第十章 聖女の盾②
「なぜあなたがわざわざ危険な真似をしようとする必要があるのです?」
苛立ちを隠そうともせず、トゥレンは聖女の申し出を冷たく突っぱねた。
「危なくないように、ちゃんと変装するよ?」
「そういうことではございません! そもそもなぜあなたがイアスの任務まで把握しているのですか!?」
「え? テオに聞いたから」
後でテオにはきつく叱る必要があるとトゥレンは密かに歯噛みした。
事の発端はアウレリアの護衛配備の変化だった。
近頃、聖女護衛任務からイアスがしばしば抜けていることに、さすがに聖女本人も疑問を抱いたのである。
イアスは本来、トゥレン直属の密偵に近い役割であり、近頃は本業の任務が増えていた。代わりに見知らぬ兵が交代で穴埋めしていたが、アウレリアとしては、普段無口でもすでに馴染みのあるイアスの方が安心できる。それで彼の不在の理由をテオに訊いたところ、あっさりとイアスの現在の任務を明かしてしまった。
その任務こそが、あのエピオナ人捕虜から聞き出した情報を元にした、危険な薬物を持ち込む東方商人の捜査だったのである。
「怪しい売人の捜査を聖女が自らするなど聞いたこともございません」
トゥレンは溜息混じりに聖女の願いを却下する。だが、彼女はその言葉尻を捉えて反論した。
「……だって聖女は今までいたことないんでしょ? じゃあ聞いたことないんじゃないの?」
屁理屈で抵抗され、トゥレンはますます苛立ちを増大させる。
「そうでなくとも、王族に名を連ねたような方が、市井で密偵の真似事などするものではございませんよ」
「私はもともと王族の生まれじゃないし、今はもう王家も王国もないでしょ。だったら問題ないじゃない」
アウレリアはなおも食い下がる。
「私だって何かの役に立ちたいんだよ。捜査だったら、相手が嘘ついてるかどうかわかれば少しは役立つんじゃないの?」
まっすぐ見つめる黄金の瞳はいつになく真剣で、その願いが決してただの好奇心や遊び心によるものでないことはトゥレンにもわかっていた。
無論、彼女の申し出は当然役に立つ。
実際に捜査は難航していたのだ。イアスのような手慣れた者でも、老獪な東方商人たちから必要な情報を聞き出すのは骨が折れた。商人同士で互いに口裏を合わせている風情で、とても尻尾を出しそうには見えなかったのである。
こんな時に真実を見抜く瞳があれば確かに有効だが、それと引き換えにあまりにも危険性が高すぎる。
トゥレンにとって聖女が害されること自体はさして打撃ではない。そういう意味では利用するだけしても構わないが、問題は他の敵対勢力に奪われ、利用されることなのだ。
「殿下……いかがなさいますか」
もはやこれは自分の手に負えない。ここは責任者からきっぱりと断ってもらうしかないと判断し、トゥレンは主君に採決を促した。
しかし、それまで腕組みしたまま黙って聞いていたレックスが初めて口にしたのは、補佐官の思惑とは真逆だった。
「ならばやらせてみればいいだろう」
「――殿下!?」
主君によって背中から撃たれた格好のトゥレンは、思わず声を裏返らせた。
「役立たせると本人が言うならやらせてみろ。それでできなければそれまでのことだ」
レックスの裁可に、トゥレンは言葉を失った。同時に、アウレリアもまた驚いて思わず口をぽかんと開けていた。
「え……? 本当にいいの……?」
「許可してほしいのではなかったのか?」
自分から願い出てきたのに許可されて驚く聖女に、レックスは眉間の皺を深めた。
「だって……私には期待してないって言ってたでしょ」
先日、自分が言われた言葉をアウレリアはいまだに忘れていなかった。
(――別に構わん。初めから期待はしていない)
アウレリアが戦場を漂う怪しげな煙を見分けることはできないと言った時、レックスはそう断じた。
おまえは役立たずだと正面から切り捨てられた気がして、アウレリアはその言葉が今でも胸の奥に刺さっていたのである。だが、
「何の話だ」
「覚えてないの!? この前、戦場で言ってたでしょ!? 私の瞳なんて初めから期待してないって!」
なんと、当の本人は完全に忘れていたようだった。
レックスは記憶をたぐり寄せ、ようやく該当の発言を思い出したようにつぶやいた。
「……ああ、言ったな」
「ほら、言ってるじゃない!」
アウレリアは物怖じもせず、皆から畏怖される灰色の王子をにらみつける。
しかし、その程度で動揺するような相手ではなかった。
「当然だろう。戦は我々の領分だ。なぜ剣も持たぬ部外者に期待する必要がある?」
「え……?」
予想もつかぬ答えに、アウレリアはつい勢いを失った。
「あの時、おまえは初めから神の瞳とやらを使うために従軍したわけではなかったのだろう。ならばこちらも期待などしないのは当然のことだ」
