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黄金のアウレリア ―セルディア王国記―  作者: 北峰
第二部 黄金の雛鳥

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第七章 鉄の軍団⑤

 レックスが出ていくと、ミリアは早速バルナスの診療を開始した。


 とはいえ、すでに毒矢を受けてから一週間が経過し、今さら治療そのものは不可能である。それでも毒が砒素系だと推定されたため、できる限りの手当てをするしかない。

 そう心に決めると、ミリアはまず背後で不安そうにたたずむテオを振り返って命じた。


「ちょっと、テオ! あんたはお湯を沸かしてその桶に入れてきて! ぐつぐつ煮立たせるんじゃないよ。将軍を火傷やけどさせないように気をつけな」

「ええっ!? 俺!?」


 意表を突かれて目を丸くするテオにミリアは冷たく告げる。


「あんたしかいないでしょ。アウレリアに肉体労働させるつもり?」

「す、すいません! 行ってきます!」


 ただちに背筋を伸ばして、テオは慌てて天幕を駆け出して行った。

 一方、引き合いに出されたアウレリアもやる気を見せる。


「ミリア、私も手伝うよ?」

「もちろん、そのつもりだよ。とりあえずあんたはこの鉢で薬草をすりつぶしてくれる?」


 そう言ってミリアは複数の薬草と薬鉢くすりばちを荷袋から取り出した。すり方の手本を見せてから渡すと、アウレリアは真剣な目で気合を込める。


「わかった、頑張る」


 さらにミリアは、天幕の入り口に立って警護しているユリウスに声をかけた。


「じゃあユリウスは手燭てしょくと大きめのきれいな布をもらってきて」

「いや、でも俺は……」


 さすがに聖女と重傷のバルナスがいる天幕の出入り口を無防備にするわけにはいかない。唐突な指示に戸惑うユリウスに、ミリアは溜息がちに告げた。


「こっちの無口なお兄さんは私たちのそばから離れられないんでしょ? だったら代わりに入り口に立ってもらって、ユリウスが行けば解決でしょうが」


 無口なお兄さんとはすなわちイアスである。ミリアは彼が自分たちの監視役だろうとユリウスから聞かされている。そのイアスが、この場に監視対象の三人だけを置いて出ていくはずがない。だからこそイアスを残してユリウスをおつかいに行かせようとしたのである。


「なぜ私が――……」


 無口なイアスが口を開いて抗議しようとすると、アウレリアがそれを制した。


「私はここから動かないから大丈夫だよ。それに私もバルナス将軍を助けたいの。だからお願いできる?」


 アウレリアはイアスに監視されていることなど知らず、増員された護衛の一人としか思っていない。

 だからこそ、自分を守るためにイアスが動けないだろうと気遣い、そう申し出たのだ。


 そしてイアスとしては監視の事実は明かせず、また身分的には格上の聖女からそう言われては断りようもない。


「……承知」


 不承不承それだけ口にすると、彼は音もなく天幕を出て入り口に立った。

 こうして全員の共同作業により、バルナスの救護が始まった。



     ※



 レックス率いる騎馬隊はただちに交戦地へ駆けつけた。

 ダナオス川中流域の南岸。渡河してきたグト族が拠点を作り、そこからヴァルクレウスの防衛線を何度も突破しようとしていた。このたびの戦闘もその幾度目かの試みであった。


「殿下ご自身がいらしたのですか!?」


 バルナス不在中の全軍指揮を執っていたセリオは、援軍部隊の将が総司令本人であることに大いに驚いた。だが、レックスはそれには触れず、短く現状についてのみ尋ねた。


「戦況は?」

「……この霧と煙では思うように動けません」


 セリオは軽く咳き込みながら、苦々しくそう答える。

 実際、戦場は敵も味方も混迷のさなかにあった。夏でも朝夕は霧の発生しやすいダナオス河畔。


 さらに敵の焚く煙で視界は極端に悪くなっていた。特にこの地域では基本的に北西からの風が多く、常に王国軍は風下側に立たされていたのである。


 敵は各兵を狙って攻撃するのではなく、視界を奪われた王国軍のおおよその位置に適当に矢を射かけてくる。だからこそ互いに決定打に欠け、戦況は膠着こうちゃくしたまま長引いていたのだった。

 レックスは不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、低く重い声でセリオに命じた。


「前衛歩兵は全員盾を構えて密集隊形を取れ。内側から弓箭きゅうせん隊が矢を射かけろ。敵の矢の来る方向に適当で構わん」


 まずは味方の消耗を減らし、敵を撤退させること。極度に視界の悪い状況での殲滅せんめつは不可能である。

 レックスの指示はただちに全軍に行き渡り、兵たちは瞬く間に隊形を整えた。その動き自体はいつもの「鉄の軍団」らしかったが、レックスの違和感はそれだけでは消えなかった。


