#20 赤麦酒にひと匙のスパイスを添えて。
ラッテと付き合うこととなったのはいいものの、今まで生きてきて【彼女】ができたことはなかったし、【恋愛経験】なんてない俺は、はっきり言って戸惑っている。しかも、相手は歳上ときたもんだから、正直、上手くやる自信はない。でも、俺の告白に応じてくれたということは、少なくとも気持ちは同じだろう。だけど、ラッテはレイティアのメイドであり、ハルデロト城のメイドを束ねる【メイド長】だ、前途多難もいいところである。
さっきまでのいい雰囲気はどこへやらで、今はなんだかぎこちなく、落ち着きがない俺達は、なにを血迷ったのか部屋の掃除を開始していた。まあ、アルカロの場所も掴めたし、夜まではまだ時間がある。ラッテもまだ自由時間があるらしいので、時間もで手持ち無沙汰だということもあったのだが……なぜ、この状況で掃除なんだろうか?
「掃除の基本は上からです。上から掃除すれば、落ちた埃を最後にひとまとめで掃けますよ」
「お、おう……」
なんだこれ……なんだこれッ!?
俺は掃除をしにここにきたわけじゃないぞッ!?
もっと他にやるべきことはあるはずなんだが……結局、ラッテの時間が許されるまで掃除は続いた──。
「ある程度は綺麗になったな……壁はどうにもできないけど」
「そうですね。壁はまた今度考えましょう」
「それにしても、今さらこの家を掃除してどうするんだ? ラッテは城に住んでるのに、この家を掃除する意味とは……」
「いつまでも宿暮らしというわけにもいきませんし、よければこの家を使って欲しいなと……ここを話し合いの場所にしたのはそのためでもあったんです」
「マジか……それは助かる!! アーマンさんの料理を食べる機会が減るのは寂しいけど……そうか、俺がついにひとり暮らしか……ひとり?」
あ、そうだ……妹にしたシュガーはどうすれば……。
ラッテと付き合うことになった以上、他の女性と暮らすことをラッテが許すはずがない。フィレはまあ……例外だとしても、シュガーを許容できるはずはないだろう。
「あ、あのぉ……ラッテさん?」
「……はぁ、わかっています。シュガーさんのことなら気にしませんよ、事情が事情ですから」
「よかった……」
「でも、変なことしたら許しませんからね」
「は、はいッ!!」
笑ってるけど目が笑ってない……これは本気の目だ。
しかし、シュガーを許容するのは意外だった。
それは、ラッテから信用されていると捉えていいものだろうか? なにはともあれ、新しい家を手に入れたので、今抱えている件が落ち着いたらここに引っ越そう。
「そろそろ日も暮れてきましたので、私はここで失礼します……レオ、裏酒場の件ですが、呉々も慎重に行動してください。あそこにいる者達は得体の知れない闇の住人ですから、気をゆるしては駄目ですよ」
「ああ……気をつけるよ」
「あ、あの……最後に、抱き締めてくれませんか……? む、無理にとは言いませんが……」
「む、無理なもんかッ!! えっと……こうか?」
ラッテが俺の腕の中に収まる。
そして、俺の首回りに両手を伸ばして、力強く抱き寄せてきた。
そういえば、こんなことが前にもあったっけな……あの時はまだ俺の気持ちが固まっていまくてしどろもどろしていたけど、今は違う。ラッテを彼女に選び、覚悟を決めた。それだけで愛おしさというのは込み上げてくるものなんだと、心の中で思った。
「無事に戻ってきて──」
耳元で囁く言葉には、切なくなるほどの優しさが込められているのがわかる。
「大丈夫。俺は英雄だからな──」
これはやせ我慢だ。
本音を言えば、このまま遠くに逃げたい気持ちでいっぱいだけど、俺がやらなければいけない。
もう、逃げっ放しの人生なんて嫌だ。
気持ちだけでも主人公を演じるんだ──。
「ありがとうございます、レオ。すこし落ち着くことができました」
