第23話:封印の17,000、神の領域への鍵
多摩川G3、優勝戦。その前夜。
ピットの隅、静まり返った整備室で、乾健児は自分の右腕を見つめていた。白金の紋様が皮膚の下で脈動し、まるで意志を持つ生き物のように熱を放っている。
「……おじさん、その腕。もう限界だね」
ハルが、暗闇の中から現れた。彼の手には、大村で手に入れた古びたデータチップと、叔父の田中大門が遺した一冊の手帳があった。
「田中さんの手帳を解析したよ。……おじさんのマブイ出力が、なぜ常に『17,000』で固定されていたのか。その本当の理由が分かった」
ハルが端末を操作すると、ホログラムのグラフが浮かび上がる。乾のマブイ波形は、17,000のラインで鋭利に切り取られたような不自然な形をしていた。
「人間の精神が耐えられるマブイの限界値は、通常15,000。黒崎龍平のような怪物が『暗黒』を使ってようやく20,000に届く。……でも、おじさんの本来のポテンシャルは、そのどちらでもない」
ハルの声が震える。
「17,000は出力の限界じゃない。**『封印』**なんだ。今岡校長は、おじさんの魂が神の領域――**属性:無**に触れて、人間として崩壊するのを防ぐために、あえてその数値で精神を固定したんだよ」
乾は手帳を開いた。そこには、殴り書きのような田中の筆跡が並んでいた。
「健児よ。お前のマブイは、多摩川の泥を金に変える錬金術だ。だが、金は重い。重さに耐えられなくなった時、お前は自分自身を削り始めるだろう。
17,000を超えてはならない。その先にあるのは『勝利』ではない。すべてを無に帰す**『零の旋回』**だ。……だが、もし世界が闇に包まれたなら、その鍵を回せ。鍵は、お前の『震え』の中にある」
「……震えの中にある、だと?」
乾は自分の右腕を見た。異常振動症。ネクロズ・ワンとの戦いで同期し、今は静まり返っているこの腕の震え。それは、封印を解除するための「振動数」だったのだ。
一方、多摩川の対岸に停泊する超豪華観測船。
黒崎龍平は、ネクロズ・ワンが乾に浄化されたデータの残滓を見て、歯噛みしていた。
「馬鹿な……。17,000のゴミ溜めが、なぜ私の『死のプログラム』を上書きできる!? あの数値には、今岡が施した呪いがかかっているはずだ!」
龍平は、自らの胸に埋め込まれた巨大な黒色マブイ石――**『終焉の心臓』**を叩いた。
「いいだろう。封印が解けるのが先か、貴様がマブイの負荷で肉塊になるのが先か……多摩川を血で染めて証明してやる」
「……ハル。もし俺がその『零』の領域に入って、自分を見失いそうになったら……」
「大丈夫だよ、おじさん」
ハルが乾の言葉を遮った。
「僕が隣にいる。僕にはマブイがない。だから、おじさんの『無』を中和できる唯一のストッパーになれる。翼さんも、溶岩で外側を固めてくれるって」
「そうよ、健児」
いつの間にか背後に立っていた翼が、力強く頷く。
「あんた一人の命なんて、あたしたちが許さないわ。……泥水の王様は、三人で一人の王様なのよ」
乾は、初めて心の底から笑ったような気がした。
17,000という呪縛。それは、今岡校長が与えた「愛」という名の防壁であり、今日、仲間たちの手によって「翼」へと変わる。
多摩川の夜が更けていく。
明日の決勝戦。
乾健児が解き放つのは、17,000の熱量ではない。
自分を信じてくれた仲間たちの想いを乗せた、未だ誰も見たことのない**「真・白金」**。
乾の右腕が、微かに、しかし確かなリズムで脈動し始めた。
それは、新しい時代の扉を叩く、不敵な鼓動だった。




