王都の連中が押し付けた『燃料特別税』と『緊縮財政』の末路だ。国全体から血液を抜き取れば、末端から腐死していくのは当然の理……だが、これほどまでとはな」
ヴィクトルは唇を噛み締め、馬車をそのまま街の中央にある領主の館へと走らせた。
館に到着したヴィクトルは、着替える間も惜しんで街の幹部たちを会議室へ招集した。
集まったのは、疲労で頬がこけ、死人のような顔をした古参の文官ハンスと、筋骨隆々だがどこか覇気のない冒険者・商人ギルドの統括マスター、ギュンターの二人だった。
「……新任の代官殿が来られたと聞き、わずかな希望を抱いておりましたが……まさか、王都を追放された元卿とは」
ハンスがかすれた声で報告書を机に置いた。
「現状をご報告いたします。街の備蓄食糧はあと二週間分。魔石の価格は王都の十倍に跳ね上がり、もはや暖を取ることもできません。防壁の修繕予算もなく、冬になれば魔物の群れに蹂躙されるのを待つのみです」
「代官殿」
ギルドマスターのギュンターが、諦めの混じった重い声で続けた。
「王都からの『支援金』と『免税措置』がない限り、この街は終わります。ですが、追放されたあなたにそれを引き出す力はない。……我々に、どうしろと?」
二人の言葉は、事実上の降伏宣言だった。金もない、物もない。座して死を待つしかないという絶望。
しかし、上座に座るヴィクトルは、泥だらけのコートを着たまま、ふっと不敵な笑みを漏らした。
「王都からの支援金など、最初から当てにしていない。そんなものに依存するから、いつまでも首を絞められるのだ。無いものは、我々自身で作り出せばいい」
「は……? 作り出す? 予算をですか? 一体どうやって……」
「今この瞬間をもって、ヴォルフスブルク全域における『燃料特別税』を含むすべての王都直轄税を凍結する」
静まり返った会議室に、ヴィクトルの冷徹でよく通る声が響いた。
ハンスとギュンターが、信じられないものを見るように目を見開く。
「な、何を馬鹿な! 王都への納税を止めれば反逆と見なされますぞ!」
「反逆で結構。どちらにせよ干上がるのだ、文句を言わせる隙など与えない。そしてハンス、直ちに『ヴォルフスブルク領地債』を発行しろ。これを我々の新たな通貨、あるいは手形として流通させる。ギルドを通して街の者に仕事を斡旋しろ。防壁の修繕、農地の開墾、何でもいい。賃金はこの領地債で前払いし、街の備蓄食糧を適正価格で買えるようにするんだ」
「お、お待ちください! 領地債と言っても、担保になる『金』や『魔石』がないのですよ!? そんなただの紙切れ、誰も信用しません!」
ギュンターが机を叩いて立ち上がった。現実を知らない貴族の机上の空論に激怒したのだ。
「信用は『金』から生まれるのではない。我々の『供給能力』そのものから生まれるのだ。……だが、お前の言う通り、経済を回すための絶対的な『熱源』が必要なのは事実だな」
ヴィクトルは慌てることなく、壁際で壁に寄りかかって黙っていたアレンに視線を向けた。
「アレン。彼らに、我々の『担保』を見せてやれ」
「へいへい。人使いの荒い代官サマだ」
アレンは気怠げに歩み出ると、懐から『基礎化学・熱力学編』の紙切れを取り出し、ギュンターの目の前にパラリと広げた。そして、館の庭からむしり取ってきた、異世界では「クズ草」と呼ばれる雑草の束と、道中で狩った低級魔物のドロドロの脂肪の塊を机の上に無造作に放り出した。
「おっさん、この街の周りにゃ、このクズ草とスライムの死骸が腐るほどあるよな?」
「あ、ああ……それがどうした」
「王都のバカどもは『魔石』しか燃えないと思ってるが、この紙切れに書かれた『化学』って理屈と、俺のちょっとした魔法を使えば、こんなクズ草でも一級品の燃料になるんだよ。……よく見とけ。これが、あんたらの街を救う新しい命の火だ」
アレンはクズ草と脂肪の塊に手をかざし、目を閉じた。
微弱な魔力が流れ込み、物質の分子構造を『発酵』と『精製』のプロセスで強制的に書き換えていく。数秒後、ただのゴミの山から、無色透明な液体――高純度のバイオエタノールに相当する代替燃料――が抽出され、空のグラスに注ぎ込まれた。
アレンが指先で小さな火花を弾く。
ボワッ! という小気味良い音とともに、グラスの中の液体が青白く、そして強烈な熱を持った美しい炎を上げて燃え上がった。煙も出ず、魔石に勝るとも劣らない圧倒的な熱量が会議室を一気に暖める。
「なっ……!?」
「クズ草と魔物の死骸から……これほどの火力の燃料を錬成したと!? そんな魔法、聞いたこともない!」
ハンスとギュンターは腰を抜かさんばかりに驚き、青白い炎に魅入られたように言葉を失った。
「見たか。これが我々の『担保』だ」
ヴィクトルがゆっくりと立ち上がり、威風堂々と宣言した。
「これより、ヴォルフスブルクはこの代替燃料の量産体制に入る。これを『領地債』の価値を裏付ける最大の資源とし、領内のエネルギーを完全に自給自足する。物価は下がり、領民には仕事と金が回る。王都の顔色を窺う必要など一切ない」
天才文官の『現代マクロ経済学』による経済革命の設計図と、無能と蔑まれた青年の『現代科学』によるエネルギー革命の実証。
二人の底知れぬ力と、その場で行われた即決の判断を前に、老練な文官も歴戦のギルドマスターも、ただ平伏するしかなかった。
「……信じられん。代官殿、いや、ヴィクトル様。あなた方は……神の御使いか何かか?」
「神ではない。王都に見捨てられた、ただの反逆者だ」
ヴィクトルは冷たい雨が打ち付ける窓の外、王都の方角を睨み据えて笑った。
「さあ、忙しくなるぞ。まずはこの凍えきった街を温め、王都の連中が腰を抜かすほどの圧倒的な富を築き上げる。我々の戦争は、ここから始まるのだ」




