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黄金のアウレリア ―セルディア王国記―  作者: 北峰
第二部 黄金の雛鳥

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第八章 神の瞳③

 馬のひづめを覆い、口に布を噛ませて音を殺し、王国軍は全軍ひっそりと拠点を出た。新月の暗闇を逆に利用し、彼らは大きく交戦地を迂回して風上側の森林地帯に身を隠した。


 兵士たちもできる限り息を詰め、静かに無人の野営地を見つめる。

 すると、程なくして川辺から騎馬の群れが押し寄せた。


 蛮族の集団は素早く天幕を取り囲むと、一斉に矢と玉の雨を降らせる。

 弾弓だんきゅうから放たれる粉末が一気に広がり、さらに火矢まで撃ち込まれる。


 野営の天幕に火がつき、あちこち燃え広がったが、中から誰一人出てこない。その異常さに蛮族も気づいたのか、遠目からでも動揺が見て取れる。火矢を使ったことで、かえって敵の動きが王国軍には丸見えであった。

 敵の挙動が鈍ったのを確認すると、レックスは力強く右手を掲げた。


「――行け」


 ただその一言で、王国軍の精鋭部隊は獲物を求めて一斉に馬を駆った。

 彼らは全員、ミリアの提言により水に浸した布で鼻と口を覆っている。動き回るのに息苦しくはなるが、薬物の吸引を防ぐにはこれしか方法がない。


 まるで盗賊団のようないでたちで、松明たいまつも持たずに敵の背後から襲いかかる。

 これではどちらが蛮族かわからぬと、兵団を率いながらセリオは内心思ったが、口には出さなかった。そもそもこれ以上蛮族のために時間も兵も無駄にはできない。この夜戦で勝敗を決するには、正攻法にこだわっている場合ではなかったのである。




 交戦地から離れた森の中で、アウレリアは息をつめて目を凝らしていた。


「アウレリア様、大丈夫ですか?」


 主のかすかな震えを腕の中で感じ取り、ユリウスが小声で尋ねる。


「うん……ユリウスがいるから大丈夫」


 気丈に振る舞おうと、アウレリアはあえて明るく答えながら、ユリウスの腕をぎゅっと強く掴んだ。

 彼ら非戦闘員や傷病者たちは、川辺のヴィディア砦に退避する暇もなかったため、近場の森林地帯に隠れて息をひそめていた。いつでも逃げられるよう、アウレリアはユリウスに背を守られる形で馬に同乗しているのだが、密着しているからこそ彼女のかすかな震えはユリウスにはっきりと伝わっていた。


 新月の夜、しかも森の中からでは合戦の様子はほとんど見えない。それでも馬蹄の轟き、兵たちの喊声かんせい、人馬がぶつかり合い、命を刈り合う音と振動は嫌でも伝わってくる。

 そして、人一倍敏感な眼を持つ彼女は、遠くからでもその黄金の瞳で、炎に照らされる殺し合いの様子を知覚していた。


 それは、彼女にとって初めて目にする「人が人を殺す瞬間」であった。


 生き物の死は、逃亡中の狩りで見た。

 人間の遺体は、エピオナの焼け跡で遭遇した。

 そして今、初めて戦場で殺戮の場面を目撃していたのである。


「アウレリア様、場所を移しましょうか?」


 ユリウスは主を気遣い、戦場の見えない奥の木陰への移動を促す。だが、アウレリアは首を振った。


「ううん、駄目だよ。私が自分でここへ来るって言ったんだから、ちゃんと見ないといけないと思う」


 本来、彼女はここへ来るべき人間ではなかった。医師として従軍を命じられたのはミリアだけで、アウレリア自身に現場でできることなど元よりない。それでもミリアを守りたくて、無理を通してここまで来たのだ。ならば恐ろしいからと目を背けるべきではないと、彼女は震えながらも決意していた。