「俺もだ……ラッテのおかげで頑張れる気がするよ」
まだ俺の体にはラッテの温もりが残っている。この温もりを忘れなければ、俺はどんなことにも勇敢な立ち向かえる──例え、それが強がりだったとしても。
── ── ──
ラッテと別れたあと、夕暮れに染まる街並みを眺めながら宿屋を目指す。
憂鬱な気分になるのはこの夕日のせいだろうか? いや、これは、シュガーに報告することに対しての後ろめたさからくるものかもしれないし、あと数時間後にはアルカロに向かうという緊張からくるものかもしれない。
ラッテと付き合ったことによる後悔はない、ただ、俺を取り巻く環境が変化するのは事実だ。どう転がるのか未知数なだけにどうしていいのかわからず、招き猫の前まできたはいいが、中に入ることを躊躇してしまう。
「ふぅ……よし、行くぞ」
意を決して中に入ると、そこにはこの場所に似つかわしくない人物が立っていた。
「やあ、レオ君。戻るのを待っていたよ」
「アデントン公!? どうしてここに!?」
俺が驚きを隠せないでいると、奥にいたシュガーがひょっこりと顔を覗かせた。
「呼んだのは儂じゃよ。これからのことをアデントン公を交えて話すべきだと判断してな」
「おかげで私の屋敷では軽くパニックが起きてね、できればアポイントを先に取ってくれると有難いんだが、状況が状況だったし仕方ないさ」
突然、半魔族が訪ねてきたら、確かに一般のひとはビビるだろう。
「まあ、そう言うな、ほんの戯れじゃ」
「レイナード君がその場にいなければ、収拾がつかなかったよ」
レイナードは奥のテーブルに座って、フンッと、鼻を鳴らした。
「おい、雑談するのは結構だけど、ここで雑談されると他の客に迷惑なんだが……」
困り顔でやってきたのは、元・武神であり、現・料理人のアーマンさんだった。
「アデントン公、あんたの来訪は嬉しいが、うちの客がビビっちまう。積もる話があるなら〝レオ君の部屋〟で話して欲しいんだが……」
「これは失礼しました、アーマン殿。それじゃあ行こうか」
「え、えぇ……」
どうして毎回、俺の部屋が会議室になるのだろうか……?
別に内装は同じなんだし、レイナードの部屋でもいいだろ……。
そんな心の声が皆に届くはずもなく、俺は三人を部屋へ招き入れた──。
今、俺の部屋にいるのは貴族の公爵、傭兵の戦士、半魔族の魔法帝、そして、トラップボックス──なんだ、この濃すぎるメンツは。しかも、アデントン公は俺の部屋に入るなり、フィレに駆け寄ってブツブツとなにかを呟いている。
「シュガー、防御魔法は展開してあるのか?」
「当然じゃ」
「じゃあ、どうしてアデントン公はフィレに夢中なんだ……?」
「ありゃあどう見ても【魅了】されてんじゃねぇか……」
『ううぅ……レオさん、助けてくださいぃ……っ』
魔物にドン引き──恐怖される公爵ってなんなんだよ……色々と設定盛り過ぎだろ。
「アデントン公、フィレが怖がってますのでその辺で勘弁してやってもらえませんか……」
「なにッ!? ……そうか、申し訳ない。しかし、トラップボックスか……実に興味深い」
どんだけ魔族大好きなんだよ、魔族大好きっ子かよ。その内、魔族博士になって魔族図鑑作る勢いだな。
「ことは相談なんだが、フィレ君を少し借りることは──」
『無理ですっ!!』
「無理らしいです、すみません」
「ならば仕方がない……魔族と和平交渉ができたら、現・魔王に誰か借りれないか交渉してみるしか……いや、しかし……」
駄目だこいつ、早くなんとかしないと。
「あまり時間はないのじゃろ? アデントン公、そんなにフィレが気に入ったなら、またくればよいではないか」
「それもそうですね……レオ君、話を進めよう」
「はぁ……」
誰のせいで話がストップしてたのか、誰かこの魔族大好きっ子に説明をしてくれないか?
