第十章 聖女の盾①
「おまえは聖女の盾となれ」
今より三年前、ユリウスが正式に護衛騎士を拝命した際、前任者である父マクシムが告げた第一声がそれだった。
本来、騎士の象徴は当然のこと剣である。王室から授与される騎士の徽章も、剣と国花の白百合があしらわれていた。
だが、マクシムはあえて息子に盾となるよう命じたのである。
「それは、剣を使わず身を挺して主を守れということでしょうか?」
成人したてでまだ血気にはやるユリウスは、その命令にやや不服であった。
彼は見習い時代の四年間、配属されていた北方守備隊でも剣の腕前は上位だったのである。それを鼻にかけるような気質ではないものの、自身の技術を父から認められていないように感じてしまった。
「アウレリア様を本気で守ろうとする者は少ない。そのことはおまえも知っているだろう」
マクシムの言葉に、ユリウスは思わず息を飲んだ。
幼少時からの王室における聖女の扱いをよく知っているからこそ、ユリウスは父からはっきり告げられて身を強張らせたのである。息子の反応を見やりながら、マクシムは続ける。
「剣を抜いて戦うのは戦士の本懐だ。だが、剣を抜くということは、同時に己の命を危険にさらすことでもある。戦場と違っておまえ一人しかアウレリア様を守れない状況で、もしおまえが死んだらどうなる? 敵をすべて倒した後ならまだしも、敵が生き残っていたらアウレリア様は身を守るすべがない」
ユリウスは唇を噛みしめる。
見習い期間に後方として戦場を見てきてはいるが、いまだ実戦に出たことのない彼は自分の死をそこまで実感していない。そのことを見透かされているようで居心地が悪かったのだ。
「おまえが死ねばアウレリア様も死ぬ。だからおまえはむやみに剣を抜かず、自分ごと守る盾となれ。できるだけ剣を抜かずに済むよう、事前にうまく立ち回るようにしろ」
「ですが……アウレリア様は離宮から出ることはないはずです。そこまで神経を尖らせる必要があるのでしょうか」
ユリウスはついその疑問を口にした。
確かに父の言いたいことはわかる。だが、聖女は離宮に閉じ込められた虜囚に等しい身。その護衛騎士が、そこまで神経質になるほどの危険に遭遇するものかと疑うのも当然ではあった。
「おまえには話しておかねばならんな」
表情を消して、マクシムはユリウスに自らの知る限りの情報を引き継がせた。
疫病の猛威で王族が相次いで死亡したため、ヘリオス王子を擁する一族が何やら画策を始めていること。
同時に、隣の東王国でも何やらきな臭い動きを見せていることを。
「今はまだ、疑いの段階でしかない。だが、実際に動き始めれば王宮は大混乱になるだろう。その時、アウレリア様の身が火種になりかねん」
たとえ聖女は離宮で冷遇されていても、その身分は象徴として大きな意味を持つ。王位の正当性を訴えようとする者は、必ず聖女を手に入れようとするはずだった。
「しかし……なぜ父上はそこまで裏の情報に詳しいのですか? 毎日離宮で任務についていたはずでは……」
ユリウスの疑念はさらに深くなる。
父が聖女の身を案じる理由はわかったが、その前提となる情報はどこから手に入れたというのか。
離宮で主に張りついているはずの護衛騎士にしてはあまりに不自然だった。
「私は確かに聖女の護衛騎士を拝命しているが、同時に代々受け継ぐ別の家業もあるのだ」
「家業?」
「おまえが成人したら話そうと思っていた。我が家はただの騎士家系ではない。別の名を『鴉』という」
そうして、マクシムはすべてを明かした。
彼の家系は数百年も続く王家の「影」であったことを。『鴉』という符牒により、国内の隅々に張り巡らせた情報網が存在していることを。
唐突な情報の洪水に、ユリウスは目眩を感じた。だが、改めて思えば合点のいくことは多かった。
幼い頃からあえて離宮に呼ばれ、ほぼ一人で聖女の世話を託されていたこと。
たまの父の非番の時や、今は亡き祖父たちに連れられて、山で一人でも生き抜ける程度の技術を叩き込まれてきたこと。
当時は遊びの延長程度の気分だったが、今となればあれはすでに『鴉』の後継者としての訓練が始まっていたのだと彼はようやく気づいた。
「王家の、裏仕事……?」
ユリウスは思わずつぶやいた。どこかおとぎ話のようなその仕事が、まさか父の裏の顔で、しかもそれを己が引き継ぐなどと、にわかには信じられなかったのだ。
「今、私から教えられることはこれだけだ。また状況が変われば折を見て話す」
「父上」
息子への引き継ぎを終え、立ち去ろうとする父をユリウスは呼び止めた。
その声は硬く、喉の奥から無理やり出したかのようにかすれている。
「アウレリア様は黄金の子として市井で発見され、王家に召し上げられたのですよね? その黄金の聖女を王家に連れてきたのは……父上だったのですか?」
「――そうだ」
それが、聖女護衛騎士の引き継ぎ業務を締める一言だった。
後日、ユリウスは王室より正式に護衛騎士として叙任された。
授けられた徽章は、樫の葉と剣の紋。
セルディアにおいて古来より樫の木は守護を示し、特にその葉は盾の象徴とされてきた。
通常の騎士は国花の白百合と剣であるのに対し、護衛騎士はいっそう守ることに特化された意匠であった。
真新しい徽章を胸に、ユリウスは主の元へ向かう足取りを重く感じていた。
――アウレリア様を王室に連れてきたのは父だった。
無論、それは王命によるもので、父は任務を果たしただけなのはわかっている。
それでも、何も知らない無垢な幼女をこの狭い鳥籠に閉じ込め、世界から隔絶させた当事者が己の一族だという事実は彼の心を暗くさせていた。
(――それだけではない)
アウレリアの両親は盗賊に殺されたと彼は聞かされている。だが、それは真実なのだろうか?
