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黄金のアウレリア ―セルディア王国記―  作者: 北峰
第三部

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幕間 神の記憶(後編)

 セリオの異動先は王国軍第一軍団であった。本来はもっと辺境にでも行きたかったのだが、裏で父親が手を回したのか、王都のすぐそばに配属されてしまった。


「家門は考慮せず、容赦なく鍛えるから覚悟しておけよ」


 配属直後の彼に、明るい声で物騒な第一声を放ったのは直属上司のバルナスだった。

 セリオが出会った時、バルナスは第一軍団の中隊長で、平民として上がれる当時の最高位の階級だった。いずれは武門の子弟たちに階級を抜かれることはわかっていても、彼は分け隔てなく部下たちを鍛え上げていたのである。


 その日焼けしたおおらかな笑顔に、セリオは第一印象で好感を持った。この人の下ならきっとうまくやれる――抱いたばかりのその希望は、数時間も経たずに掻き消された。近衛兵団とは比べ物にならない悪夢のような鍛錬に、彼は初日から気を失って脱落したのである。




 それから五年が過ぎ、セリオは中隊長副官になっていた。本来、彼の家名ならもっと上の階級に上がっていてもおかしくなかったが、昇進の打診を彼自身が固辞していたのである。


「呆れた奴だ」


 セリオの奇行に中隊長のバルナスは苦笑した。


「いえ、私の上官はバルナス殿しかおりませんから」

「それでは永遠に昇進できんぞ」

「出世など望んでおりません」


 初日は気絶で始まった関係だが、すでにこの時セリオはバルナスを上官として深く信頼していた。確かに鍛錬は厳しかったが、近衛と違って常に前線に立たされる兵団は生半可な鍛え方では生き延びられない。そのことを実戦で思い知らされた彼は、何度も吐いて倒れながらも必死に食らいついてきたのである。


 そして、昇進を拒む理由は他にもあった。

 相変わらず父からは近衛に戻れという手紙が定期的に届き、その都度彼の顔を曇らせていた。

 また、いっそう恐ろしいのが元上司のヴァノからの勧誘だった。


 この前年、ベルダはただの王妃から皇后へとその職位を改めていた。教皇から位を譲られ、史上初の女教皇となった彼女は皇后という名称を創設したのである。

 そして、ヴァノは皇后の第一の側近として聖騎士団に移籍していた。その聖騎士団に入らないかと、セリオの元に誘いの声がかけられていたのである。


 聖騎士団員は実戦経験が不足しており、ヴァノは優秀な軍人を集めようとしていた。そこで元部下の彼が目を付けられたのだった。

 下手に王国軍で昇進などすれば、目立って引き抜きの声がいっそう増える。その予測が立つからこそ、彼は低い階級のまま動かず、皇后に近い聖騎士団も近衛兵団も拒み続けていたのだった。



 そんな折、長年病臥(びょうが)している国王に代わり、新たな総司令に第一王子のアレクシスが就任した。

 そして就任と同時に第一軍団の拠点を訪れるという知らせが届けられた。


「王子がわざわざ駐屯地へ? 視察ですか?」


 その報を聞いたセリオは眉をひそめた。何の経験もない王宮育ちの王子が、実戦部隊の本拠地に何の用かと疑問に思ったのだ。だが、バルナスの答えは彼の予想をはるかに超えていた。


「いや、ここへ居を移すそうだ」

「は? どんな酔狂ですか!?」


 セリオは思わず不敬な発言を口にした。王宮に住まない王族など聞いたことがない。景勝地の別邸で一時的に過ごすならともかく、平民も多く混じった軍団駐屯地で寝泊まりするとはどれだけ狂人なのだと思ったのだ。