俺は、現状がどうなっているのかを、レイナードの補足を踏まえてアデントン公に説明した──。
「なるほど……アルカロという店にある〝裏酒場〟に出向けば、なにか情報が掴めるかもしれないということか」
「それには危険が伴うのは確かだ。そこで、レオにその役を任せるってのが今の流れになってんだが、アデントン公、あんたはどう思う?」
レイナードはアデントン公に対してもいつも通り接する。それを、アデントン公は不快に思わないのだろうか? まあ、今さら改まるのもおかしい話だけど。
「レオ君が適材だ、と、私の判断が欲しいのかな? それなら、私は反対だと告げよう。そういう場にいくのなら、そういう場所に慣れている者を送るべきだとは思わないだろうか……そうだな、〝メイド長〟が適正だと私は打診するよ。蛇の道は蛇、だ。元・闇の住人であるラッテ=イクシールなら、このミッションを容易くこなすだろう……違うかな?」
一言一句違わない──。
この件はラッテのほうが成功率は高いだろう。
適材適所というのであれば、俺はむしろ論外だ。
期待に応えたい──それは、今回の作戦に重要なことではない。もっと別の機会に応えればいいだけの話だ。アデントン公の意見は厳しいものだったが、そういう意味も込められているように感じる。役不足と言われないだけマシだが、アデントン公の評価は極めて冷静だった。
「確かに、その通りだと思います……」
「気を悪くさせてしまったのなら謝罪しよう。でも、これが今の君に対する正当な評価だ」
「儂は納得できんぞ。兄様はお主が思うほど軟弱ではないッ!!」
シュガーは怒りを露わにしてアデントン公に抗議するが、俺はそれを制した。
「いいんだ、シュガー」
「し、しかしッ!!」
「ぎゃあぎゃあ吠えるんじゃねえよ、チビ……。いいか? アデントン公はレオを認めてないわけじゃねぇ。ただ、役目が違うんじゃねぇかって言いたいんだ。それに関して言えば、俺様だってそう思う。でも、レオじゃなきゃわからないこともあんだろ……この中で魔界に行ったことのあるやつはいるか? ……いねぇよな? ゲートとかいうのを通ったやつはどうだ? ……ま、いるはずねぇよな。つまり、レオじゃなきゃいけない理由はそこにある。ラッテさんにゃそこら辺、わかるはずねぇぞ……どうだ、アデントン公」
アデントン公は反論されたのに涼しい表情を浮かべながら、ゆっくりと頷いた。
「そういう専門的なことに関してはレオ君のほうが詳しそうだね。ふむ……レオ君、君はどう思う? 私はそれでもラッテ=イクシールを推すと言ったら、君は素直に引き下がるかね?」
「……いいえ。引き下がろうとは思いません。アデントン公の仰る通り、ひとには適材適所があります。でも、もし……それが全てだというなら、俺はアラントルーダにいません。つまり、ここに俺が存在していることが、適材適所としての証明となります」
「それは感情論だ……でも、そういう考えかたは嫌いではないよ。──わかった、この件はレオ君に任せよう」
やはり、アデントン公は俺の覚悟を試したんだ。
ここで俺が異議を唱えられなければ、この件はラッテが担当しただろう。でも、今の俺には彼女を危険に晒したくないという気持ちが大きい。それに、裏酒場はラッテにとって、あまり近寄りたくない場所でもあるだろう。だから、レイティアの部屋で死神について訊ねた時、いい顔をしなかったんだ──。
