第八章 神の瞳④
敵の頭目の名はローデリックという。セルディア文明圏から北方蛮族と呼ばれるグト族の中でも、彼らはさらに異端扱いをされてきた少数部族である。
自分たちを蛮人と蔑む文明国の人間を憎悪し、たびたび略奪を行ってきたのがグト族であったが、ローデリック率いる部族はより効率的な戦い方を求め、交易路を行き交う商人と接点を持つようになった。
それゆえに同じグト族内でも排斥され、ダナオス川流域まで追いやられていたのだった。
後ろ手に縛り上げられ、屈強な兵たちに厳重に囲まれたローデリックは、情報どころか名前すら明かさなかった。
「殺すならさっさと殺せ!」
山羊角兜の下の顔は幅広で、高い頬骨と太い鼻梁を持ち、一目で北方異民族だとわかった。さらに蛮族でありながらかなり流暢なセルディア語を話すことからも、これが文明国と交易する少数部族の頭目であることはほぼ間違いなかった。それゆえに、レックスの問いも尋問というより確認作業に近くなる。
「おまえがローデリックだな」
自ら名乗らぬうちに名を呼ばれ、ローデリックは苦々しく舌打ちした。
「くそっ、あのエピオナ人か。所詮よそ者など信用すべきではなかったわ」
この頭目の情報については、すでにエピオナ人捕虜から聞き出してあった。自分が真の仇に利用されていたことを知り、心の折れた捕虜は、あの後も引き続き細かな情報を吐いていた。それを踏まえた上で、今は総司令自らが敵の頭を直接尋問しようとしていたのである。
「おまえたちは同族内から排斥された少数部族だそうだな。元の拠点を取り戻す気はないか」
「……は?」
ローデリックは太い眉をひそめて聞き返した。
敵を捕らえたら拷問して首を刎ねるのを常とする彼らにとって、そのような問答など時間の無駄に過ぎなかったのである。
しかも厄介なことに、その言葉は甘い誘惑にも思えるほど飛びつきたい内容だった。
グト族は遊牧民と言っても、各部族ごとの縄張りはある。ローデリックの部族はもともとあった拠点を他部族に奪われ、南下してくるよりなかったのだ。
セルディア人より血統を重んじる彼らは、先祖から受け継いだ拠点を取り戻したいという思いが強い。だからこそ、明らかな餌を投げ与えられても彼は素直に頷くわけにはいかなかった。
「だとしたら何だと言うのだ!?」
「ならば手を貸してやる」
「い、いったい、何を……」
ローデリックは虚勢を張ることすら忘れてうろたえた。
つい先ほどまで殺し合っていた敵に手を貸す?
あまりに常軌を逸した申し出に、彼の思考は焦げついてしまったのだ。
「こちらの兵は出さん。その分、おまえたちの東方商人との交易を我々が代わりに行い、必要な物資と手段は与える」
レックスは腹の底に響くような圧力のある声で短く告げる。
「部族同士の争いにもこちらは干渉せん。それ以上、何か不都合があるのか」
交易路は王国側が抑え、自由貿易は許可しない。
内政干渉しないと謳っているようで、実際には軍事協力もせず、自力で部族抗争を解決しろと言っているに等しい。
この条件は、もはやただの隷属契約であった。同等水準の文明国であればその不利益に憤っただろうが、全く異なる文化を持つグト族の長は、むしろその手ぬるさに嘲笑を浮かべた。
敵将を殺さない――その一事だけでも、目の前の敵が軟弱に映ったのである。
「はっ、そんな甘いことをぬかして、俺たちが感謝して貴様らを襲わなくなるとでも思っているのか!?」
「無論、手は打ってある」
短く告げると、レックスはそばに控える兵士に目配せした。その合図で、すぐさま天幕内に新たな捕虜が引きずられてきた。
「――離せ! くそっ! 何をする!」
大柄な兵士二人に乱雑に引きずられ、その少年捕虜は縛られたまま暴れて喚き散らした。
「俺はローデリックの息子ロドルグだ! 親父を返せ! この蛮人め!」
父親は知らぬふりをしようとしていたにも関わらず、息子の名乗りによりあっさりと情報開示されてしまった。自ら敵を利する息子に、父ローデリックは憤った。
「この馬鹿が! 何をしに来た!」
「お、親父……!」
息子との再会を喜ぶどころか、憤怒の形相で一喝され、ロドルグは思わず飛び上がりそうになった。
レックスが捕らえた敵将を本陣に連行した直後、天幕に供もつけず一人で乗り込んできたのが、この少年だった。王国軍は何らかの策略を疑ったが、どうやら本当に父親を返せと直談判に来ただけらしかった。
見たところ十四、五歳。グト族はセルディアより早く十四で一人前とされるが、それにしてもまだ見た目も中身も幼すぎる。殺すほどの価値も脅威もないため、こうして父親の交渉材料として利用されることになったのである。
そのロドルグは、レックスを敵将と見定め、縛られたまま堂々と体をのけぞらせて叫んだ。
「親父がいなくなったらうちの部族はおしまいだ! 殺るなら俺を殺れ!」
「そうか。ならばそうしよう」
ロドルグの言葉にあっさり頷き、レックスは自然な動作で剣を抜く。今にも首を刎ねそうな勢いに、ロドルグは大いに慌てた。
「えっ!? いや、おい、待てって!」
「何だ、嘘なのか。覚悟もないのに殺せなどと軽々しく口にするな」
神の瞳などなくとも、レックスの灰色の瞳にも少年が虚勢を張っていることなど明らかだった。呆れたように言葉で切って捨てると、ローデリックは苦々しく吐き出した。
「子供を使って脅すとは、ずいぶん王国も蛮人らしい手を使うものだな」
自分たちを蛮族と侮るお前たちの方がよほど野蛮だと彼は嘲弄したのだが、レックスは敗者の嫌味など何の痛痒も感じていなかった。
「おまえたちは旧習に囚われず、新たな技術を使おうとしているのだろう。知識を求め、恭順する気があるのなら、おまえの息子を王都で教育してやる」
無論、それは体のいい人質である。
本来ならばこの族長であるローデリック本人を王都に連行するのが筋だが、そうすると生き残った者たちが決死の覚悟で奪還しに襲ってくる危険性がある。逆に殺してしまえば、今度は復讐のためさらに過激に攻めてくるだろう。
これ以上、時間も兵も無駄にできない王国軍としては、早いところ講和を結んで帰還したいのだ。かといって口約束だけでローデリックを放流すれば、約定を反故にされる可能性が高い。それゆえに、この息子を人質として王都に連行するのが最適解だとレックスは判断したのだった。
「……そんなものはいらぬと言ったらどうなる」
「息子を見捨てたいならそうすればいい」
「…………くそっ、悪王の手先め」
ついにローデリックは折れた。王国軍の敵将の冷たい瞳が、蛮族を凌駕するほど苛烈な炎を宿していることを察したのだ。ただのはったりではない。拒絶すれば本当に息子ともども殺される――そのことを本能で理解させられ、ローデリックはがっくりと肩を落とし、うなだれた。
「え? え? あれ、俺どうなるの?」
ただ一人、ロドルグだけが状況を読めず、きょろきょろと辺りを見回していた。だが、誰からも説明をされぬまま、彼は再び屈強な兵士に引きずられて天幕の外へ雑に放り出された。
古代ローマでも実際に、属州の支配者層の子弟を留学生として留め置く政策は行われておりました。
教育による同化政策と人質にする目的なのは、こちらでも変わりません。