「おまえが人に酔狂と言うのか」

「私は別に酔狂でここにいるわけではありませんよ?」


 バルナスに呆れられ、セリオは不満げに言い返す。彼の場合はただの酔狂で昇進を蹴っているわけではない。初めから最高位の生まれである王子とは境遇がまったく違うのだ。

 ずいぶんと面倒なことになったと溜息をつきながら、セリオは新たな総司令を迎える支度をした。


 成人したての十六歳の少年。

 しかも王宮育ちで、実戦経験はおろか社会に出たことすらない。

 そんな子供が、ただ王子という理由で総司令など務まるものかと彼は思っていた。


 駐屯地で暮らすとはずいぶん酔狂なふるまいだが、やるだけやって気が済めばまた王宮に帰るだろう。それまでの辛抱だと自分に言い聞かせ、総司令の居室の準備を調えた。




 そうして迎えた総司令の着任日。

 初めて目にするアレクシス王子の姿に、セリオは思わず息を飲んだ。


(――本当に……あれが十六歳だと!?)


 何より最初に目を奪われたのが、その大きく逞しい体つきだった。相当鍛え抜かれていることは一目でわかる。また背後に控える顔色の悪い小姓らしき少年が貧相な体型だからこそ、余計に際立って大きく見える。


 しかも、この王子は顔立ちも柔弱とは程遠く、成人したての少年とは思えぬほどの異様な威圧感があった。


「この軍で最も腕の立つ者は誰だ?」


 新任の総司令の第一声はそれだった。腹の底にずしりと響くような重い声音につい圧倒されそうになり、セリオは顔を引き締める。見た目はともかく、ただの少年に気圧されてどうすると自分に言い聞かせながら。


 そして王子の下問に、その場にいた者は一斉にバルナスの方を向いた。一番の腕前はバルナスだというのが彼らの共通認識だったのだ。


「そうか、おまえか。ならば立ち合えるか」


 王子はバルナスを一番の強者と認識し、いきなり手合わせを申し出てきた。

 形の上では質問だが、兵士に断る権利など無きに等しい。バルナスが無言で進み出ようとしたその時、セリオが横から割って入った。


「お待ちください!」


 彼はバルナスをまるでかばうように前へ出ると、王子に力強く願い出た。


「バルナス殿の前に是非、私と手合わせ願います!」


 その言葉に、王子はやや怪訝(けげん)な顔をした。


「おまえがこの軍で一番強いのか?」

「いえ、そうではございません! ですが、その前にまず私と立ち合っていただきたいのです!」


 王族の気まぐれでバルナスを見世物にしてなるものかと、セリオは気を張っていたのである。相手が王子であれば、バルナスも本気を出せるかわからない。彼としては、敬愛する上官にそんな半端な剣を振るってほしくなかったのだ。


「構わん」


 王子は短く答え、総司令と中隊長副官の立ち合いが行われることとなった。




 王子の最初の一撃を正面から受け止めた時、セリオは全身から冷たい汗が噴き出した。


(――本当に、これが王宮育ちの王子なのか……!?)


 だが、そのような疑問を長々と思考している暇はない。

 斬撃は間断なく降ってくる。それをかわし、受け止めるのが精一杯で、自分の攻撃を繰り出す余裕などなかった。


 しかもその一撃一撃が異様に重い。

 それなのに動きは鋭く、大柄な剣士には珍しいほど敏捷だった。


(――まるでバルナス殿のようだ)


 長年実戦で培ってきた最強戦士に匹敵する剣技。彼はそう感じていた。

 普段の鍛錬でよく知っているバルナスの方が斬撃は重いが、王子の方が立ち回りが早い。だからこそ翻弄され、反撃の隙すら与えられないのである。


 そして決着は驚くほど早かった。

 地面を転がる剣を絶望の目で見つめながら、セリオはがっくりと膝をついた。


(――何と情けない)