この短い会談が終わる頃には陽も暮れて、窓の外は夜の闇に包まれていた。
今頃は下の階で、アーマンさんが腕を奮っている頃だ。
そういえば今日は食事という食事を摂っていなかったな──でも、緊張からか食欲は湧かない。
そろそろ時間だろう……と、俺は立ち上がった。それを合図かのように、皆も一斉に立ち上がる。
「兄様、行くのか?」
心配そうな表情でシュガーは俺に訊ねた。
「ああ、もうアルカロも開いてるだろうし」
「吉報を祈っているよ」
アデントン公が右手を差し出す、俺はその手を硬く握った。
「今生の別れじゃあるめぇし……ま、頑張れや」
「おう」
レイナードは照れ臭そうにしながらも、なんだかんだで心配してくれているようだ。
さあ、ここが正念場だ──、絶対に情報を掴んでやるッ!! そう意気込んで部屋を出た……。
── ── ──
酒場アルカロ周辺の警備は厚く、常に兵士が周囲を徘徊している。
目視できたのは店の外周を徘徊している兵士ふたりと、その周囲に三人の計五人。
もしかすると隠れているだけで他にいるかもしれないが、夜の視界の悪さから視認することができない。店はもう目と鼻の先だというのに、ここまで警備が厚いと店内にはいるのは困難だ。
それにしても、ここまで兵士が徘徊していると、一般の客も気軽に入ることはできないんじゃないのか? アルカロの経営は大丈夫なのだろうか? ──と、要らぬ心配をしながら店の裏手にある家の物陰に隠れて辺りの様子を伺う。
駄目だ、このままでは埓が明かない──。
どうにかして突破口を見つけなければと考えていると、店の周囲を警備していた兵士のひとりが店の裏口で立ち止まって、周囲を何度も警戒してから扉を叩いた。
裏口から出てきたのはこの店のマスターだろう。タキシードのような格好に身を包んだ老紳士がなにやら兵士とやりとりを交わして、兵士になにかを手渡した。兵士は手渡された皮袋の中を一度確認すると、満足そうな表情を浮かべて、その後、周回していたもうひとりの兵士と、それを見守っていた兵士を連れて持ち場を離れた。
(賄賂でも握らせたのか……?)
店の周囲にいた兵士達がいなくなった今、アルカロに侵入するチャンスだ。他に兵士がいないかとを確認して、俺はアルカロの正面玄関から店内へと入った。
アルカロ店内は差し当たって珍しいといえるような内装ではない、ごく一般的な内装だ。
正面入口は正方形の店内の左隅、そこからズラリと四人がけのテーブル席が四つ、壁際に縦一列で並べられている。反対側のカウンター席は『L』を上下反対にした型で、手前に五人、奥にふたりの計七席。そのカウンター席のさらに奥がキッチンのようで、先ほど姿を見せたタキシード姿の老紳士が、黙々と食器類を磨いていた。キッチンの奥、この店内右端、壁を跨いだところに、材やドリンクなどの備蓄を置いているようで、裏口はそこにあるのだろう。
客は一番奥のテーブル席に戦士風の男がひとり、カウンター席には三人……このひと達は馴染みの客だろう、疎らに座りながらもお互いに談笑を楽しんでいる。だが、空いている席を見ると、お世辞にも儲かっているとは思えない。
俺は正面入り口から一番近いカウンター席に座った。すると、今まで黙々と食器を拭いていた老紳士が俺の前にやってきて訊ねる。
「なにをお作りしましょうか?」
親方から聞いた合言葉は、このマスターに伝えればいいのだろうか?