千年の歴史で初めて発見された黄金の聖女が、都合よく孤児だったと信じてよいものだろうか?
その疑念が日々積み上がり、彼は胸が破れそうになる。
代々受け継がれてきた、王室の闇を請け負う一族。その血を己が引いているという事実が、彼にとってはあまりにも重すぎた。
「本当に戻ってきてくれたのね、ユリウス」
四年ぶりに再会した主は、嬉しげに表情をほころばせた。
その輝くような笑顔のまぶしさに、彼は思わず目を閉じる。
胸に抱いた盾の徽章の鈍い重みを全身に受け止めながら。
※
そして今、ユリウスは主の護衛騎士でありながらほぼ侍従に近い境遇であった。
国は滅びてすでに無い。
騎士の徽章は身分が露見しないよう、脱出の際に王宮に置いてきた。
今の彼は何一つ持たぬ身分で、ただ非公式の聖女の側仕え扱いだった。
特に駐屯地はあえて侍女を採用していないため、アウレリアの身の回りの世話は大半がユリウス、細やかな部分はミリアが補佐するという体制になっているのである。
今日も彼は主の好物の葡萄を受け取りに厨房を訪れていた。
「聖女様への献上品として、今日はとびきり極上の葡萄が入っているぞ」
料理番の一人が、すっかり顔なじみとなったユリウスにそう嬉しげに話しかけてきた。
「そうですか。それはありがたい」
ユリウスは籠いっぱいに盛られた献上品の葡萄を受け取ると、必要な分だけもぎ取って小さな籠に移した。
確かに今日の葡萄はいつにも増してみずみずしく、粒ぞろいで今にも齧りつきたくなるような匂いを放っていた。
これなら主もきっと喜ぶだろう――他に楽しみなどない軟禁生活を送る彼女が束の間でも幸せを感じられればと、彼は慣れた手つきで丁寧に汚れをふき取り、余分な異物や虫などを取り除いていった。
その際、葡萄の房の中に形状の違う葉が混じっていることに彼は気づいた。
(――これは……樫の葉?)
一瞬だけ己の捨てた徽章を思い出し、彼は頭を振る。
――ただの混入した葉ぐらいで動揺してどうする。
そう自分に言い聞かせ、作業を再開した。
そして、
「これは……」
知らず、彼は小さな声でつぶやいていた。
籠の敷布に絡みつくように刺さっていたのは、紛れもない鴉の黒羽。
「どうかしたのか?」
料理番から怪訝な顔で尋ねられ、ユリウスは慌てて我に返る。
「あ、いえ……ずいぶん立派な葡萄だと思いまして。これはどこから献上されたのですか?」
「うちに納入する畑は契約で決まってるよ。怪しいところと取引して、毒でも入れられたら困るからな」
「そ、そうですね……」
ユリウスは動揺を隠すように適当に言葉を濁し、一礼すると葡萄の籠を持って厨房を後にした。
袖口の中に、発見した樫の葉と鴉の羽をしのばせて。
(――やはり、父は生きていた)
すでにトゥレンたちからマクシムは生存の可能性が高いとは聞かされていたが、彼はまだその確証を得ていなかった。
だが、今はもはや確信に近い。
軍と契約を結ぶ農民に金でも握らせたのか、父はこの符牒を密かに仕込んできた。確実に聖女に献上されるであろう、上等の葡萄を利用して。
もしかしたらすでに何度か試みていたのかもしれない。たとえそうだとしても、知らぬ者にはただのごみにしか見えないだろう。
そして、いずれ息子が受け取った時に、それは密かな伝言となる。
(――おまえは聖女の盾となれ)
たとえ寄る辺を失い、誇りも徴も捨てたとしても、その教えだけは忘れるなと念を押すかのように。
甘い葡萄の芳香をまとわせながら、彼は取り出した樫の葉を静かに見つめていた。
ついに第十章が始まりました。
スピンオフ、幕間、番外編、人物紹介……と、だいぶ本編進行をお待たせしておりました。
ここから物語は新たなフェーズへと移行します。是非ともお楽しみくださいませ。
なお、今回の『鴉』絡みの物語については、外伝「鴉の止まり木」をお読みいただければと思います。




