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黄金のアウレリア ―セルディア王国記―  作者: 北峰
第二部 黄金の雛鳥

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第七章 鉄の軍団⑧

「どういうことだ!? 毒ではないのか!?」


 普段の冷静沈着な副官の面影すらなく、セリオはミリアに詰め寄った。それだけにバルナスに続きレックスまで倒れるなどという事態は彼の平常心を奪ったのである。


「えっ、殿下やばい? 殿下やばい! 大丈夫なんすか殿下!」


 一方、完全に混乱して騒ぎ立てるのはテオだった。


「うるさい! あんたは黙ってな!」


 バタバタ走り回って慌てふためくテオを、ミリアは一喝して黙らせる。

 騒音を排除してから改めて脈を取り直し、慎重に診察してからミリアはセリオたちに告げた。


「うん、やっぱり毒ではなさそうだね」

「そんなはずがあるか! この程度の傷で殿下が倒れるわけがないだろう! 毒でなければ何だと言うのだ!?」


 ミリアがすぐさまレックスの傷口をあらためたが、浅い一筋の切り傷でしかなかった。

 王国軍において、こんな軽傷で倒れる兵は一人もいない。まして長年前線にある総司令が昏倒するなど、毒以外に考えられなかった。

 しかし、いきり立つセリオにミリアはあっさりと返す。


「熱だよ」

「…………は?」

「だから、熱。凄い高熱だよ。よくまあこんな状態でぎりぎりまで立ってたもんだよね」


 普通なら起立していられないほどの高熱なのに、直前まで普段通り働いていたこと自体が異常である。本当に人間なのかという言葉をミリアは喉の奥に飲み込んだ。


 そして、ミリアの言葉にセリオたちは呆然としていた。彼らは自分たちの主君をもはや神格化しており、高熱で倒れるような生身の人間らしい症状を想像すらしていなかったのだった。


「ほんとだ、熱い!」


 ミリアの診断を受けて、アウレリアは無造作にレックスの額をぺたぺた触る。湯桶に手を入れたかのようなあまりの熱さに、彼女は驚きの声を上げた。

 神にも等しい主君に対して平然と触れる聖女の仕草にセリオは何か言いたげではあったが、あえて口には出さなかった。


「よく見な、この剣には血なんかついてない。戦場で少し傷を受けただけなんじゃないの? それも毒矢ではなさそうだし、傷と熱とは無関係だよ」


 地面に転がっていた剣を指差して、ミリアはそうセリオに告げた。敵の総大将を殺すつもりで来たのなら刃に毒くらいは塗ってあるかもしれないが、暗殺者の決死の攻撃はレックスに傷一つ付けられていなかったのである。


 セリオとしては、戦場でかすり傷でも主君に負わせたことに後悔はあったが、混乱した状況下、しかも本人も高熱で倒れる寸前であれば、それを防ぐのは難しかった。


「とりあえずこの二人を早く運び出さないとね。ここで寝かせるわけにもいかないし」


 天幕についた火はイアスが桶の湯を撒いて消してあったが、布の一部が切り裂かれ、燃え落ち、とても使い物にはならない。傷病者を安静に寝かせるには別の天幕へ運ぶ必要があった。


 しかも、よりによって軍内でもとりわけ大柄な二人である。特にレックスに至っては、倒れたことが兵たちに知られれば士気の低下は免れない。


 本陣の混乱が収まったのを見計らい、周囲の人払いを済ませた上で、レックスはセリオとイアス、バルナスはユリウスとテオがそれぞれ担架で運搬した。




「バルナス将軍は目を覚まされ、殿下は見舞いと軍議を兼ねて同天幕に滞在しておられる」


 兵たちには二重三重の苦しい嘘で誤魔化し、レックスとバルナスはこうして同じ天幕に寝かされ看病されることとなった。


「なんか……親子みたいだね」


 意識のない大柄な二人の男が狭い天幕に並べて寝かされている姿は、いつもの威圧感が消えた今、まるで仲良し親子のようでどこか微笑ましくも見えた。

 アウレリアがしみじみと感想を口にするとミリアも頷いた。


「確かに。寝てる間は穏やかだしね」


 念のため、傷口は酒精で消毒済みではあるが、ミリアの見立てではレックスの症状は「過労」であった。


 西王国への遠征、接収後の残務処理、帰還してからの政争とエピオナ関連の後始末。それだけでも充分すぎるほど膨大な業務量の上、今回の強行軍と蛮族討伐。しかも怪しい煙まで吸い込んでいる。