考えても仕方がない──、俺は合言葉をこの老紳士に告げた。
「赤麦酒にひと匙のスパイスを」
「……かしこまりました」
これでいいんだよな? あまりにもスムーズに注文が通ってしまったから不安になったが、どうやらこれでよかったみたいだ。
「お待たせしました、赤麦酒でございます」
受け取った木製グラスの中に赤麦酒は入っておらず、その代わりに赤い色の鍵が入っていた。
「入口はあちらでございます、ごゆっくり……」
老紳士がちらりと目をやったのはカウンターの右端横にある部屋。
この鍵を使ってその部屋に入れということらしい──。
俺は鍵をグラスから取り出して、老紳士が促した部屋の前まで歩いて、鍵を使って部屋に入った。
中は部屋ではなく、二畳ほどの空間と、下へと続く階段がある。
裏酒場は階段を下りた先にあるようだな……。
これより先は無法地帯、なにが起きても自己責任の裏酒場──。
薄暗い階段を、壁に手を添えてゆっくりと下りていく。
そして、ついに俺は裏酒場へ潜入した──。
── ── ──
「ここが裏酒場か……」
上にある酒場と違い、地下にある【裏酒場】は薄暗く、基本立ち飲みのようで、カウンター席は四席しかない。あとは疎らに置かれた丸いテーブルが三つあり、それを取り囲むようにして裏世界の住人達が酒を呑んでいる。 こいつら誰が情報を知っているだろうか……? それを知るには先ず、この酒場の店員に聞くのが一番手っ取り早いだろう。
カウンターの奥ではスキンヘッドの強面な男が酒を作っている。俺は、その強面のマスターに話を聞こうと声をかけた。
「あの、ちょっと訊ねたいんですけど……」
「なんでしょうか?」
「この店で一番の情報通って誰ですか?」
「一番ですか……ここにいるのはその筋で名のある方々です、お客様が話を聞きたい方に話を伺ってみては? 簡単に教えてくれるかは別ですがね」
そういってマスターは、右手の親指と人差し指で輪を作る。
「金次第ってことですか」
「〝こういう世界〟ですから」
この空間に漂うのは誰かが吸う煙草の苦い香りと、少しでも気を抜けば刺されてしまいそうな緊張感。こんなところで酒を呑むなんて、裏世界の住人というのは物好きなんだろうか? いや、こういう場所だからなのかもしれない。ビリビリと肌に伝わる危険な空気を感じていないと、彼らは正気を保っていられないのだろう。ずっと命を見張られて、狙われて、奪って、奪われて……それを繰り返ししてきた結果、平常心という感覚が麻痺してしまったのかもしれない。
俺はマスターに礼を言ってから、手頃な壁に凭れ掛かり、もう一度店内にいる多種多様の闇の住人達を観察してみた。
その中でひとり、一際目立つ者がいる。
黒いローブに身を包み、フードを被って煙草を燻らしている者は、誰と交尾むでもなくバーカウンターの隅で度数のきつそうな酒を嗜んでいた。
俺はそいつに声をかけようと近づいた時、近くにいた盗賊風の男に声をかけられた。
「おい、あいつだけはやめておきな」
「え?」
「あんた、お姫様を救った英雄さんだろ? なんでこんなところにいるのか知らないが、あいつだけは近づかないほうがいい」
「あのひとは誰なんですか……?」
「堕ちた騎士、【イーダン・ロックゼイン】だ」
「……ッ!?」
イーダン=ロックゼインだと……ッ!?
北大陸の白星の騎士団団長が、どうしてこんなところにッ!?
そうだ、確か北大陸は魔王軍の攻撃で滅んだんだったか……。イーダンは死んだとばかり思っていたけど、逃げ延びたんだな。でも、イーダンが逃げるなんて想像できないけど……あそこにいるのがイーダンだというのなら、それが真実なんだろう。
待てよ……イーダンなら魔界にいく方法について、なにか知ってるんじゃないか? 仮にも【白星の騎士団】を率いていた男だ、それなりに情報を持っている可能性が高い。
「忠告ありがとうございます。でも、それなら尚更のこと話を聞いてみたい……ちょっと話をしてきます」
「お前馬鹿かッ!? ……殺されても知らねぇぞ」
この盗賊風の男だって相当な手練れだろう、そんな男が『殺される』と怯えるくらいにはイーダンの強さが伊達じゃないことがわかる。
(さすがは北の騎士団長……)
でも、ひとつ引っかかる──堕ちたって……どういうことだ?
