第31話:平和島の怪、狂乱のビル風(ビルおろし)
平和島競艇場。ここは都市型競艇場の宿命として、周囲を囲む高層ビル群が生み出す不規則な突風――通称**「ビル風」**がレーサーを苦しめる。
SGダービー2日目。気圧の急変により、平和島の水面はまさに地獄と化していた。ビルとビルの隙間から吹き抜ける突風が水面を不規則に叩き、局所的な「空気の渦」を発生させる。
「……おじさん、これ、ただの風じゃない。不動さんのマブイが、ビル風と共鳴して『透明な壁』を作ってるよ」
ハルが観測モニターを指差す。ハルの精密演算をもってしても、0.1秒ごとに方向を変える乱気流の予測は不可能に近かった。
乾健児の『銀鱗・泥龍』は、ピットを出た瞬間から強風に煽られ、翻弄されていた。昨日の不動凱による敗北の傷跡――精神的な「圧」が、乾のマブイのキレを鈍らせている。
第12レース。乾の隣に配置されたのは、地元・東京が誇るSG常連、隼人シン。
彼の属性は**「風」の最上位変質――『気流』**。
平和島のビル風を「敵」ではなく、自らの機体の「一部」として取り込むことができる唯一のレーサーだ。
「乾。甲子園の『零』も、空気がなければただの窒息だ。この平和島の空には、俺が敷いた『死の気流』しかないんだよ」
隼人がスロットルを開けると、彼の機艇の周囲に真空の層が発生し、周囲のビル風を吸い込んで巨大なブーストへと変換した。
「平和島SG・予選2日目……全艇、起動!!」
スタートの号笛。乾はスリットへ向かうが、第1マークの手前で、ビル間から吹き下ろした猛烈な突風が機艇を直撃した。
「……っ、浮き上がる!? 転覆られるか!!」
乾の機艇が、風の圧力で水面から45度も持ち上げられる。そこへ隼人の**属性変質――『真空の断頭台』**が襲いかかる。隼人が通った後の真空地帯に空気が流れ込み、爆発的な乱流となって乾を叩き伏せる。
「ハル! 翼! 姿勢が制御できねえ! このままじゃ護岸に突っ込む!」
乾の視界には、すぐ目の前に平和島のコンクリート壁が迫っていた。
「おじさん、風を切るのをやめて! 風を『マブイの羽』にするんだ!」
通信機越しにハルの絶叫が響く。
「泥水は、形がないから何にでもなれる……。おじさんの白金を、薄く、広く、翼のように広げて!」
乾は、激痛の走る右腕をハンドルから離し、指先から**『真珠白金』**を霧状に放出した。
属性を一点に凝縮する「針」ではなく、機体全体を包み込む「皮膜」へと変える。
属性極致――『白銀・翼龍』。
乾の機艇は、叩きつけるビル風を反発するのではなく、その風圧をマブイの翼で受け止め、揚力へと変換した。
第1マーク。乾は水面を走るのをやめ、水面から数センチ浮上したまま、風の渦に乗って「滑空」した。
「……なっ!? 風に乗って……飛んでいるだと!?」
驚愕する隼人の頭上を、乾の泥龍が銀色の影となって飛び越えた。
ゴールライン。
1位、乾。2位、隼人シン。3位、ハル。
平和島の「怪」と呼ばれた乱気流を、マブイの翼で制した乾。
ピットに戻った彼は、震える手でカウルを撫でた。
「……はは、泥水の次は『鳥』かよ。忙しいこったな、俺の魂も」
隼人は、乾に歩み寄り、自分のライディングスーツの「風の紋章」を指差した。
「乾、今の『ウィング・ターン』……。不動さんの『万物』に風穴を開けるとしたら、その翼かもしれないな」
だが、乾の視線はすでに、ピットの最奥で静かに佇む不動凱に向けられていた。
不動は、乾が飛んだ瞬間も、一度も視線を動かさなかった。
「……羽を広げたか。だが、墜落の痛みは、高く飛ぶほどに増すものだ」
平和島の夜空に、冷たいビル風が再び吹き荒れる。
翼を得た乾健児と、空さえも支配する不動凱。
SGダービーは、ついに「空理」の戦いへと突入した。




