第33話 進軍 北海の孤島へ
「開門せよ!」
まるで怒号にも似たサウードの声を合図に、ゆっくりと城門が開かれた。
開いた門から、ディール王国精鋭の兵士たちで結成された部隊が、足並みを揃えて勇ましく登場する。
城下街に集った民の視線の先はもちろん、金色の龍と、その背に跨る王女の姿であった。
「あれがリサ王女か」
「なんとお美しい……」
巨大な龍を従え、大きな杖を手に持つリサ・ディール王女の姿に、民たちの目は奪われる。彼らが王女を直接目にしたのはこれが初めてだ。
「王族は、成人するまで民に姿を見せてはならない」――古くから続くディールの伝統が本日、リサ王女の手によって打ち破られたのだ。
「ママ、見て! おっきなドラゴンだ!」
一方、大通りに集った子供たちの興味は、お国の王女さまよりも彼女が跨る巨大な龍に注がれていた。
「あの龍は龍神王様の生まれ変わりで、未来の世界から、リファ様の生まれ変わりであるリサ王女を守護しにいらっしゃったんですって」
暁光のように輝く龍と王女の宿命的な絆に、民たちの心は完全に魅了されている。
「王女様、そして龍神王様! どうか、この国から悪魔を滅してください!」
民たちの表情は期待に満ちていた。龍と王女によって、この世から悪魔が消し去られるはずだ、と。
◇ ◇ ◇
リサ王女たちはディール城よりさらに北のヒダルゴ港に向かい、王家が所有する巨大な船に乗り込んだ。
「これよりこの船は、魔神王の眠る北海の孤島に向かいます」
船室に集った兵士たちに、彼らをまとめる立場のサウードが、これからの作戦と展望についての確認を入念に行っている。
一方のアルフは、船室の外で、遠ざかっていくヒダルゴの港をぼんやりと眺めていた。
すっきりと晴れ渡った空に、青い海。温かい浜風が吹き、鴎たちがのんびりと宙を舞うその光景は、平和なディール王国そのものだ。ここから北の島に悪魔の王が潜んでいるなんて、とてもじゃないが信じられない。
それでも奴は、確かに生きているのだ。青い海も、緑の大地も――この国の何もかもを黒く染めてしまう、魔の生物が。
「城下街のみんな、リサに釘付けだったね」
船尾に立って物思いに耽るアルフの隣に、突然、彼の仲間であるミラ・エルレンシャインが現れた。
アルフが隣を向くと、ミラだけでなく、ロバンとファロン博士もそこに集結している。
研究所の仕事が忙しいにもかかわらず、リサとアルフの旅路を手助けし見届けようと、変わらずついてきてくれているのだ。
「リサちゃんのあんな姿を見たら、民の誰もが『女王になってほしい』と思うだろうね」
ロバンの言葉に、アルフは「ああ」と頷く。
「龍と化したアルフの背に乗って、リサ王女に城下街を歩かせよう」というのは、ファロン博士の提案によるものだった。
美しき銀髪の王女が、龍を従える姿。民の心を掴むには十分すぎるパフォーマンスだっただろう。
そんなリサは今、船室内でサウードたちと会議を行っている。
「……アルフ。魔神王を倒した後のこと、リサに伝えなかったんだね」
リサを想い静かに発されたミラの言葉に、三人を包む空気が冷たく変化した。
伝えなかった……というよりも、伝えられなかった、といった方が正しい。
アルフは俯き、数日前の夜の出来事を思い返す。
リサの部屋の、テラスの一角で。こちらを見上げる王女の純な瞳を見つめ、アルフは彼女に嘘をついてしまったのだ。
「……ああ」
どうしても、リサを悲しませたくなかった。希望に満ちた王女の表情を裏切りたくなかった。そう思うと、アルフを待つ残酷な「真実」を彼女に伝えることができなかったのだ。
「なんとか、おまえが消滅しない道はないかと考えているんだけどね。なかなか……難しいよ」
俯いたままのアルフの右肩に、ファロン博士がぽんと手を置く。博士の声音にはアルフへの謝罪と贖罪が滲んでいて、彼は慌てて首を振った。
アルフは、博士や両親に強制されたのではなく、彼自身の意志でこの時代にやってきた。だから、ファロン博士が責任や罪悪感を感じる必要なんてどこにもないのに。
「俺のことは気にせず、どうか、魔神王を倒すことだけに集中してください。この国の未来ために。そして、リサ王女のために」
時の因果は、宇宙を統べる法則だ。科学であろうと魔法であろうと、この法則に勝てるものはきっと存在しない。
「俺はもう、覚悟を決めていますから」
魔神王を倒し、この世界を去る。アルフの胸にあるのはただそれだけだった。
龍神王ですら手を焼いた、悪魔族の王。その力は未知数で、どんな姿をしているのかすら不明だ。
それでも討たねばならない。奴がこの国に、リサ王女に、害をなそうとしているならば。
「君の覚悟はちゃんと理解しているよ。……でも僕たちは、絶対に諦めない。魔神王を倒し君が消えない未来を、最後まで探し続ける」
力強いロバンの言葉に、アルフは小さく口元で笑った。
今も昔も、この人たちから溢れんばかりの親愛を受け取っている。その事実だけでもう、充分だった。
いつかこの身が、消えてなくなる前に。沢山のものをくれたこの三人に、少しでも恩返しがしたい。
「……ミラ。俺の血を使って、その火傷を治してほしい」
かつてアルフの前世を生きた龍神王が遺した、秘宝。この血を、世界でたった一人の母の傷を治すことに使っても、きっと罰は当たらないだろう。
しかしミラは微笑みを浮かべたまま、ゆるやかに首を振った。
「ありがとう。……でも、このままでいいや」
そう言って、ミラは己の右腕をぎゅっと掴む。
「いくつもある未来のうちの一つから、命をかけて会いに来てくれた息子と、一緒に旅をしたこと……。忘れないようにしたいんだ」
ミラの大きな瞳に映るアルフが、はっとしたように目を見開く。
アルフの隣に立つのは、小柄で、まだ未成年の女の子だ。
……でも、一瞬。この一瞬だけアルフの傍にいたのは、彼より何歳も年上の、美しく聡明な女性だった。
「ミラが俺の母で、よかった」
風に紛れ小さく呟いたアルフの言葉は、隣の少女にちゃんと届いたようだった。
……リサのためだけじゃない。
母や父、そしてファロン博士。大好きな研究所の面々のためにも、必ず任務を成し遂げなければならない。
アルフは後ろを振り返り、船首が向かう方角をじっと見た。遠くの海に浮かぶ小さな孤島のシルエットが、少しずつ近づいている。
――もう、過去は振り返らない。
目指すは、未来。悪魔のいない世界はもう、すぐ傍までやって来ている。