騎士長という名誉ある地位から転落してこの場所にいるというのなら、その言い回しもしっくりくるのだが、もしそうなら『落ちぶれた』と言わないだろうか? しかし、この盗賊風の男は『堕ちた』という言葉を選んだ。その言い回しの違いが、俺の背筋をゾクッと撫でる。
一歩進む度に先ほどよりも張り詰める空気、焦る気持ちを噛み殺して、喉に張り付く唾を無理矢理飲み込む。相手は腐っても一国の騎士長、そして、この店で一番の危険人物。緊張が足を竦ませるが、俺はそれでも前へと進み、イーダンの隣の席に腰をかけた。
「白星の騎士団のイーダン=ロックゼイン騎士長、ですね」
「……」
返事はないが、ご本人で間違いはないらしい。その証拠に名前を言った時、微かに肩が動いた気がした。
「……某を知る者か、なに用だ」
さすがは白星の騎士団随一の武将……迫力が段違いだ。
イーダンは俺を見ずにひと口酒を呷ると、手元にある煙草に火をつけた。
「あなたに聞きたいことがあります」
「某が語ることはなにもない……去れ」
堅物だとはわかっていたけど、こうも言葉を交わすことが困難だとは……でも、ここで引いては意味がない──なにがなんでも、手がかりを掴まなければならないんだ。
「失礼を承知でお訊ねしますが、どうして主島へ?」
「貴殿には関係のないことだ。これ以上言葉を交わすつもりはない、他を当たってくれ」
「あなたが一番答えに近いんです……お願いします、話を──」
「──諄いッ!! ……これ以上語るなら、刃で語ることになるが?」
シン──ッと静まり返るとは、正にこのことを言うのだろう。
荒げた声が酒場に反響する。
これ以上この場にいると、自分にも被害が被ると思った者達がゾロゾロと退散していった。
「お客さん、揉めごとは他所でやってもらえますかね」
マスターが表情を変えずに言明する。
「申し訳ない」
イーダンはぶっきら棒に謝罪すると席を立とうとしたが、まだ俺の話は終わっていない。
立ち上がろうとしたイーダンの肩に手を置いて、立ち上がるのを制止する。
「俺の話はまだ終わってないですよ」
「なるほど、貴殿には口で言っても伝わらないらしい……外に出ろ、貴殿が某に勝ったら聞きたいことを聞こう。そして、答えられることは答えよう」
一国の騎士団長に勝利する──か、それ、かなり無理がないかッ!?
経験の差があまりにも開き過ぎているし、現状、勝てる気がしない。
それでもやるしかない、か──。
「わかりました。俺が勝ったら洗いざらい答えてもらいますよ?」
「ほう? 勝てると思っているのか」
「勝負する前から負けることを考えるのは止めたんです。それに、俺はどうしてもあなたから情報を得ないといけない理由があります……だから、勝たせてもらいます」
「そうか、覚悟だけは一人前だな……では、参ろうか」
街の外に出た俺とイーダンは、一定の距離を保ちながら互いに剣を構える。
イーダンの使う剣は日本刀のような形をした剣。
あの剣の名前は【白虎】だったかな……斬撃重視の剣だ。
個人的には【白虎】という呼び方のほうが好ましいけど、武器担当のスタッフさんが、【白虎】だとありきたり過ぎるからってインタビューの記事に書いてあった。……って、今はそんなことを考えている場合じゃないな。
白虎の間合いに入れば、斬撃がどこから発生するかわからない。それがイーダンのスキル、【虎爪閃剣】だ。物理法則無視とかどんだけチートだよ……なんて言っても、この世界にはそういうチート級の武器やスキルが溢れている。
対する俺は【一閃双撃】と【灼滅剣】のみ──。
灼滅剣は近距離攻撃だから、イーダンに近づかなければ当たらない。しかし、近づけば虎爪閃剣で斬られる──おい、どうすりゃいいんだッ!? 圧倒的に俺のほうが不利な状況じゃないか。
「来ないのか、ならばこちらから攻めさせてもらうぞ……ッ!!」
イーダンは白虎を上段に構えて向かってくる。
このままなにもしなければ負けてしまう──気持ちで負けたら終わりだッ!!
