第六章 沈黙の叡智⑦
王都に帰還したミリアは調査結果をトゥレンに報告した。
「なるほど、医師を意図的に狙ったものと」
「多分ね。もともとエピオナは宗教的にセルディア人と対立はしてなかった。弾圧するにしても唐突すぎるんだよね。……で、何で医者が標的にされたの? 特に利害関係はなかったはずだけど」
エピオナの医師たちは長年権力者に反抗するようなことはなく、それどころかヴァルクレウス国内の貴族たちの元へ往診に行くことも少なくなかった。実際、ミリアの父も都市滅亡の当日、そうやって貴族の屋敷に呼ばれていたのである。それなのに、なぜ突然攻撃されたのか、彼女には皆目見当がつかなかった。
しかし、そんな彼女の言葉をトゥレンは正しく理解できていないようだった。
「知ろうとするのは復讐のためですか?」
純粋な疑問を曲解され、ミリアは苛立つ。
「あのねえ、故郷を焼き滅ぼされたら理由くらい知りたいのは当然でしょうが! そりゃまあ確かに腹は立ってるよ。それでも私は医者だから……気になるんだよ、この国の病原がね」
この国は病んでいる――それは何年も前からミリアが感じ取っていた空気である。
だからこそ、医師としてその病の原理を知り、治せるものなら治したいと彼女は思い始めていた。そうでなければ失われた多くの命が報われないと思うからこそ。
すると、トゥレンは醒めた表情を変えぬまま彼女に告げた。
「それを知りたいのであれば、まずは『燃える水』を作ってはいただけませんか? あなたなら製法もご存知でしょう」
「何だ、結局はそういうことね」
ミリアは失望の息をつく。偉そうなことを言っても結局は軍事利用するだけではないかと彼女は思ったのだ。だが。
「いえ、武器として使うわけではありませんよ」
「……え?」
トゥレンの言葉は彼女を困惑させた。しかし彼は相手の表情などお構いなしに平然と続ける。
「火を付ければ街ごと一夜で滅ぶような危険なものを、自軍に大量に置いておくわけにはいきませんからね。それに、『燃える水』はもともと医療用の液体なのでしょう? でしたら負傷兵の処置に使える分を作っていただきたいのです」
「あんたは軍の人間でしょ? そんな判断していいの?」
都市を丸ごと壊滅させた原因と確定したにも関わらず、それほど威力のあるものを武器にしないと決めるなど、彼女は正気を疑った。これまで見える範囲だけでも、冷徹に人や軍を駒として扱ってきた補佐官にしては、やり方がずいぶん手ぬるいのではないかと。
「エピオナ関連については私に一任されております。それにあなたも、古より受け継がれた叡智をこのまま眠らせておくつもりはないでしょう?」
(――本当に嫌味な奴)
ミリアは内心で歯噛みする。エピオナの生き残りとしての矜持を突いてくるのは、実にこの男らしい。
わかってはいても、彼女に断るという選択肢はなかった。
「わかった。やってやるよ。その代わり、この国の病も診させてもらうからね」
精一杯の強がりでミリアはそう返した。
彼女は国の要人でもなく、政治に付き合う義務もない。それでもここまで関わってしまった以上、もはや逃れられないとも察していた。
正直に言えば、たとえ都市を焼いたのが王子たちと敵対する皇后派だとしても、その争いに巻き込まれた理不尽さには腹が立つ。それでも、その結果を嘆いているだけではただの悲劇として風化されてしまう。ならばこの惨劇を歴史に刻み、二度と繰り返させないことが遺された者の役目ではないかと思うのだ。
――“古の叡智、ここに眠る”
それが墓碑に刻まれた一文。その建立者は王国軍総司令の名が記されていた。それは王国の代表、王の代理たる王子としてではなく、この国を守る軍の代表として、犠牲者を風化させないという意思の表明。ならば自分もそれに与してやるのが筋というものだろう。
こうして、西の聖女と東の王子の裏で、もう一つの同盟が密かに結ばれたのであった。
ミリアが退室した後、音もなくするりと入ってきたのは、同じくエピオナから帰還したイアスだった。
「よろしいのですか。エピオナの生き残りに協力を要請するなど」
当然のように今の会話を聞いていた部下からの質問に、トゥレンは小さく息をつく。
「エピオナ人でなければ不可能ですからね。それに、監視は引き続き行ってもらいますよ」
その監視こそがイアスの役目である。念を押すようにそう告げると、イアスは珍しくまだ疑問を口にした。
「街を焼き払うような危険な液体が本当に必要なのでしょうか」
「人間の手で制御する限りは問題ないでしょう。事実、エピオナも聖騎士団が暴走さえしなければ長年管理できていたわけですからね」
エピオナが長年繋いできた叡智――それは諸刃の剣であった。街を焼失させるほどの力を持ち続けるには、それを守るだけの力も備えていなければならなかったのだと彼は思う。
知は武器だが、それだけで国は維持できない。だからこそ自分たちは相応の力をここまで育ててきたのだと。
ミリアの報告が正しければ、恐らくエピオナ焼き討ちの真相は「知の抹消」――すなわち医師たちの口封じだろうと彼は推測していた。ミリアに訊かれてもはぐらかしたのは、単に確証がないからだけではない。それが敵の本性と直接結びつくからである。協力関係と言っても、まだ素性の不明な娘にそこまでの情報を与えるつもりはなかったのだ。
トゥレンはこの件に関してそれ以上の会話を打ち切り、イアスにエピオナでの業務報告をさせた。
そして程なくして頭を抱えるはめになった。
「……テオに関しては今少し引き締めさせる必要がありそうですね」
このエピオナ任務におけるテオの数々の言動は、トゥレンを困惑させるに余りあった。テオが粗忽者なのはある程度理解してはいたものの、ここまで予測を超えてくるとは思わなかったのだ。
しかも、埋葬作業中に剣の手合わせをねだるなど、正気を疑った。
「ですが、彼の技量を推し測ることはできました」
一方、イアスはテオの無神経な言動すら監視の好機とみなしていた。テオではなく「彼」――すなわちユリウスの。
ユリウスがテオに絡まれている間、イアスが無言を貫いていたのは無関心だったからではない。そのままユリウスに剣を抜かせ、その腕がどの程度か見極めようとしていたのである。
「あの男の腕は、あなたから見てどうでしたか?」
「正面からの一対一であれば、私では恐らく勝つのは難しいかと」
「……なるほど、そこまででしたか」
イアスの慎重な評価に、トゥレンは少なからず驚いた。
武器など振るったら翌日は筋肉痛で動けなくなる貧弱な補佐官には、とうてい剣の腕前など判断できない。だからこそ、軍でも個人の技量は上位に位置するイアスがそう発言したことは、非常に重い意味を持っていた。
どうやらただの聖女の付属品とみなすには、あまりに危険な存在らしい。彼はそう評価を改めることにした。
「対策については後ほど伝えます。あなたは引き続き聖女周辺の護衛と監視をするように。――それと、テオの教育も」
最後の一言で無表情なイアスはほんの少し眉を動かしたが、何も言わずに首肯して、再び音もなく退室していった。
それを見届けながら、トゥレンはまた新たな業務が増えたことに深い溜息を吐き出した。
ユリウスがロックオンされたところで、第六章は終了となります。
ユリウス、イアスはテオのテンションに乗らなくていい奴と思っていたのに……