 主からそう言われてはユリウスも引き下がるよりない。万一、流れ矢や伏兵が襲ってきても自分が盾になろうと彼は心の中で誓った。


「聖女様、大丈夫っすよ! 俺たちがちゃんと守りますから!」


 テオの雑な励ましがかえって緊張感をやわらげ、アウレリアは薄く微笑んだ。無論、ユリウスはその発言については完全に黙殺していたが。


「まさか後方に回されるとはな……」


 苦々しい声で悔しさをにじませるのはバルナスだった。まだ毒の影響が抜けきらず、本調子とは程遠い彼は、筆頭将軍であっても傷病者として非戦闘員に含められたのである。これまで数々の武勲を上げてきた将軍にとっては耐えがたい処遇であった。


「将軍の場合はそもそも生きてるだけで奇跡なんだから、無茶しちゃ駄目に決まってるでしょ」


 イアスと同乗した馬の上から、ミリアは冷たく釘を刺す。バルナスを後方に回すよう進言したのは当然彼女であった。


「でも、バルナス将軍が無事で本当に良かったよ」


 将軍の矜持きょうじや悔恨など知るよしもないアウレリアは、素直にそう喜んだ。

 娘と同じ年頃の少女に明るく励まされては、バルナスもそれ以上不満は口に出せなかった。


 彼らは敵に気づかれないよう、明かり一つ灯さぬ暗闇の中、ささやくような声で話しながら戦況を見守ることしかできない。

 そしてほどなくして、ひときわ大きな歓声とともに、自軍の誇らしげな報告が戦地に響き渡った。


「――総司令閣下が敵の頭目を捕らえたぞ!」




 レックスが敵の夜襲を逆用して攻勢に出たのは、捕虜の発言を鵜吞みにしたわけでも、聖女の判定を基準にしたわけでもない。

 たとえ夜襲がなくても自軍を移動し待機させるだけならば、実行して特に損がなかったからである。


 実際、捕虜の情報が真実だとしても、蛮族側で夜襲を取りやめる可能性もあった。

 だが結果として夜襲は実行され、そして王国軍はそこに付け入り、戦局を一気に逆転させた。


 戦地となった川辺の平原は、もやのように煙と粉末が撒き散らされていた。風下にいれば大きな被害は免れなかっただろう。だが、あえて大きく迂回して風上の陣地を取った彼らから、敵の姿は丸見えであった。


 薬物で思考を鈍らされなければ、王国軍と正面から戦える敵などない。大陸最強の名に違わず、彼らはそれぞれ三人組で流れるような連携攻撃を繰り広げ、一兵ずつ敵を正確に狩っていった。


 病み上がりでまだ完全には熱が下がっていないレックスは、とてもそうとは見えぬほど堂々とした動きで指揮を執る。いつもと違って前線に立つ姿を不安げに眺めていたセリオは、突如レックスが馬で駆け出すのを見て大いに焦った。


「――殿下!? いかがなさいましたか!?」


 しかしレックスは振り返らない。

 彼の進む先には一つの騎影があった。


 暗闇の中でも浮かび上がる、白みを帯びた葦毛あしげ馬。

 その背に乗るのは、力を誇示するかのような太く隆々とした山羊角兜の男。

 まさに捕虜の証言通り、これこそが敵の頭目に相違なかった。


 レックスは黒鹿毛くろかげの愛馬を矢のごとき速さで駆け、名乗りも上げずに重い長剣を振り下ろした。

 相手の動きは鈍く、剣を受けた蛮刀はただの一撃で刃を折られた。敵将は一旦馬を引き、鞍につけた槍に手を伸ばそうとしたが、レックスがそのような隙を見逃すはずもない。二撃目は剣の腹で相手の胴体を薙ぎ払い、膂力りょりょくの差で敵を馬上から叩き落とした。


 山羊角の兜が、硬い音を立てて地面を転がる。同時に敵も苦悶の声を上げながら地面を転げ回る。

 その様を冷たい灰色の目で見下ろすと、レックスはすかさず長剣を槍に持ち替え、まっすぐ下に突き出した。


「全軍に伝えろ。敵将を捕らえた」


 地を這う敵の喉元に槍の穂先を突きつけながら、レックスはセリオに短くそう告げた。

はい、まさに空城の計でした。

第一章から久しぶりの戦記風味なシーンとなりましたね。

あくまで風味です。

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