俺は向かってくるイーダンを払うように横一閃に薙ぎ払うが、イーダンはそれを読んでいたかのように地面を蹴って宙に避けた。
「そのような大振りでは当たる剣も当たらないぞ……一撃で仕留めるッ!! 虎爪閃剣ッ!!」
やっぱり、空中でも発動できるのかよ──ッ!!
虎爪閃剣の厄介のところは、白虎の間合いに入るとどこから斬られるのかわからないところにあるが、それを見切る術がないわけではない。間合いに入ると発動するのなら、間合いから離れれば斬撃を躱すことができる。
「……ッ!!」
アスカロンを大振りしたのは、その推進力を利用して前方へと回避するためだ。つまり、今の横薙ぎは攻撃ではない、回避のための横薙ぎだ。踏み込んだ左足の指先に力を込めて、姿勢を屈め、前方宙返りのようにしてなんとか斬撃を躱した。
「貴殿、某の技を知っているのか? ……そうでなければ今の一撃を回避することはできない。なるほど、戦闘になることを予め視野に入れての行動か」
「いや、偶々ですよ……危機一髪でした」
あと数センチ体を浮かせていたら、俺の首は今頃、そこら辺に転がっていただろう。
回避できたのは、はっきり言って奇跡に近い。しかし、次はイーダンも俺のが回避すると予想する──もう一度、同じように回避すれば、今度こそ文字通り終わる……。
「ならば、本気でいかせてもらおう……ッ!!」
「そう簡単にやらせないッ!!」
俺はアスカロンからドラゴントゥースの持ち替えた。
相手の間合いに入れないのなら、相手が近づいたその一瞬を狙うしかない──。
(まだだ……まだ引きつけろ。焦るな……チャンスは一度ッ!!)
イーダンが徐々に距離を詰めてくる──。
今だ──ッ!!
「灼滅剣──ッ!!」
「なに──ッ!?」
ドラゴントゥースの刃に竜の炎が纏い、それが剣の形に形成される。
竜の鱗をも焼き尽くす、絶対炎滅の灼熱剣ッ!!
「まだ終わらないぜ……一閃双撃ッ!!」
これは奥義技の攻撃回数が二倍になるスキルだが、この世界での【一閃双撃】の効果は俺が想像していた能力と異なっていたのを、前回のリザードマン戦で確認している。
攻撃回数ではなく、発動した奥義の威力を倍に引き上げる攻撃バフ効果になっているが、それは俺が使える【攻撃力上昇魔法】とは一線を駕するほどの効果だ。例えるなら、ガスコンロと火炎放射器くらいの差。
「燃え尽きろおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!」
「ま、待てッ!! ──降参だっ!!」
「そんなこと言われても、急に止められるわけないだろおぉぉぉぉッ!?」
俺は振るった剣の先をなんとかイーダンから上段に逸らすと、まるで火竜の咆哮のような炎が轟音と共に空を走った。
つい熱くなって『燃え尽きろ』とか言ってたけど、燃え尽きさせたら俺の目的果たせないじゃんッ!! ──イーダンが降参していなかったらと思うとゾッとする。
「な、なんて威力……今の一撃をまともに受けていれば、某は灰塵と化していた……貴殿は一体何者だ? そこまでの力、人間の域を超えているぞ……」
「えっと……その前にひとついいですか?」
「ん……?」
「宿屋……招き猫まで、担いでくれませんか……もう、動けない──」
「おい……おい貴殿、しっかりしろッ!!」
いや、無理っス……。
さすがに魔力を使い果たしたから、動けない……。
灼滅剣は、一日一回が限度……だ、な……。





