第八章 神の瞳②
東西セルディアの国教であるセラ教がいつ興ったか、明確な記録はない。
もともとは原始的な太陽信仰から生まれ、太陽の輝きと永久に不滅な存在である黄金が結びつけられ、やがて黄金信仰へと変質していったようである。
千年以上前の記録によれば、セルディア地域において数か月も太陽が出ない異常気象が起こったとされている。この経験により、人々は神から見放されることを恐れ、セラ教の教義が固まっていったのだろう。
セラ教の神には人格がない。
人に似た姿も意思も言葉もなく、ただ天に在るだけとされる。
神は人を裁かず、救いもしない。
地上との繋がりを示す教義上の象徴は、ただ二つ。
神の化身とされる、太陽光のごとく長い尾を持つ黄金鳥。
そして、黄金の髪と瞳を持ち、初代セルディア王に祝福を授けたと伝わる、黄金の聖女である。
聖女の黄金の両眼は、意思を示さぬ神の代わりにこの世の真実を映し出す。
すなわち「神の瞳は全てを見抜く」――それが、セルディアにおいて誰もが知る伝承であった。
いくら同郷人のミリアが尋問するとはいえ、外部の人間だけで行わせるわけにはいかない。当然、現場には軍の人間が同席する必要がある。しかも相手は敵の参謀的な立場と思われ、さらには総司令の暗殺未遂犯でもある以上、一般兵ではなく将官以上の責任者が立ち会うべきであった。
他に適任者がいないため、セリオが同席しようとしたのだが、それをレックスが制止した。
「おまえはバルナスの代わりに兵をまとめる必要があるだろう」
「で、ですが、他の者に任せるわけには――……」
現時点で、レックスが暗殺者に襲われたことは兵たちに伏せられている。そのため、事情を知らない他の責任者を立ち会わせるわけにはいかなかったのだ。
「俺が行けば問題ないだろう」
「殿下自らがなさるようなことではございません!」
いくら王族暗殺未遂犯でも、その王族本人が直接尋問するなど聞いたことがない。セリオは青ざめて反対したが、彼の意思で主君を止めることなどできなかった。
こうして尋問役はミリア、立ち会いにアウレリアとレックス、護衛としてイアスとユリウスが割り当てられた。天幕に入りきらないためテオはバルナスの元に居残りとなった。
アウレリアが陣幕をくぐろうとしたところで、ユリウスが心配げに声をかけた。
「アウレリア様、どうかご無理だけはなさいませんよう……」
「大丈夫だよ、私はただ見てるだけだし。それに、ユリウスが一緒にいてくれたら怖くないよ」
アウレリアはユリウスを心配させまいと気丈に微笑みかける。その気遣いが伝わるからこそ、ユリウスはやるせない気持ちになる。
聖女を道具にしたくない一心で、彼はあの逃亡の日々を過ごしてきたのだ。それなのに結局のところ、こうして聖女自ら道具として差し出させてしまっている。そのことが彼に忸怩たる思いを抱かせていた。
主従の間にわずかな沈黙が落ちる。
だが、それは背後で待つ男にとってはただの無駄な時間に過ぎなかった。
「何をしている。入らないのか」
陣幕の前で立ち止まる二人に苛立ったように、レックスが背後から急かす。
「言われなくても入るわよ!」
やっぱり感じの悪い王子だとふてくされながら、アウレリアは乱暴に陣幕をめくって捕虜の前へと進み出た。
ミリアの主導で尋問は開始されたが、やはり捕虜はなかなか口を割ろうとはしなかった。
襲撃してきた時からまだ三日しか経っていないにも関わらず、頬はこけ、げっそりと痩せ衰えている。水すら拒否しているのは事実だと誰の目にも明らかだった。
「貴様のような裏切者に話すことはない」
男は暗い瞳に熾火のような怒りを灯しながら、ミリアに向かってそう告げた。
彼にとってヴァルクレウス軍に入り込み、尋問役までするような者は完全に敵の手先としか見えなかったのだ。
だが、その言葉はアウレリアの怒りに火をつけた。
「ミリアは裏切者なんかじゃない!」
嘘かどうかを判定するために立ち会うだけのはずが、彼女は役目すら忘れて叫んだ。
「ミリアだって家族も家も街もみんな失って……それでも今ここにいるのは、私のせいで巻き込まれただけなんだよ!」
アウレリアが憤ったのはミリアが罵られたからだけではない。ミリアがこんな役目を引き受けさせられたのも、そもそもヴァルクレウスに捕らわれたのも、すべて自分が原因だと思うからだった。