「じゃあ……今回のも失敗すると思ってるわけじゃないの?」
「失敗するとわかっていて許可するはずがないだろう」
なぜそんな当たり前のことを訊くと言わんばかりの態度に、アウレリアは一瞬言葉を詰まらせる。
だが、少なくともただの役立たずと断定されたわけではないと安堵し、彼女はトゥレンに向き直った。
「じゃあ今日から早速、私もイアスと一緒に街へ出るからね!」
今にも出ていこうとする主を止めたのは、それまで背後で黙って控えていたユリウスだった。
「アウレリア様、事前の準備もありますので、さすがに今日からは難しいかと……」
主の気まぐれに振り回される苦労を彼もよく知っているせいか、疲れきった顔つきのトゥレンを見かねてつい口を出してしまったのである。とはいえ、主の行動そのものを制限することまではさすがにできない。せいぜい一日延期させるのが精一杯である。
「それもそうね。じゃあ明日! よろしくね、トゥレン」
嬉しげな聖女の声に、トゥレンは目眩を覚えながら天を仰いだ。
聖女が騒々しく去った後、トゥレンは主君に抗議の声を上げた。
「……なぜ聖女の参加をお許しになったのですか」
しかし、レックスは部下の抗議を平然と受け止めた。
「何か問題があるのか」
「問題しかございません。捜査の秘匿性を保つためにも人数は最小限、そうなると聖女の護衛も手薄になります」
「おまえのことだ、見えぬように兵は配置してあるのだろう」
「それは当然です。しかし自分の身すら守れぬ聖女を街へ出すのはあまりに危険すぎます」
諫言より先に、相変わらず準備にぬかりのない補佐官にレックスは苦笑を漏らす。
「おまえがそれほど聖女の身を案じていたとは知らなかったな」
「そういうことではございません。聖女をろくな警備もなしに街へ出すなど、飢えた獣の群れに餌を放り投げるようなものなのですよ? 奪われでもしたらどうなさるおつもりなのですか!」
ずいぶん聖女を大事にしているとでも言いたげな主君の言葉に、トゥレンは棘を隠しもせずに反論する。
だが、レックスは決してトゥレンを揶揄していたわけではなかった。彼はいつもと変わらぬ鋼のような灰色の瞳をまっすぐ向け、こともなげに返す。
「狙いたいなら好きにさせておけばいい。向こうから出てきたところをこちらが討つ。それだけのことだ」
主君の冷たい刃のような台詞に一瞬、トゥレンはぞくりとした。
トゥレンとしては聖女が狙われやすい事実は把握していても、それを逆手に取ってあえて狙わせるつもりはなかったのである。
彼自身、決して敬虔なセラ教信徒ではない。聖女はいつでも処分できる駒としか見ていない。
それでもやはり、聖女には無意識で不可侵の領域を感じていたのかもしれない。それこそが、覇道を進まんとする生まれながらの王族との違いでもあった。
「……そのために聖女を餌として泳がせると?」
そう問うトゥレンの声はわずかにかすれていた。そのわずかな変化に気づいたのか、レックスは眉をひそめた。
「どうかしたのか、トゥレン」
「いえ……私の思い違いだったようです」
トゥレンはそう言うと小さく首を振り、それ以上の問いかけをやめた。
実のところ、彼は主君が聖女にほだされて甘い判断を下したのではないかと危惧していたのである。
――そもそも殿下は聖女に甘すぎる。
聖女は初対面から通称のレックス王子と呼び、いつの間にか王子の呼称すら取れて呼び捨てになっている。それでも殿下自ら好きに呼ばせておけと放置していることが、秩序を何より重んじるトゥレンには許しがたかった。
聖女は呼称だけでなく言動も無礼で幼稚、さらに今回の調査任務にも首を突っ込もうと総司令に直談判に来るなど、正気の沙汰とは思えない。
それを許可する殿下も思考を乱されているのではないかと恐れていたのだが、実際にはまだこの主君の冷たい合理の刃は決して鈍ってはいなかった。
そのことを改めて実感し、トゥレンは深々と頭を下げた。
だが、この時トゥレンは主君の怜悧な判断に感動して、一つだけ見落としていた。
聖女を餌にするのかと問うた時、主君がそれに明確な回答をしていなかったことに。
彼は自身の中で結論づけ、実際の胸中までは深く追求しなかったのだ。
無論、問われたところでレックス本人もまだ自身の心情を把握し損ねていただろうが。
二組の主従がそれぞれ異なる思いを抱いたまま、翌日より、聖女を含めた調査団による東方商人捜査が開始されたのであった。
アウレリア、ついに引きこもりから脱却!?
引きこもりというより監禁状態だっただけなんですけどね。ルシアと違って外には出たがっておりますし。
さてお忍び調査はどうなるのでしょうか!?




