第10話:科学の弾幕と、崩れ落ちる鉄の爪
第10話:科学の弾幕と、崩れ落ちる鉄の爪
ヴォルフスブルクの東に広がる平原。
地響きを鳴らして進軍してくるのは、東の隣国ゼムリャが誇る精鋭部隊『鉄の爪』の三千騎だった。全身を分厚い鋼の鎧で覆った重装歩兵と、長槍を構えた騎兵部隊が、土煙を上げて大地の向こうから押し寄せてくる。
その大軍の最後尾、天蓋付きの豪奢な指揮車から前線を見下ろしていたゼムリャ軍の指揮官、ボリス将軍は、手にした単眼鏡を覗き込んで鼻で笑った。
「はっはっは! 見ろ、あの惨めな光景を!」
将軍の視線の先、ヴォルフスブルクの粗末な石壁の前に展開している迎撃部隊は、わずか横一列に並んだ五十人足らずの歩兵だった。しかも、彼らは剣も槍も盾も持たず、ただ奇妙な『鉄の棒』を肩に当てて突っ立っているだけだ。
「城壁に籠るわけでもなく、たった五十人で平原に陣取るとは! 狂ったか、辺境の田舎者どもは!」
「将軍閣下、奴ら、恐怖のあまり逃げることすら忘れてしまったのでしょう! このまま騎兵の突撃で、一息に踏み潰してご覧に入れます!」
副官が追従して笑うと、周囲の兵士たちからも下品な爆笑が巻き起こった。
三千対五十。圧倒的な数の暴力の前に、戦術も小細工も通用しない。彼らはこれから始まる一方的な「蹂躙」と、その後の略奪を思い描き、完全に油断しきっていた。
「よかろう! 我が『鉄の爪』の恐ろしさを、あの愚か者どもの体に刻み込んでやれ! 全軍、突撃ィィィッ!!」
ボリス将軍の号令と共に、重低音の軍角が吹き鳴らされる。
先陣を切る五百の重装騎兵が、一斉に馬の腹を蹴り、地鳴りを上げて突進を開始した。
距離、五百メートル。四百メートル。
迎え撃つヴォルフスブルク軍の陣頭に立つアレンは、タバコをふかしながら、迫り来る鋼鉄の壁を冷めた目で見据えていた。
「アレン隊長、敵騎兵、射程内に入ります。距離三百」
「引きつけてからでいいぞ。あいつら、一直線に固まって突っ込んできやがる。いい的だ」
アレンは吸い殻を地面に捨てて踏みにじると、ゆっくりと右手を高く掲げた。
五十人の兵士たちが、一切の無駄な動きなくライフルの銃床を肩に押し当て、照星の向こうに敵の巨体を捉える。彼らの心に恐怖はない。手の中にある『科学の結晶』が、どれほど理不尽な兵器であるかを、日々の演習で骨の髄まで理解しているからだ。
敵騎兵が、距離二百メートルに到達した。
異世界の常識では、いかなる強力な魔法使いの攻撃もまだ届かない、絶対的な安全圏。
その常識を、アレンの冷酷な声が叩き斬った。
「第一列、構え。……撃てッ!!」
ダァァァンッ!!
五十の銃口から一斉に火が吹き、空気を切り裂く轟音が平原を震わせた。
音速を超える初速で放たれた鉛の弾丸は、空気抵抗をものともせず一直線に飛翔し、ゼムリャ軍の先頭を走っていた重装騎兵の分厚い鎧を、まるで薄い紙のように貫通した。
「がぼァッ!?」
「な、なにが……!?」
先陣の騎兵たちが、何が起きたのか理解する間もなく、血飛沫を上げて次々と馬から転げ落ちる。主を失った馬が転倒し、その後ろを走っていた騎兵が巻き込まれて盛大に吹き飛ぶ。
「第二列、前へ! 撃てッ!!」
第一列が後退し、再装填を行う数秒の間に、すかさず第二列の一斉射撃が放たれる。
ダァァァンッ!!