本来なら彼女こそ家族も故郷も失った苦しみをいたわられるべきなのに、自分のせいで逆に責められている。そのことがどうしても許せなかったのだ。
「アウレリア……」
困ったように呼び掛けるミリアの声も聞かず、彼女はさらに続ける。
「ミリアは何も悪くない! 薬だって知識だってみんな人を救うために使ってる! 薬も技術も人を殺すために使ってるのはあなたの方でしょう!?」
もはやこれは尋問ではなく糾弾だった。己の行動を非難され、捕虜は復讐心とは別の怒りを発露させた。
「仇を討つのに使えるものを使って何が悪い!」
男が使ったのは毒だけではない。
ダナオス川の渡河の戦術。
浮橋を架ける技術。
煙幕に混ぜた薬物を散布して視界と思考を奪い、毒矢で攪乱する非情な手段。
略奪が中心の蛮族を主導して拠点と兵站を築き、長期戦も可能な軍隊へと進化させる手口。
これらはただの一拠点での小競り合いで済ませられる事件ではなかった。蛮族がこのまま文明化すれば、王国にとって脅威的な軍事国家に変貌してしまう。
個人の復讐心で行うには、あまりにもその責任は重かった。
アウレリアにはそうした政治や軍事は理解できない。それでも彼女はこの男のしたことが間違いだと確信していた。
「仇って言うなら皇后を討ちに行くべきなんじゃないの!? ここの人たちはあなたの街の仲間を埋葬してくれたんだよ!」
「……は? 何を……」
少女の発言に、捕虜は面食らった様子を見せた。
唐突に出てきた皇后の一語。そしてなぜか敵が同胞を埋葬したという情報。急にそんなことを聞かされれば混乱するのも無理はなかった。
驚きに硬直する捕虜に、さらに追い討ちをかけるように横からミリアが口添えする。
「本当だよ。私も一緒に見てたからね。全員きちんと街道沿いの共同墓地に埋葬されて、石碑まで建ってるよ」
声を失う捕虜にミリアはさらに告げる。
「みんなを埋葬してくれと頼んだのが、自分も国を滅ぼされた西セルディア人のこの子なんだよ。だからこの子のためにも話してやってもいいんじゃない?」
「知ったことか! 埋葬だと? そんなもの、ただの罪滅ぼしだろう? 俺には関係がない! 俺はとうに命など捨てた!」
ミリアの説得にも、捕虜は耳を貸さなかった。声を震わし、いっそう怒りを目にたぎらせて叫ぶ。
だが。
「……どうして嘘をつくの?」
憤った捕虜の瞳の揺らぎを、アウレリアは見逃さなかった。
「死にたいなんて嘘なんでしょう?」
命など捨てたと叫んだ瞬間、男の瞳は揺れていた。
黄金の聖女が今まで何度も見てきた「嘘」の瞬間。それは、彼がまだ命を本当に捨て切れてはいない証だった。
「確かにね。本当に死ぬつもりなら、持ってる毒を使えばいい。それなのに暗殺に失敗してもそのまま捕まるなんて、本気で死ぬつもりだったとは思えないね」
アウレリアの判定を補強するように、ミリアがそう断じた。
実際、不自然ではあったのだ。死を覚悟して捨て身の特攻をするような暗殺者は、たいてい自決の用意をしているのが慣例であった。それなのに、この男はイアスたちに取り押さえられるまで何もせず、体を調べても自決できるような準備もなかったのである。
それなのに捕縛されてからは水すら拒否する。行動に一貫性がないのは、本人にもまだ迷いが残っているのではないかとミリアは察した。
「あの毒は東方から手に入れたものなんでしょ? 矢に塗るくらいならそれなりの量は持ってたはずなんじゃないの?」
彼女がそう尋ねると、これまで黙って尋問を見ていたレックスが初めて口を開いた。
「……東方だと?」
レックスはその一語を聞き咎める。その問いを受けて、ミリアは以前の軍議の様子を思い出した。
「ああ、王子様はあの時、高熱出してて覚えてなかったかもしれませんね。将軍が受けた矢毒は東方由来のものなんですよ」
矢毒が東方で産出される石黄だろうと判定されたのは、ミリアたちが現地に到着した直後。あの後すぐに昏倒したということは、レックスはすでにその時点で高熱を出していたに違いない。気力だけで兵を統率してはいたが、毒物の話までは記憶から抜け落ちていたのだろう。
そして、熱が下がって思考も元に戻った今、彼は東方の一語からすべてを察した。
「そうか。ならば聞くまでもないな。裏には皇后がいる」
「……はあ?」
いきなりの結論に、ミリアは思わず不敬に過ぎる声を上げてしまった。
(――だったらこの尋問は何だったわけ!?)