 これだけの悪条件と疲労が蓄積されれば、体が限界に到達して昏倒するのも当然であった。


 それでも一般兵に知られれば余計な混乱が起きることは避けられない。口の軽いテオは天幕からの移動が禁じられ、エピオナ人と思われる敵の乱入者は拘束して捕虜とし、まずは指揮官二人の看病が最優先となった。


「ねえ、ミリア。看病ってどうすればいい?」


 現状を知る数少ない人間で対処するため、バルナスの治療はミリアが、レックスの看病はアウレリアが割り振られた。とはいえ人の看病などしたこともないアウレリアは、その簡単な作法すら知らない。一つずつ聞きながら対応するよりなかった。


「とりあえず冷たい水で絞った布をこまめに変えてあげるくらいかな」


 夏場ではあるが、近場の井戸から汲んだ冷水は確保できている。それで絞った布を当てて熱を下げるくらいしか今できることはない。


 毒刃による傷ではなさそうだったが、念のため酒精で消毒して包帯で巻いてある。あとは寝かして本人の自然回復を待つだけであった。

 アウレリアが布の交換のために右手を伸ばすと、その細い手首を寝ていたレックスが急に掴んだ。


「わっ、何!?」


 突然のことにアウレリアは動揺して手を引っ込めようとするが、力強く握られそのまま動けない。


「ちょ、ちょっと、離してってば」


 だが、レックスの返答はない。意識がないまま、自分に近づく他者の手を反射的に掴んだだけのようだった。


 アウレリアは知るよしもないことだが、レックスは幼い頃から何度も暗殺の危機にさらされていた。ベルダが王室に入り、王女ルシアを出産してからはいっそう水面下での動きが活発化していたのである。レックスが十六歳で王の代理として総司令に就任したのも、抜擢というよりは失策を理由に排除するためのベルダ側の策略であった。


 王宮でも戦場でも常にレックスには気の休まる場所などなかった。それゆえに、たとえ看病のためでも誰かが触れようとすれば、無意識下の警戒心が働き、反射的に排除しようと体が動いていたのである。


「大丈夫だよ……誰も、何もしないから」


 意識がなくても警戒心を剥き出しにする彼に、アウレリアはなだめるように語りかけ、力強く掴む大きな手を、自身の左手で覆うように握り返した。


 そうして手を握りながら、彼女はふと昔のことを思い出す。

 まだ自分が幼かった頃、離宮で高熱を出して寝込んでいた時にも同じように誰かが手を握っていてくれたことを。


(――あれはマクシム? それともユリウス……?)


 いつも遠巻きに見ていた侍女や、業務を終えればすぐに帰ってしまう王宮の侍医ではなかっただろう。となれば、彼女の手を優しく握ってくれた者はその二人のどちらかだろうと思う。


 今となってはもう手の主はわからない。

 それでも、あの温かな手に包まれて眠れた、遠い記憶を彼女は思い出したのだった。


「安心して寝てていいよ……レックス」


 自分が受けた数少ない看病の記憶。それを再現するかのようにアウレリアは手を握り、耳元で呼びかける。

 それがレックスの耳に届いたのかはわからない。無意識に安全性を察知したのか、アウレリアの手首を掴む力が弱まった。


(――なんだか子供みたい)


 アウレリアはつい微笑をこぼした。

 いつもは不機嫌そうな険しい顔で見下ろしてくる威圧感の塊のような男が、今は抵抗する力すらなく寝込んでいる。その姿は二十六という実年齢よりもだいぶ幼く感じられたのだ。


(――いつも老けて見えるのは、この眉間の皺のせいよね)


 眠っていてもなお、レックスの眉間には深い皺が刻み込まれていた。一日中険しい表情が貼りついているせいで、もはやそれは皮膚に形状記憶されているようだった。


 ――この皺さえなければ、もっと若々しく見えるだろうに。


 そんな考えがアウレリアの脳裏をかすめ、そして次の彼女の動作は、密かに監視していたイアスの度肝を抜いた。


「えいっ」と小さくつぶやきながら、彼女はなんと王国軍総司令アレクシス第一王子の眉間の皺を、懸命に指先で伸ばし始めたのであった。

看病と言っても、素人にできることって実はそんなにないんですよね。

特にろくな治療法もない時代なら、なおさら。

眉間の皺を伸ばす民間療法があるかはわかりません。

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