 彼が真っ先に気づいたのは、敵味方問わず全体に漂う動きのにぶさ。

 確かにレックスの命令は的確だったが、正直なところ、この程度の指示は普段であれば現場でも可能なはずだった。しかしバルナスは負傷し、セリオは敵に翻弄され、兵士たちは精細さを欠いている。いくら視界が悪いとはいえ、それだけでは説明のつかない異常事態であった。


「殿下をお守りしろ!」

「隊を集めろ!」


 兵たちは陣形を固めながら、口々に叫ぶ。

 霧と煙で視界を奪われながらも、彼らは互いに声を掛け合って密集隊形を取る。敵の矢が断続的に降り注いでいたが、隙間なく組んだ盾の壁で防ぎ、混乱していた陣営はみるみるうちに立て直されていく。


 彼らは当然のこと総司令を厳重に守ろうとするも、当のレックスはそれを好まず、各隊に指示を飛ばしながら戦場を馬で駆けていた。セリオとその直属部下が慌てて守備位置につこうとしたが、レックスは気にもかけず飛来する矢を自らの剣で払っていた。


「これが全て毒矢なのか?」


 払い落した矢を見下ろしながら、レックスは青ざめたままのセリオに尋ねる。


「いえ、全部というわけではないようです。しかし殿下はどうかお気をつけ――」


 そう言う間もなく、両手に蛮刀を構えて突進してきた敵の歩兵が、猛然とレックスに斬りかかる。

 だが、レックスは眉一つ動かさず、矢を払っていた時と変わらぬ動作で流れるように薙ぎ払った。


 首筋から腰までただの一閃で切り裂かれ、敵は苦悶の声を上げる間もなく地に倒れる。その両目は斬られる前から完全に血走っていた。


 刃先の血を払い落としながら、レックスは無残な蛮族の死体を冷たく見下ろす。

 それはただの非情ではなく、馬上の敵に対して短い刀で挑みかかるという、戦い慣れた蛮族とはとても思えない行動への疑念によるものだった。


「……こいつらは何だ?」

「確かに……いつもの蛮族とは違うようです」


 セリオもまた首を傾げながらそう答えた。

 その後、戦況は再び膠着し、大きな動きもないまま日暮れ時を迎えた。

 辺りが暗くなると敵も次第に引き始め、王国軍もようやく川辺の防衛線から撤退した。




 兵を引き上げながら、レックスは同じように引いていく敵の姿を眺めて眉をひそめた。

 今、蛮族たちは王国側の領土内の川辺に陣を張っている。王国軍に比べれば粗末な拠点ではあるが、長年侵入して略奪すればすぐに引き返していた彼らの行動とは明らかに異なる。


 しかも、二週間近くの野営。本来ならとうに物資が尽きているはずだが、彼らは渡河後、ダナオス川に簡易の浮橋を設置し、対岸の仲間から定期的に補給を受けているようだった。


 いつもと違う渡河地点。

 川の流水量を計算し、適切に堰き止める技術。

 拠点の設営、浮橋の架設、補給線の確保と長期戦への対応。


 そのどれもが王国の技術を踏襲している。

 蛮族の文明が急速に発達するなど考えにくい。となれば、必ず外部からの干渉があったはずである。だが。


 ――誰が? 何のために?


 その一点がレックスに違和感を抱かせる。出陣前に充分な話ができなかったが、たとえトゥレンでもすぐには解明できないだろうと彼は思う。


 単に敵が利口になっただけなら、何者かの入れ知恵とみなすことはできる。だが、異常なのはそれだけではない。

 高度な戦略をもって攻めてきたはずの蛮族兵たちが、明らかにおかしな挙動を見せていたのである。


 蛮族は騎馬兵が主力のはずなのに、なぜか歩兵が統率された動きもなく戦場をうろついている。

 その歩兵が馬上の敵に、しかも短い刀で切りかかろうとする。


 いくら交戦中とはいえ、血走った目で理性を失っているようにも見えた。

 その状態で二週間も戦線を維持できるなど、とうてい考えられない。


 一人、思案を巡らしながら、拠点に戻って馬を降りたところでレックスは急に頭が重く感じられた。

 いつも以上に眉間の皺を深めたせいか、セリオが怪訝けげんそうに尋ねる。


「殿下、いかがなさいましたか?」

「……いや、問題ない」


 気遣いなど無用とばかりに軽く手を振り、彼はまずバルナスのいる天幕へと向かった。

トゥレンの代わりに苦労役がセリオにスイッチしました。

直属上司は毒矢に倒れ、味方は混乱し、主君が突然やって来る。

彼にも胃薬がそろそろ必要かもしれません。

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