そう思ってもさすがに口には出せない。
葛藤する彼女の内心など気にも留めず、レックスはさらに告げる。
「皇后派はもともと東方商人との繋がりがある。あの不快な香も東方から取り寄せているものだ。毒も同じように買い入れていたのだろう」
レックスの導き出した結論は、もはやこれ以上尋問を続ける意味を失わせた。
時間をかけて情報を引き出すより、商人の経路を調べさせた方が効率が良い。もはや時間の無駄とでも言うように、レックスは尋問を打ち切るべく天幕から出ていこうとする。
すると、その背に向けて捕虜はかすれた声を上げた。
「……どういうことだ」
この時、捕虜は初めて自ら尋ねてきた。それに答えたのはミリアだった。
「あんたが毒を仕入れた商人は、恐らく皇后の息がかかってる。その皇后こそがエピオナを焼かせた張本人だよ」
ミリアは冷めた瞳を同胞に向ける。
「――あんたの復讐は仇討ちどころか、真の敵に利用されてたんだよ」
聖騎士団を使ってエピオナを焼かせ、その生き残りのエピオナ人を使って王国軍を疲弊させる。狡猾な真の敵の存在を初めて知らされ、捕虜の男は愕然とした。
「そんな……そんな馬鹿な……」
男は肩を落とし、うめくような声を上げることしかできなかった。
今はもう聞き出すどころではないと察し、尋問に来た一同は天幕を後にしようとした。
だがその時、捕虜は彼らに向けて苦渋に満ちた声を上げた。
「……今夜、奴らは最後の攻勢に出る」
その小さな独白に、レックスは足を止めて振り返った。
「何?」
「新月の今夜は、夜目の利くグト族に最も有利だからな。煙だけでなく、薬物の粉末を混ぜた玉を弾弓で一斉に撃ち込む手筈になっている」
その場にいた男たちは、事の重大さに全員息を飲んだ。
戦端が開かれてからおよそ半月以上。特にこの男を捕らえてからは敵の動きが鈍っているように見えていたが、実際には新月を待っていたのだ。
しかも最後の攻勢は、今までよりも手口がいっそう残忍になっている。薬物入りの煙を吸っただけでも王国軍は精彩さを欠いていたのに、粉末を撒かれたらますます機能が低下するのは明らかだった。
「奴らの頭目は、山羊角の兜と葦毛馬が目印だ」
男は目を伏せたまま、知る限りのことを口にする。
「蛮族も一枚岩ではない。こいつらはその中でも文明を取り入れようとして排斥された少数部族だ。だから逆にこの頭目を引き込めば、他の似たような部族とも交渉できるかもしれん」
「殺さずに捕らえろと?」
眉間の皺をいつも以上に寄せながらレックスは問う。その言葉に、男は自嘲気味な笑みを唇の端に浮かべた。
「頭目を殺せば、奴らは復讐のために死に物狂いで襲ってくるだろうな」
復讐心に駆られた人間がどれだけ厄介か、彼自身がまさにその好例だった。
天幕に短い沈黙が落ちる。今の言葉が真実ならば、一刻も早く対処すべきであった。
即断を常とする総司令は、眉をひそめたままアウレリアに視線を向けた。
「それで、どうなんだ」
「……え!?」
彼らの会話を黙って聞いているしかできなかったアウレリアは、突然水を向けられて動揺した。だが、驚いてきょろきょろする彼女を、レックスは不機嫌そうに眺めながらさらに問う。
「今のは真実なのか?」
「あ……うん、嘘はついてないと思う」
会話の内容はよくわからずとも、彼女はじっと捕虜の男を観察していた。
その瞳は焦りや困惑で揺れ動いてはいても、人を騙す時の揺らぎは感じられなかった。
――本当なんだ。
神の瞳はそう判定していた。あれほど頑なに敵を憎んでいた男が、真の敵に操られていた事実によって、ついに心が砕けたのだと。
「そうか」
聖女の答えを得ると、レックスはその一言だけを残し、足早に天幕を後にした。
レックス、空気は読まないし、人の話は聞いてないし……
いや、本人に悪気はないんです。
本当は悪い子じゃないんです。