再び巻き起こる轟音と共に、突撃の勢いを削がれたゼムリャ騎兵が、まるで見えない巨大な鎌で刈り取られるようにバタバタとなぎ倒されていく。
「ひぃぃッ! ま、魔法陣が見えなかったぞ!? なぜ、こんな距離から……!」
「鎧が、鋼の鎧が貫かれた!? 盾を構えろォォッ!」
悲鳴を上げて大盾を構える兵士たち。しかし、現代の黒色火薬で撃ち出されるライフル弾の貫通力は、中世レベルの鋼鉄の盾などいとも容易くぶち抜いた。盾ごと胸を撃ち抜かれ、ゼムリャの精鋭たちは血の海に沈んでいく。
「第三列、撃てッ!!」
「第一列、装填完了! 撃てッ!!」
絶え間なく続く、狂気の弾幕。
魔法の詠唱も魔力の消費もなく、ただ機械的に引き金を引く動作の反復が、三千の大軍を一方的にすり潰していく。わずか数分の間に、突撃した五百の騎兵は全滅し、平原はゼムリャ軍の死体と悲鳴で埋め尽くされた。
「な……ば、馬鹿な……!? 何が起きている!?」
最後尾の指揮車で、ボリス将軍は腰を抜かして震えていた。
笑っていた顔は恐怖に歪み、単眼鏡を握る手がガタガタと震えている。
敵は一歩も動いていない。剣も交えていない。ただ、雷のような轟音と白煙が上がるたびに、自軍の精鋭たちが虫ケラのように死んでいくのだ。
「閣下! 前衛が完全に崩壊しました! 敵の魔法攻撃の射程と威力が異常です! 撤退を!」
「て、撤退だと!? 侯爵の許可状まで得ておいて、五十人に敗北して逃げるなど許されるか! 全軍、散開して奴らを包囲しろ!」
将軍がパニックに陥り、無謀な指示を飛ばそうとした、その時だった。
「……悪いが、ここから先は俺の単独ステージだ。死んでもらうぜ」
頭上から降ってきた声に、ボリス将軍と幹部たちが一斉に見上げた。
いつの間にか、アレンが指揮車の上空に跳躍していた。『生体力学』を応用した身体強化魔法により、数百メートルの距離を一息に跳躍してきたのだ。
「き、貴様ッ! 弓兵、撃ち落とせ!」
幹部たちが慌てて弓を構えるが、遅い。
アレンは空中で懐から数個の麻袋を取り出し、指揮車の周囲にばら撒いた。中から舞い散ったのは、ヴォルフスブルクの工場で精製された、極めて粒子の細かい特殊な可燃性粉末だ。
「無詠唱での多重展開。……『基礎化学・熱力学編』」
アレンの指先から、ほんの小さな種火が放たれる。
可燃性粉末が空気と完璧に混ざり合った空間に、発火源が触れた瞬間。
「粉塵爆発」
――ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
平原の中心で、小型の太陽が生まれたかのような凄まじい爆炎が巻き起こった。
爆風は指揮車を木っ端微塵に吹き飛ばし、周囲にいた護衛の兵士たちをまとめて消し飛ばす。
「ぐああああッ!?」
凄まじい熱波と衝撃波に打たれ、ボリス将軍と数名の幹部たちは黒焦げになって地面に叩きつけられた。全身の骨が軋み、もはや指一本動かすこともできない。
土煙が晴れた後、無傷のアレンが、悠然と彼らの前に降り立った。
熱く焼けた銃口を、将軍の眉間に突きつける。
「さて、大将。三千人でピクニックの気分はどうだった?」
「ひ、ひぃぃ……! た、助けてくれ……! 降伏する! 降伏するから命だけは……!」
先ほどまでの傲慢さはどこへやら、ボリス将軍は涙と鼻水を流して命乞いを始めた。
アレンは鼻で笑うと、粉々になった指揮車の残骸の中から、一枚の豪奢な羊皮紙を拾い上げた。爆炎から奇跡的に焼け残ったそれは、真っ赤な蝋印が押された公式書類だった。
「おっ、あったあった。ヴィクトルが言ってた通りだ」
アレンは羊皮紙を広げ、そこに書かれた文字と署名を確認した。
『治安維持の支援を要請し、王国領内での武力行使を許可する——王国財務卿・バルテルス侯爵』。
「他国の軍隊を呼び込むお墨付きか。自国の権力者が国を売る決定的な証拠……こいつがあれば、あの王都の腐れ侯爵も一発で首が飛ぶな」
「あ、ああ! それはお前たちにやろう! だから見逃して——」
ドンッ!
アレンは容赦なく銃の台尻を振り下ろし、将軍の顔面を砕いて気絶させた。
周囲を見渡せば、指揮官を失い、圧倒的な火力に心を折られたゼムリャ国軍の残存兵たちが、次々と武器を捨てて大地に這いつくばっている。
たった五十人の歩兵と、一人のガラクタ召喚士。
彼らが現代科学とマクロ経済の力で成し遂げた、常識外れの完全無欠な勝利であった。
そしてアレンの手の中にある一枚の羊皮紙は、王都で震える侯爵たちに引導を渡す、最も凶悪な刃となるのだ。




