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女王の龍は暁光に舞う  作者: 瀬尾ゆすら
第7章 アルカナを宿す者
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第32話 優しい嘘

 アルフの血によって目覚めたリサは、自室で療養することになった。

 ミラやロバン、そしてファロン博士には客室が与えられ、それぞれで夜を過ごしている。


 研究室でエヴァンの整備を行っていたアルフは、ふと、入り口のドアがノックされる音を聞いた。


「やはりここにいたんですね。部屋にいないようだったので、まさかとは思いましたが……」


 室内に入ってきた人物――サウードは、床に座ってエヴァンと向き合うアルフの姿を見るなり、露骨に嫌な顔をする。


「まだ万全の状態ではないのでしょう。ちゃんと部屋で休んでください」

「休んだほうがいいのは、どう考えてもお前の方だろ」


 アルフは立ち上がり、疲れの滲むサウードの顔と向き合った。数日前に王家の山を登ってから、彼は働きづめだ。ちゃんと寝ているのだろうか。


「私は大丈夫です。――それより、あなたに伝言。王女様が、あなたにお話ししたいことがあるそうで」

「リサが?」

「ええ。お部屋にいらしてほしいとのことです」


 アルフは驚き、急いで研究室を出る。改まって「話したいこと」とは、いったい何なのだろう。


「……王女様にあなたの生い立ちのこと、ある程度お話しさせていただきました」


 並んでリサの部屋への道のりを歩きながら、サウードは静かにそう言った。

 皆が寝静まった夜の城はしんとしていて、暗い。昼の賑わいがまるで嘘のようだ。


「そうか。……リサ、驚いていただろう?」

「ええ、もちろんです」


 隣を歩くサウードがすかさず頷いたので、アルフはふっと笑う。

 王女が驚くのも当然だ。彼女が深く信仰し祈りを捧げていた神の正体は、ずっと昔から一緒にいた幼馴染みだったのだから。


 誰もいない廊下に、二人のコツコツという足音だけが響き渡る。


「リサ様が仰っていたのですが、あなたが空を飛ぶのに憧れてエヴァンを造ったのは、龍の本能によるものなのかもしれませんね」


 思いもよらないことを言われ、アルフは琥珀の瞳を大きくした。

 確かに自分は、小さいころから空を飛ぶことに憧れていたし、その夢をリサに語ったこともあった。もしかするとそれは、自分に流れる「龍の血」によるものだったのかもしれない。


「あなたは昔から、傷の治りが異常に早かったし、訓練せずとも剣の腕が良かった。今思えば、あなたが『龍の生まれ変わり』であるという伏線は、至るところに落ちていたのですね」