 バルナスをかばうつもりで自ら名乗り出たにも関わらず、このていたらく。まともな攻撃すらできずに剣を弾かれて終わるとは。


 それもこれも、相手を侮っていたせいだと彼は己を恥じた。

 王宮育ちで実戦など知らぬ柔弱な王子――その見立ては全く違っていた。


 第一印象から普通の王子ではないことはわかっていたはずなのに、相手の肩書だけで判断を改めなかった自分の失態なのだ。

 自責の念で立ち上がれずに地面を見つめていると、不意に頭上から声が降ってきた。


「よく鍛えられているな。悪くない」


 重く圧力のある、低い声音。

 だが、どこか嬉しげにも感じられるその声に、セリオは思わず顔を上げた。


 そして、彼は見た。

 白日の光の下、己を見下ろす灰色の瞳。

 硬質な鋼のごとき冷たさの奥に、彼はなぜか熾火(おきび)のような静かな熱を感じ取った。


 その瞬間、彼は全身に雷鳴を浴びたような感覚に捉われた。

 頭の端から指先に至る隅々まで、強い震えが彼を襲った。


 ――この方こそが、覇者と呼ぶべき人なのだと。


 理屈ではなく直感で、彼はそう理解していたのだ。

 その後、アレクシス王子は改めてバルナスと手合わせし、三本勝負のうち二本を取られ、納得したように薄く笑っていた。王子が神ではなく人間であることを実感し、セリオもまた安堵したのだった。




「あの頃のおまえはずいぶんと尖っていたものだな」


 寝台脇の椅子に腰かける副官に向けて、まだ血気にはやっていた時代の彼をからかうようにバルナスはそう言って笑った。


「まだ若かったですからね……」

「今でもまだまだ若いだろう。おまえが軍を率いてくれるから、私もこうして寝ていられるというものだ」

「いえ、バルナス将軍にはすぐにも戻っていただかねば困ります……!」


 セリオは噛みつかんばかりの勢いでそう訴えた。

 バルナスはダナオス河畔で受けた毒矢の治療のため、王都に戻ってからも念入りに療養するよう命じられていた。そのため、病床で他にすることもなく、こうして見舞いに来た副官と昔話などして暇をつぶしていたのである。


「しかし皇后の水浴を覗き見とは、若いとはいえずいぶんおまえも大胆だったな」

「覗き見ではありません! あれはただの事故です!」


 バルナスの揶揄にセリオは顔をしかめて反論する。

 ちょうどその時、病室の扉が元気よく開けられた。


「バルナス将軍、元気? 今日はミリアが焼いてくれたパンを差し入れに持ってきたよ!」


 籠いっぱいのパンを腕に抱え、明るい声で入ってきたのは聖女アウレリアだった。すぐ後ろにはいつも通り、影のように護衛のユリウスが控えている。


「ミリアのパンはおいしいんだよ。中に干し葡萄とか入ってるの」

「それはありがたい。今日の夜食にでもさせていただきましょう」


 寝台脇の卓に置かれたパンを見つめ、バルナスは表情をほころばせた。

 するとアウレリアはセリオの方を振り返り、しげしげとその瞳を覗き込んできた。


「それで、何の話してたの? 覗きがどうとか聞こえたんだけど」

「いえ、何でもございません」


 神の瞳を避けるように、セリオは不器用に目をそらす。だが、そんな様子を面白そうに見つめるバルナスが、余計な一言を投げてきた。


「せっかくだから聖女殿にも聞かせてやったらどうだ」

「わあ、聞きたい聞きたい!」


 バルナス以上に暇を持て余しているアウレリアは、面白そうな話が聞けると無邪気に喜んだ。もう一つの椅子を引っ張り出して座り込み、もはやここに居座る気満々である。


「聖女殿にお聞かせできるような話ではございません!」


 セリオはそう叫んだが、どうにも分が悪かった。

 創られた神から逃げ、新たな神と出会った彼は、また逃れられない神与の運命に翻弄されようとしていた。

これにて幕間「神の記憶」は完結です。長くなってしまったため、前後編に分けました。

まさかのセリオ主役。

そして明日9/20(日)から四日間、このシルバーウィーク中は黄金週間として毎日更新いたします。

是非お越しください。

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