第3話(閑話):王都の慢心と、売国奴たちの宴
第3話(閑話):王都の慢心と、売国奴たちの宴
王都シュトゥルムの中心にそびえる、豪奢な財務局本庁舎。
冷たい雨が打ち付ける窓の向こうで凍える平民たちとは対照的に、最上階の執務室は、隣国から輸入された最高級の魔石ストーブによって汗ばむほどに暖められていた。
「……見失っただと?」
分厚いマホガニーの執務机の奥で、財務派閥の頂点に君臨するバルテルス侯爵が、低くドスを効かせた声を漏らした。
「左様でございます。エルンスト元卿を始末に向かわせた三名の工作員が、スラム街の路地裏で意識不明の重体となって発見されました。何らかの強力な爆発魔法を至近距離で浴びたものと推測されますが……標的の姿はすでにありませんでした」
報告を行う部下の額から、冷や汗が滴り落ちる。
バルテルス侯爵は舌打ちをし、手に持っていた純銀のペーパーナイフを机に突き立てた。
「あの青二才の文官に、裏の人間を返り討ちにするほどの魔法の腕があるわけがなかろう。誰か手引きをした者がいると考えるのが自然だ。チッ……忌々しい。すぐに追手を——」
「お待ちください、侯爵閣下。ここはひとまず、矛を収めるべきかと存じます」
怒れる侯爵をなだめるように、滑らかな声が執務室に響いた。
部屋の隅の長椅子で、ゆったりと足を組んで極上のワイングラスを揺らしている男。財務局次官であり、侯爵の右腕とも言えるルキウス・ラングナー子爵である。
糸のように細い目に、常に計算高い笑みを張り付けた男だった。
「矛を収めろだと、ラングナー? 奴が生きて辺境へ辿り着けば、我々の『政策』に泥を塗る火種になりかねんぞ」
「過大評価が過ぎますよ、閣下。ヴィクトル・フォン・エルンストは確かに数字に強い男でしたが、所詮は実社会の『力関係』を知らない青二才。それに、これ以上裏の人間を動かして騒ぎを起こせば、近衛騎士団や他の派閥に我々の動きを嗅ぎつけられるリスクが高まります。無能な暗殺者たちは、秘密裏に処分(処理)しておくのが賢明です」
ラングナー子爵は立ち上がり、侯爵の机まで歩み寄ると、地図の上に広げられた王国全土の図面を指差した。
「彼が向かった辺境都市ヴォルフスブルク……あそこは、魔石の供給ルートから最も遠く外れた、言わば死に体の土地です。今年の冬を越せるかどうかすら怪しい。金も、燃料も、後ろ盾もない追放者が二人増えたところで、国政には何の影響も与えられません。飢えと寒さで、野垂れ死ぬのが関の山でしょう」
「……」
「我々が目を向けるべきは、あのような辺境のゴミ溜めではなく、こちらです」
ラングナーは地図上の、王国と東の隣国とを結ぶ巨大な街道を指でなぞった。
「来月、隣国の大手商会である『ゼムリャ商会』の王都への大型支店誘致が正式に決定いたします。閣下のご尽力により、彼らには燃料特別税の免除と、王国内での優先的な商取引権を与える『経済特区』を用意いたしました」
「うむ。自国の無能な商人どもから搾り取った税で、隣国の巨大資本を呼び込む。我が国の経済活性化のための、素晴らしい政策だ」
「ええ、まさに。そしてゼムリャ商会からは、その手厚い便宜への『感謝の印』として、我が派閥の口座に莫大な見返り(リベート)が約束されております。閣下の懐も、私の懐も、さらに温かくなるというわけです」
ラングナーがいやらしい笑みを浮かべると、バルテルス侯爵の険しかった顔からも、次第に苛立ちが消えていった。
自国の産業を規制と増税で締め上げ、外資を優遇して私腹を肥やす。それは国家としては明らかな『売国(属国化)』の行為であったが、目先の利益と己の権力維持にしか興味のない彼らにとっては、極めて合理的な錬金術であった。
「……ふん。お前の言う通りだな、ラングナー。辺境の負け犬になど構っている暇はない。我々は、この国の富を正しく『管理』するのに忙しいのだからな」
「御意に。エルンストの件は忘れましょう。奴らはもう、我々の住む華やかな世界には一生関わることのない底辺の人間なのですから」
二人の悪徳政治家は、隣国の最高級ワインで祝杯を挙げた。
窓の外の冷たい雨雲など気にも留めず、己の足元から国が腐り落ちていくことにも気づかないまま。
かくして、王都の最高権力者たちは、自らの驕りと慢心によって辺境への警戒を完全に解いた。
彼らがその「賢明な判断」の愚かさに気づき、絶望の淵に立たされるのは、もう少し先の話である。