 サウードの言う通りだ。


 アルフとリサが旅立った日よりも、エリック王が娘に遺言をのこした日よりも――ずっと昔から。アルフの周囲には、無数の「点」が転がっていたのだ。


 しかし彼は、それらに気づくことができなかった。

 サキュイラの放った刃が、リサを貫いたあの瞬間になって初めて、すべての点と点が繋がったのだ。


「でも……あなたを待つ『結末』だけは、王女様にお伝えすることができませんでした」


 廊下に響くサウードの声が震え、アルフはぎゅっと拳を握りしめる。


「いいんだ。お前が伝える必要はない」


 ――魔神王を倒すと、世界からアルフが消えてなくなる。


 これからアルフが迎えるであろう「結末」を告げれば、王女の心はきっと苦しむだろう。


 リサの部屋の前に到着したサウードは、声をひそめてアルフに問いかける。


「全てを、王女様に……お伝えするつもりですか?」


 サウードに問われ、アルフはそっとピアスに手を触れた。


「……わからない」


 そう呟き、何かを耐えるように目を閉じる。


 この扉の向こうにいる人に告げるのは、辛く苦しい現実か、夢のように優しい偽りか。


 アルフはまだ、決断できていない。


◇ ◇ ◇


 アルフが室内に入ると、水色のローブに薄い外套を羽織ったリサは、部屋の奥にあるテラスで星を眺めていた。薄暗い夜闇の中で、彼女の白い肌がひときわ映えている。


「ごめんなさい、こんな夜中に呼び出して」


 こちらに気づいた王女は夜風に髪を靡かせながら、柔らかく微笑んだ。黒い空を背景に揺れる銀の髪は、まるで天の川のようだ。


 サウードは扉の向こうで警護にあたっている。リサと二人きりで話すのは、なんだか久々な気がした。


「別に構わない。それより、もう動いていいのか? まだ安静にしていないと……」


 リサの隣に立ってそう問いかけると、王女はゆっくりと首を振る。


「平気よ。もうどこも痛くないの。……アルフが、わたしを治してくれたんでしょう?」


 微笑みを浮かべたままこちらを見上げる王女の瞳と、視線がぶつかった。


「サウードから教えてもらったの。あなたのこと……」


 リサの両手が、アルフの頬を包む。冷たい外気に反して、その手は温かく、柔らかい。


「龍神王さま――あなたに、お礼が言いたかったの。時を越えてわたしに逢いにきてくれて、ありがとう」


 夜闇の中で輝く、吸い込まれそうなリサの瞳。アルフは昔、この瞳に見つめられるのがどうも苦手だった。

 でも、今は違う。この透き通った水面(みなも)のような瞳に、彼は誰よりも魅了されている。


「礼なんて言わないでくれ。むしろ、俺は非難されるべきだ。『リサ王女を守る』という使命を忘れ、君の身を危険に晒したのだから」


 この数日間の旅のなかで、アルフはリサに守られてばかりだった。「あなたを守る」――旅立ちの日の夜、王女がそう宣言した通りに。

 守るべき対象に守られ、導かれ、彼はようやく自分の使命を思い出せたのだ。なんと皮肉な運命なのだろうか。

 

 アルフの言葉に、リサはううんと首を振る。


「そんなことない。……わたし、嬉しかった。あの日の夜、あなたがわたしの手を取ってくれて」

 

 リサの白い指先が、アルフのそれに絡んでくる。旅立ちの日の夜、彼の研究室でしたのと全く同じように。


「わたしについてきてくれて……本当に、ありがとう」


 緑柱石のような瞳に見つめられ、アルフの心は切なく震える。繋いだ手から寄せられる純な想いに、気づかないわけがなかった。


 春の夜の風が、二人の髪を気まぐれに撫でていく。眠りに落ちる城下街も、夜空に浮かぶ星と月も。まるで旅の始まりに戻ったみたいだ。


 ――あの日。「わたしを誘拐して」とリサに抱きつかれ、差し出された手を取った自分の衝動を、アルフはずっと理解できていなかった。

 でも、今なら分かる。痛いほどに胸を焦がす、この鮮烈な感情の名を。


「礼を言うのは俺の方だ。あの日の夜、リサがいざなってくれたおかげで、俺は両親と再会できたんだ」


 硝子細工のような王女の瞳を見つめながら、アルフは繋いだ手に力をこめる。

 世界で二人きりになってしまったのかと錯覚するくらいの、静寂。


「……ねぇ。二人でした『約束』、覚えてる?」


 その静寂に、王女がぽつりと言葉をこぼした。


「……ああ」


 忘れるはずがない。暁の空の下、二人で交わしたあの約束――「リサが女王になる姿を、いつかアルフに見せる」、と。


「きっと果たしてみせるから、それまでどうか、わたしのことを見ていてね」


 その言葉を聞いた瞬間、泣いてしまいそうなほどの切なさが、波のようにアルフを襲った。

 

 ――その約束は、守れない。

 なぜならアルフは、魔神王を倒したその先の世界で、生きることを許されていないからだ。

 

 王女の瞳は星のように煌めき、未来に待つ希望を疑うことなく信じている。その無垢さがあまりに眩しく、アルフは思わず目を逸らしてしまいたくなった。


 ごめん、と言いかけた口が、凍ったように動きを止める。


 真実はあまりに残酷で、告げることなどできそうもない。リサを苦しめることも、哀しませることもしたくない。


「……ああ。ずっと、そばで見ている」


 ならば自分は、この優しい嘘を、彼女の前で真実として貫き通そう。


 春先の空気に溶けるように、二人はどちらからともなく抱き合った。リサの小さな背中に腕を回し、アルフはそっと瞳を閉じる。

 雪のように降り積もる想いが、彼の指先を震わせた。


 リサが救われ、彼女の目的が果たされるなら、この身がどうなろうと構わない。たとえ時空の因果を歪めようとも、"アルカナを宿す者"としての使命を果たしたい。――そう覚悟を決めていたはずなのに、鈍りそうになる。


 どうして自分は、リサと同じ時代に生まれなかったのだろう。

 どうして「永劫の輪廻」は、こんなにも残酷で非情なのだろう。


「リサ……」


 もし、5歳の自分が、記憶を保った状態でリサに出会ったなら。こんな気持ちを抱かずに済んだのだろうか。 


 いや――違うな。


 どの時代で、どんな姿で出会おうとも。きっと自分は、この少女を愛さずにはいられない。

 だからこそ――苦しかった。二人で交わした茜色の約束を、破ってしまう結末が。


 リサが夢を叶える頃、アルフはきっとこの世界にはいない。女王になったリサがどんな国をつくるのか、見届けることができないのだ。


 「ずっとそばにいたい」――この狂おしいほどのアルフの願いは、きっと天上の星には届かない。


「……いしてるわ」


 腕の中で震えるリサが、小さく何かを呟く。

 アルフは涙を堪え、聞こえていないふりをした。

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